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【『パンと牢獄』連載①】チベットの抱える問題は、日本人には“他人事”? “対岸の火事”?

  チベット人の真意を映す映画を撮ったことで、中国で囚われの身になったドゥンドゥップ・ワンチェンと、夫の逮捕のために難民となり、ついには米国に渡って彼を待ち続けた妻ラモ・ツォ。この夫婦と4人の子どもたちの10年の軌跡を追ったノンフィクション『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』が今年3月に発売され、産経新聞、毎日新聞、日本経済新聞、西日本新聞など多くのメディアで紹介され話題に。が、残念なことに、コロナ禍のため、予定されていたドゥンドゥップ氏の来日もイベントもすべて中止になってしまいました。
――いつか、ドゥンドゥップと娘たちの来日が叶うその日まで(⁉)、著者・小川真利枝さんが、自身が体験したチベットのひとたちの暮らしについて語ります。

『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』詳細

「コロナ禍で全世界の人が制限された生活を送っているいまだからこそ、難民の人たちの気持ちが少しでもわかるのでは、ということに深く共感しました。私が深く共感する理由は、私は福島県出身で学生時代のほとんどを放射能という見えないものに制限された生活を送ってきた分、今回のコロナで全世界の人たちが当時の福島の人と同じような状況となり、“私たちはずっとこういう想いをしてきたんだよ。”と思っていたからです。あの時は福島という“どこか”で起きた事故だったから、政治家たちの発言もどこか他人事に聞こえていました。だからみな自分事になって初めてその立場の人たちの気持ちを心から分かち合えるのだと思います。」

  早稲田大学の学生さんに、拙著『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』について話をしたときにいただいた感想です。2020年5月の緊急事態宣言下、新型コロナの感染拡大に日本社会がもっとも注意深くなり、「自由に動くこと」が制限されていたときのことでした。「このコロナ禍をどう捉えていますか?」という学生さんの質問に、わたしは「この本のなかに登場する、わたしがこれまで関わってきたチベット亡命者のひとが抱える問題を、自分事として少し捉えられるようになったと思う」と話したのでした。

 『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』は、わたしがチベット亡命者の町、インドのダラムサラで出会ったひとりのチベット人女性ラモ・ツォとその家族を10年間にわたって追いかけたノンフィクションです。ラモ・ツォは、夫ドゥンドゥップが政治犯として中国で逮捕されたため、ふるさとのチベットに暮らすことができなくなりました。彼女とわたしが出会ったのは、2009年、彼女が難民となってダラムサラの道端でパン売りをしていたときのことです。それから彼女たち家族がドゥンドゥップと再会するまで(スイス、米国へと渡っていきます)を伴走し、わたしの目で見て、耳で聞き、足で調べ、心に留めたことを本に書きました。

「命より大切なものは、自由」。奇跡的に中国を脱出したドゥンドゥップがわたしに語った言葉です。彼は、2008年にチベット人に「北京オリンピックについてどのように思っているか?」をインタビューし、まとめた映像を世に出したことで国家分裂扇動罪という罪で懲役6年の刑を受け、監獄に閉じ込められました。刑期を終えた後も、仕事に就くことも自由に外出することもできず青海省にある自宅で軟禁状態となりました。彼は貧しい家庭で育ったため学校へ行ったことがなく、もともと読み書きができません。そんな彼が独学で学び、自宅軟禁中に一冊の本からみつけた言葉が「命より大切なものは、自由」でした。この言葉をみつけてまもなく、彼は自由を求めて中国から脱出し、米国へ奇跡的に亡命を果たしました。2017年12月のことです。

 わたしは、彼が米国に到着するまでの出来事を、断片的にリアルタイムに知らされていました。いや、固唾をのんで見守っていた、というほうが正しいかもしれません。命の保証はまったくなく、すべて秘密裏に実行された亡命劇。もし失敗していたら……と考えると、いまでも肌が粟立ちます。どうしてそこまで? と思っていたときに、彼は「命より大切なものは、自由」という言葉を教えてくれたのです。仏教では、“自由”とは「自らを由(よ)りどころにする」という意味で使われます。つまり、自分自身を拠り所として生きることが自由ということです。ドゥンドゥップは、他者に拠る生きかたではなく、自分自身の足で立ち、歩を進めるために、命の危険を顧みず亡命の道を選んだのです。

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※2017年12月、サンフランシスコにて。無事に亡命を果たしたドゥンドゥップ氏と著者の小川真利枝さん。

 いま思えば、わたしは彼の言葉を、心のどこかで“他人事”として捉えていたかもしれません。そしてまた、拙著『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』に書かれていることは、日本人にとって“対岸の火事”であろうと勝手に決めつけていたところがありました。ところが、このコロナの影響が広がるにつれ「自由に動くこと」について自分自身の問題として向き合ったとき、彼の心にほんの少しだけですが近づけたような気持ちになったのです。そして、冒頭で紹介した学生さんからの感想のように、日本でも同じような思いで生きているひとがいるということに、あらためて気づかされました。“対岸の火事”だなんて、わたしが勝手に引いていた境界線でしかなかったのだと。奇しくもコロナが広まり出した3月に出版した本でしたが、コロナの前と後では、わたし自身も拙著に対する考えが変わったように思います。

 コロナの影響がなかったら、主人公のドゥンドゥップと子どもたち(娘ふたり)が来日する予定でした。いまは延期の状態ですが、いずれ日本に呼んで、多くのみなさんの前でドゥンドゥップに自らの体験を語ってもらいたいと思っています。だからといって、時間が止まっているわけではありません。このあいだにも、ドゥンドゥップは自らの経験をドキュメンタリー映画にしようと粛々と準備を進めています。先日、企画書がわたしのもとに届きました。英語が堪能な息子が代筆した立派な企画書です。わたしも彼の映画に協力することになり、これまでわたしが撮影してきた映像など、未発表のものを含めて米国の彼のもとに素材を送りました。さらにラモ・ツォや幼い娘たちが登場する映画『オロ』(日本・2012年 岩佐寿弥監督)のチームも協力してくださることになり、撮影素材(こちらも未発表がたくさん!)を米国に送っています。こうした素材やドゥンドゥップ自身が撮影してきた映像、アニメーションを使って、ドゥンドゥップの10年をまとめる壮大な映画プロジェクトが進んでいます。彼はいま、コロナと山火事で物理的には自由に動くことがままならない状態にいますが、自らを拠り所にして映画製作を進め、まさに“自由”を謳歌しているような、メールの文面からそんな自信が垣間みえるようになってきました。

 ドゥンドゥップと子どもたちの来日が叶うその日まで、わたしが関わってきた(わたしが知る限りの)チベットのことを少し紹介できたらと思い、このnoteにチベットの文化や習わし、料理などについて書いていくことにしました。おつきあいいただけましたら、嬉しいです。
 
 次回は、なぜわたしがチベット語に興味を持ったのか(いちおう撮影をするときに会話が少しでも理解できるよう、チベット語の勉強をしています)、について書こうと思います。


●著者プロフィール
小川真利枝(おがわ・まりえ) 
ドキュメンタリー作家。1983年フィリピン生まれ。千葉県で育つ。早稲田大学教育学部卒業。2007年テレビ番組制作会社に入社、2009年同退社、フリーのディレクターに。ラジオドキュメンタリー『原爆の惨禍を生き抜いて』(2017)(文化庁芸術祭出品、放送文化基金賞奨励賞)、ドキュメンタリー映画『ラモツォの亡命ノート』(2017)などを制作。 『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』が初めての著作。

パンと牢獄_書影オビあり


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