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祖母の期待に応えたか?

相変わらず、家族とは数年に1回連絡が来るくらいの関係性で、ついこないだも祖母が自宅を離れ施設に入所した旨を知らされた。

俺と祖母の関わりは社会人第二期(都落ちして利府に帰ってきて東日本大震災が始まり、市民活動と出会う)が一番深かったような気がする。向こうでの仕事を辞めて時間だけやたらあった時期は災害ボランティアに打ち込みながらも、それでも空いた時間で祖母の病院の送り迎え等を手伝っていた。

祖母はたいへん信心深い人間だ。
心身を壊して関東から帰郷した俺のことを「神に呼び戻された」と語った。「こんな大変なときに帰ってくるなんて…あんたはこれからの地域に必要な人物として、きっと神に呼び戻されたんだよ。」
この言葉をずっと忘れない。

それからがむしゃらに頑張ってはみたものの、どうやら神に仕えるほども神を滅ぼすほども才能がないことを悟る。やっぱり俺はどう頑張っても神に呼び戻された「使者」的な人物ではなくて下賤な者、平民止まりだった。

だったら究極の平民を目指そうと発想を転換した。

最近、改まって日本国憲法を流し見する時間があった。その中には貴族制度の廃止や身分や出自等によって何人たりとも差別されないと書いてあった。
ところが現実はどうだろうか。天上人は人の上に人をつくり、人の下に人をつくり、「協働」とのたまう裏側では手柄の奪い合いと負担の押し付け合いがいつまでもつづいている。

究極の平民が活動するからこそ今打ち込んでいる「市民活動」が活きるんだと、まだなんとか闘えている。

コロナ禍も平穏を取り戻しつつある今、面会も難しないであろう施設へ、久しぶりにその祖母の顔を見に行こうかとも思っている。

「ばあちゃんごめん!俺神様と何も関係なかったわww」
と究極の平民の誇りにかけて高らかと、笑いたい。

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