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【後編】引退競走馬支援ワールドの最前線に潜入?! 世界の競馬開催国メンバーが集う国際フォーラムに行ってきた

この記事は【後編】です。前編をご覧になっていない方は、以下のリンクより前編を先にお読みください。




引退競走馬のおかげでGⅠ勝利できた
JRA人気騎手による感謝と応援

「引退競走馬の余生支援はとても重要な問題です。今回このフォーラムに参加して、セカンドキャリアでいろいろな才能を発揮している馬を見ることができてとても嬉しい」

そう語るのは、トークショーに登場したクリストフ・ルメール騎手だ。数年前まで、競馬業界では引退競走馬について「口にしてはいけない」といわれていたことは前述したが、こうして誰もが知る人気騎手が自分の言葉で発信する姿を目にすると、社会が刻々と変化していることを感じないではいられない。同時に登場した北村宏司騎手は、自らの体験と馬たちへの感謝について語った。 


トークショーの様子。画面左が北村騎手、中央がルメール騎手。


 「子ども時代の乗馬教室から競馬学校にかけて、多くの引退競走馬に世話になり騎手になることができました。騎手になってからも、怪我をした後は引退競走馬に乗ってリハビリを乗り越えた。彼らのおかげで復帰してGⅠで勝利できたのです」

北村騎手は引退競走馬のオーナーでもあり、長野県の乗馬クラブに預託して子どもの乗馬教室で活躍しているという。



元W杯イングランド代表が語る
馬と自分のアスリート人生


 
フィールドトリップ終了後、一同は専用バスで札幌市内にある札幌コンベンションセンターへ移動。午後の「フォーラム」は会議場で開催された。

開始からまもなく「基調ビデオ講演」で登場したのは、元サッカー選手のマイケル・オーウェンだった。1998年W杯でイングランド代表の名ストライカーとして、デイビッド・ベッカムと同時代に活躍したスター選手が、なぜ引退競走馬支援のフォーラムで基調講演をおこなうのか? IFAR公式HPに記載されていたのは、オーウェンがサラブレッドの愛好家であることだけ。世界の競馬業界関係者のあいだでは、どうやら英国を代表する競馬成功者として有名らしい。だが日本では、サッカー好きの友人に訊いても「あのワンダーボーイが競馬で成功? 聞いたことがない」というし、日本版ウィキペディアの情報からも「ギャンブルと競馬を趣味として多くの競走馬を所有・生産。GⅠ勝利した」ということくらいしかわからない。動物福祉を推進する国際組織の活動にどのように関わっているのか? 


マイケル・オーウェン氏(JRA提供)


 スクリーンに映し出されたのは、美しい牧場でサラブレッドとの関わりについて語るオーウェンだった。

「競馬好きな父親の影響で子ども時代から競馬場を訪れていて、馬主になったのはサッカーで成功した18歳でした」

当時の自分を「2歳か3歳馬」と競走馬にたとえるオーウェンは、現役時代について語った。

「選手時代は早期から怪我に苦しみました。身体の痛みより精神的な辛さの方がはるかに大きかったです。引退後のことを考えるものの、サッカー選手にとってセカンドキャリアの選択肢は多くありません。そしてすべてのアスリートは、ある時点で引退しなければなりません。その後の人生はとても長く、それは競走馬も同じなのです」

オーウェンが妻とともにイギリスのチェルシーにある牛舎を改装してサラブレッド専門厩舎「マナーハウス・ステーブル」の運営を開始したのは、2007年のことだった。世間からは趣味のひとつと見られていたが、2013年に33歳で現役を引退した後、セカンドキャリアの拠点として選んだのはサッカー指導者の道ではなく競馬の世界だった。著名な調教師との契約により所有馬が優勝し、2015年にはドバイゴールドカップを制したのだ。その一方で、サラブレッドを「自分と同じアスリート」と考え、彼らの余生支援のために行動したという。

「マナーハウスでは、すべてのサラブレッドのアフターケアに取り組んでいます。怪我や故障のケアをして、馬の個性に応じてポロや乗馬、障害競技などの世界につなぎ、年齢を重ねて引退した後は安心して暮らせる場所を確保しています」

こうした取り組みを10年前から続けていると語るオーウェンは、引退競走馬の余生支援の推進には、馬のオーナーや生産者、競馬ファン、競馬開催者などサラブレッドに関わるすべての人に責任があり、まずはそれを認識することが重要だと訴えた。

動物福祉に限らず、社会活動の推進において有名人の影響力は計り知れない。しかしオーウェンは広告塔ではなく、競馬に携わる当事者として長年この問題に取り組み続けてきたのだ。基調講演者として招かれる実績に納得すると同時に、命に責任を持つことに誇りを抱くセレブリティの充実した表情が印象に残った。


 

