夢の中・作中の話 4年半ぶりくらいに実家に帰った。 車から降りて玄関か軒先か(覚えてない)のほうに目をやると、家族や親族の多くが既にその目の前で立って待っていた。 その間100〜200mを呼吸を乱さずゆっくり歩く。 これまでの疑念や不安や迷いは、今日だけは一切捨てて家族というものを冷静に見つめ直そうと、自らに言い聞かせ落ち着かせてゆっくり歩く。 家族、親族たちの目の前に着いた。みんな口々に何か言ってるが不満や怒号のようなものは予想に反して発せられなかった。 何を言ってるのか
母性と父性は表裏一体。コインの裏表。 だけど、この社会ではあまりにも早く母性を発揮しすぎると父性の加護を受ける機会を失い、あまりにも早く父性を発揮しすぎると母性の加護を受ける機会を失う。こうして、十分な母性/父性の加護を受けられないこどもたち(こどもだったひとたち)が一定数いて、なんらかの「生きづらさ」を感じている。その様子を長年見てきた。 この人たちの光になれるのならば、この命投げ出しても惜しくはない。 むしろ、残り少ないこの力を合理主義者や詭弁士搾取されるくらいなら
今日までの私の経歴は、中学時代はバレー部で、郡中総大は敗退して引退し、最後の夏休みはゲーマーとして打ち込んだ。 でも、どうして大事な記憶が今の今まで抜き取られていたんだろう。その夏から秋までもう1仕事あったことをずーーっと忘れていた。 改ざんされていた(抜き取られていた) 中総体に負けて、振替休日は元々本意ではなかったバレー部から開放された呪縛で胸いっぱい遊んだ。振替休日明けの学校。朝のホームルーム後に担任のA先生が歩み寄ってきた。 「バレー部は残念だったね。でもチーム
先日こんなことを動画(音声)とともに、SNSに投下した。 今回リハビリや病状の公開を晒す指針になってくれたのはT-BOLAN大先生。T-BOLAN大先生は同世代なら知らない人はいないくらいのメジャーバンドだが、活動期間外にとんでもない苦痛や悲しみを経験した。 1995年:Vo森友さんの声が出なくなり活動休止→心因性発声障害の診断。 1999年:上記を理由に(非公開)T-BOLAN解散を発表。 2009年:Vo森友さん、十余年の闘病を経てソロシンガーとして復帰 2012年:
「戦わない」という選択。そこへの拘りを見出したきっかけを、一瞬だけ思い出したからまた忘れないうちに書き留めておく。 小学生時代。5・6年性は持ち上がりで同じ先生だった。 めちゃめちゃ一所に学んだしめちゃめちゃ一所に遊んだし、めちゃめちゃ一所に考えたり語ったりして、忘れられない恩師ではあるんだけど、人と人、という部分ではどうしても相容れない数%の部分もあった。 6年生のある日先生は言った。 「みんなは中学生になったら勉強や部活等、いろんなところで順位をつけられる立場にな
孤独についての話しは今まで何度も主張している。 特にそれとの出会いがだいたいみんないつ頃なんだろうかとか、俺は幼少期にも思春期にもあったことは多分どっかで書き残している。 今日はそういう挿話をまたひとつ思い出したので(というか、なんでこういう話しをいつの間にか忘れたり急に思い出したりするんだろう)、自分の脳内整理も兼ねて外在化してみようと思う。 中学生時代のある日、先生同士の不倫の噂が広がった。 友達から聞かされた時は、一瞬は驚いたけど、深いところまでは興味を持てなか
PSのゲーム「ゼノギアス」作中の主人公サイドの敵国は「ソラリス」。身分階級制度が著しく、家柄の佳き者は優遇されそうでないものは虐げられる世相を呈していた。なかでも他国民は家畜同様として扱われ、拉致されては労役、実験材料など、徹底した選民主義だった。 そして現れたのは帝室特設外務庁総司令カーラン・ラムサス。 彼の改革はそれまでの選民主義と一線を画し、能力をもつ者であれば家柄等も関係なく、軍の要職等として引き入れられた。 彼はソラリス国民にとって希望の星、英雄となる筈だった。
CDレンタルサービスが世の中からなくなっていく過程で思うこと。 中学、高校のときは、部活がない時、どっかに遊びに行くアテもカネもないときは床で目を閉じて終日CDやMDで好きな音楽を聞きまくって、あっという間に夕方になり、それでも心は満ち満ちしてました。 大人になるとそれが効きづらくなったり、効く日と効かない日とムラが出たりします、 大人になってよかったのかなあ。