馬事文化が盛んな国ほど根強い
サラブレッドへの誤解

 馬のウェルフェアなしに競馬の未来はない──こうした危機感が引退競走馬の余生支援推進の原動力になっていることは前半でも書いたが、フォーラムが進行するにつれてわかってきたことがあった。それは、いずれの国にとってもこの活動が始まったばかりということだ。

長らくこの問題について消極的な姿勢をとってきたJRAが、方向転換をして2017年に「引退競走馬に関する検討委員会」を発足したのは、大きなきっかけがあった。それはUAE(アラブ首長国連邦)の副大統領でありドバイ首長、世界最高レベルの賞金で知られるドバイワールドカップの創設者にして、世界的に展開するサラブレッド生産組織ダーレーの代表者のシェイク・モハメド氏の提言だ。詳細は『セカンドキャリア 引退競走馬をめぐる旅』に書いているのでここでは省くが、引退競走馬の問題への提言は、日本のみならず全世界の競馬開催国の共通課題として発せられたものだったのだ。

動物福祉活動というのは、往々にして欧米諸国が先導するイメージがあるが、どうやら引退競走馬に関してはその限りではないらしい。各国の状況は、当然ながらそれぞれ違っている。なかには馬事文化の歴史が長いが故に、引退競走馬の余生支援推進が難航しているケースがあることもわかってきた。その理由のひとつがサラブレッドという馬の品種に対する誤解や偏見だ。


フォーラムの様子


<英国の乗馬界では、他の品種にくらべサラブレッドの評判が悪いと思うか?> 同国で馬に関わる仕事をする約3600人を対象に調査した結果、この質問について「非常にそう思う」「そう思う」と答えた人は全体の約85%──と報告したのは、香港ジョッキークラブ所属で引退競走馬のリスタートに携わるナターシャ・ローズ氏だ。

英国をはじめとする馬事文化が盛んな国では、乗馬や障害競技など目的や種目に応じた品種を使うのが一般的だ。サラブレッドは速く走ることが得意な競馬専用品種と認識されているため、引退後に乗馬に転用しようという発想が生まれにくく、乗馬業界の人々のあいだで「サラブレッドは興奮しやすく扱いにくい馬」という評価が定着しているという。「英国における引退競走馬の余生支援推進には、サラブレッドに対する誤解を解く努力が必要」とローズ氏は今後の課題をあげた。

日本でも馬術競技でトップをめざすなら、種目にマッチした品種を選ぶ必要があるといわれると聞くものの、乗馬クラブや大学馬術部などで引退競走馬が活躍している例は数えきれない。馬の個性や気質を見極めたうえでの適切なリトレーニングが必要不可欠だが、サラブレッドという品種で一括りに判断できないというのが日本国内での評価だ。

しかし英国では「競馬業界と乗馬業界の協力関係がまだ不十分」とのことで、どうやら乗馬業界の人々がサラブレッドの才能や可能性にふれるチャンスが限られているらしい。一方、香港では、乗馬に使われている馬の70%が引退競走馬なので誤解や偏見は少ないという。これは前回のIFAR開催国のオーストラリアも同様で、レースを引退したサラブレッドをリトレーニングして乗馬や馬術競技の世界につなぐ取り組みが盛んにおこなわれているらしい。パリオリンピックの総合馬術に出場した唯一のサラブレッドがオーストラリアチームだったのは、こうしたバックグラウンドと無関係ではないのだろう。

「英国では、引退競走馬を乗馬に使う際に傷害保険が高額になるなど、法律上の問題もある」と指摘するローズ氏。こうした事情から、資金面で余裕のない公立の乗馬学校ではサラブレッド導入に至っていないという。サラブレッドの騎乗を高リスクと判断しているのは保険会社で、乗馬業界ではその限りではないとのことだが、馬事文化の盛んな国ゆえの難しさを感じるとともに、この活動は各国にとってスタートしてまもない前例のなきものだということを痛感しないではいられなかった。 

 こうした事情がわかると、基調講演をしたマイケル・オーウェンの10年に至る活動がこの国でいかに斬新で希少なことなのかが理解できる。古い慣習に新たな風を吹き込む仕事は、セレブリティにしかできないものなのかもしれない。

 最大の朗報は、国際馬術連盟(FEI)が 2024年のパリオリンピックから馬術競技(馬場馬術・障害飛越・総合馬術)に出場する品種に「サラブレッド」の表記を公式に認めたことだ。これは馬を扱うスポーツに関連する複数の団体の協議を経て合意されたもので、そのひとつの欧州・地中海地域競馬連盟の(EMHF)事務局長ポール・カーン博士は、この国際フォーラムIFARの運営グループにも所属する人物だ。FEIのすべての競技での「サラブレッド」表記適用は、引退競走馬が馬術競技の世界でも活躍できることを多くの人が認識するきっかけになる。課題は複数あるものの、競馬業界と乗馬業界、引退競走馬業界の連携は世界レベルで進んでいるのだ。 