「えしんよりえしょ」と読みます。スマホやPCの漢字変換ではなかなか出てこないです。仏教由来の説らしいです。 自分の身体や心が思うようにいかない時、それをなんとかしようとしてもどうにもならない事がある。それよりも、どこか頼れるところに身を置きそこに委ねれば体も心もそのようになってくれるという概略。 Youtubeで説明してくれたのは心因性発声障害でT-BOLANをやむなく解散し、療養を経て復帰、再結成まで果たした同バンドの森友嵐士さん(Vo)です。 今年度からの平穏と不穏
以前、男性の生理について触れたことがありますが、自分もそんな節があるような自認をもっていて、それはやっぱり時々(きちんと測っていれば定期的に?)やってきます。 メカニズム的には「骨盤開閉」とかググれば色々かいてあるんですが、俺の場合は一番弱い部分、「精神」と「アレルギー症状(免疫低下)」が良く来ます。 原因もこれとしてないから、どうしようもないんですねー。 「この生の時間をどう消化すればいいんだろう」→いかに自分をごまかしながら時間を経過させるか。 「こんなに何もできな
俺が自然や植物、天然物とはまるで無縁な件はお花見のときに言及したとおりで、強いて挙げるならば漆黒の月が唯一しっくりくる、自他ともに厨二な私です。 そんななか、最近…といっても2ヶ月ほど前にお花をいただく機会が2度ほどありました。片方は生花なので老体をなんとか延命してる感じで、もう片方は宮城県利府町のatelier germerbleueさんにいただいたドライフラワーです。こちらは現役バリバリで、いつも視界に入るところに配置し、美しく咲いてくれています。 最近は作業部屋のシン
その主人公は作中では特別な存在で、何度か輪廻転生を繰り返している。そして前世までの記憶をはっきりとではないが潜在的にもっている。 しかし、その主人公は生まれ変わっても生まれ変わっても平凡な人生は送らせてもらえず、争いや奪い合いの中でそれぞれの生涯を全うした。 追われる立場になったり、大切な仲間や想い出、最愛の人を何度も失ったり…。 そんな記憶ばかりが潜在的に刻み込まれて、この主人公は代を重ねる事に少しずつ性格がネガティブになる。 そしてその何代目かの生まれ変わりを生きて
本来、一人の人間の心や脳は一時的(この「一時的」というのは、人生光のときも闇のときもあるけど、同時発現というのは稀有であるという意)には「光」か「闇」のどちらかにしかなれない。 それでも最近は片手に闇をもう片方の手に光を持つという稀有な体験、生活をしている。 この春からずっと光と闇が1:9ずつ持っていたのが最近やっと2:8くらいになり、これが次に1:9に戻るのか3:7になるのかはわからない。 でも光と闇を両方抱えることはすごく重い作業だとは感じている。 本来一時的にはど
ゴールデンウイーク前後くらいから考えること。 温かくなると次は暑くなる。 汗ばむのが億劫になる。 真っ先に汗を書くのが頭から耳。 なぜかというと、生活時間の中でヘッドホン着用の時間が多いから。 汗ばんだ耳とヘッドホンを消毒したり清拭したりと意外と手間がかかる。 モニターは、本来なら自分でスタジオ持っててモニタースピーカーでやりたいんだけど、もちろんそんな環境も財力もないのでモニターはヘッドホンで完結するようにしている。 しかし、モニターはにはイヤホンという選択肢があるらしい
生まれてこの方、ずっとインドア人生を送ってきた。 物心つくまえからファミコンで仮名文字と音楽の基礎を学び、なかなかアウトドアの恩恵を受けずにここまで歳を取ってきた。 「疲れたとき/病んだときは自然に触れるといいよ」という声を何度と無く聞いてきた。確かに、ふっ軽なときにそういうスポットに駆り出しては魅せられる景観や自然が持つ”呼吸”は圧巻なのだが、必ずしもそうでないとき、人生のスランプに陥ってるときは同じような効き目があるかどうかは猜疑心があった。 ある日、ドキュメント番組
はじめに 探偵という仕事は「探偵業の業務の適正化に関する法律」をもと、「調査」を行うのが仕事です。探偵だからって、私有地やプライバシーにみだりに介入する特権はありませんし(一般の方と変わり無し)、ましてや警察といっしょにまたは警察に先んじて刑事事件を捜査するのはもっぱら漫画やゲームなど創作のお話です。 本題 探偵業許可を取得して3件目のケースが訪れた。電話の主→依頼者は初めて話す人だった。どうやら俺が子どもの頃住んでいた団地で殺人事件が起きたらしい。俺はこの春からルーテ