すでに日本にも存在していた
引退競走馬支援の未来を担う新しい飼育方法

もうひとつ印象的だったのは、フォーラムの終盤に上映された動画だった。それは米国西部のワイオミング州に拠点を持つ引退競走馬のリトレーニング専門施設で独自におこなわれている飼育方法で、サラブレッドたちが大自然のなかで群れをつくりながら暮らす様子が紹介されていた。生まれたときから人が手をかけて世話をして、馬房で暮らしてきたサラブレッドは、自然環境で生きることは難しいといわれている。しかし同組織エグゼクティブディレクターのケイト・アンダーソン氏は「馬たちは蹄鉄を付けずに大地を駆け回り、吹雪に耐え、心許せる仲間を得て心身ともに健康に暮らしている」と説明。サラブレッドの適応性の高さを指摘すると同時に「馬の飼育について、我々が知っていることはまだわずか」と訴えた。

馬たちが暮らしているのは、ロッキー山脈東部と標高の高い平原地帯が広がる土地だ。スクリーンに映し出された美しく雄大な自然に圧倒されながらも、ケアされている馬たちの様子を見ているうちに「これは、日本でもやっているアレと同じだ」と気がついた。

 それは「集団放牧・昼夜放牧」と呼ばれている、複数の引退競走馬の余生支援を可能にする飼育方法として関係者のあいだで注目されているものだ。鹿児島県の霧島高原に拠点を置くNPO法人ホーストラスト理事長の小西英司氏がはじめた取り組みで、私は同じ方針で活動するNPO法人ホーストラスト北海道を訪ね、実際にその様子を取材する機会に恵まれた。


ホーストラスト北海道で暮らす引退競走馬


そこではセカンドキャリアやサードキャリアを経た馬たちが、必要な医療ケアを受けながら大自然のなかで気の合う仲間と一緒にのんびりと暮らしていた。自然のなかで生きるサラブレッドたちと同じフィールドで時間をともにすること、馬どうしの友情や愛情を感じる営みを目にすることは、これまでのなかでも忘れ難い取材体験のひとつになった。

 サラブレッドが自然のなかで生きられるという事実は、日本の競馬業界で働く人々のあいだでも完全に共有されているわけではない。しかし、この取り組みは「情熱大陸」などのテレビ番組や新聞の特集記事などで取り上げられ、一般の人々のあいだでも少しずつ知られるようにもなっている。

 世界の競馬関係者が集う国際フォーラムに潜入してわかったこと、それは引退競走馬余生支援について課題が山積しているものの、かならずしも日本が出遅れているわけではないということだった。


北の大地で暮らす引退競走馬とホーストラスト代表の酒井政明氏
大自然の中で生きる引退競走馬たち



おわりに

 この記事を読んで「引退競走馬のことをもっと知りたい」「サラブレッドのために何かしたい」と考える一方で、問題や課題の大きさに無力感を抱いた人もいたかもしれない。馬のサポートにはお金や時間が必要だが、多くの人はそれらを持ち合わせていない。それでも、実は誰にでもできることはある。

まずはこの記事に「いいね」をつけること──というのは半分冗談だが、日本の競馬業界が動物福祉を重視した方向をめざしていることを家族や友人、知人と共有することはサラブレッドの余生サポートの第一歩になる。引退競走馬の支援活動をする組織のSNSアカウントをフォローするのもおすすめだ。

セカンドキャリアやサードキャリアで活躍する愛らしい馬たちの写真や動画に癒され、ファンになること、その記事をシェアすれば、もはやそれは立派な引退競走馬支援活動なのだ。

(了)


第2回書店員が選ぶノンフィクション大賞ノミネート作、『セカンドキャリア 引退競走馬をめぐる旅』(片野ゆか・著)の詳細は、以下のリンクよりご覧いただけます。

◉書誌情報
『セカンドキャリア 引退競走馬をめぐる旅』
著者:片野ゆか
2023年12月5日発売/2,200円(税込)
320ページ/四六判ソフトカバー
装丁:アルビレオ
ISBN:978-4-08-771854-6

◉目次
はじめに
第1章 突然だが、馬主になった
第2章 馬と生きる新しい仕組み
第3章 知られざるリトレーニングの世界
第4章 馬と暮らした日本人
第5章 ある地方馬主のリアルと挑戦
第6章 ホースセラピーの力
第7章 旅して食べて馬を応援
第8章 社会が変わる交差点
おわりに

◉著者略歴
片野ゆか(かたの・ゆか)
1966年東京生まれ。2005年『愛犬王 平岩米吉伝』で第12回小学館ノンフィクション大賞受賞。『ゼロ! 熊本市動物愛護センター10年の闘い』『旅はワン連れ ビビり犬・マドとタイを歩く』『動物翻訳家 心の声をキャッチする、飼育員のリアルストーリー』『平成犬バカ編集部』『着物の国のはてな』など著書多数。話題を呼んだ『北里大学獣医学部 犬部!』は映画化、コミック化もされている。


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