戦わないことを選んだ時
「戦わない」という選択。そこへの拘りを見出したきっかけを、一瞬だけ思い出したからまた忘れないうちに書き留めておく。
小学生時代。5・6年性は持ち上がりで同じ先生だった。
めちゃめちゃ一所に学んだしめちゃめちゃ一所に遊んだし、めちゃめちゃ一所に考えたり語ったりして、忘れられない恩師ではあるんだけど、人と人、という部分ではどうしても相容れない数%の部分もあった。
6年生のある日先生は言った。
「みんなは中学生になったら勉強や部活等、いろんなところで順位をつけられる立場になる。だから今のうちにそれに慣れておいたほうがいい。」
“格付け免疫強化”のため先生はいろんなアイディアを実装した。
①毎日の宿題+自主勉強にスコアを付けて学期末にランキングした。
②運動会はもちろん順位づけで行った。
③テストも中学生と同じように、国算社理の4教科合計点で順位付けした。
④合唱指導に熱心な先生だったため、歌のテストも順位付けした。
特に④の歌のテストが後々最も気を揉む原因となった。当時、自分が歌を歌うということは、多分潜在的には好きだったんだけど自覚や自認はなかった。歌のテストは1位か2位だったのだけど、そのもう片方の順位だったU村君と二人で、今度は給食の時間に他のクラスで1曲披露するというプログラムが先生から組まれた。もちろん歌いに行くクラスやスケジュールは先生が調整する。なんかプレッシャーに耐えれない気持ちとモヤモヤする気持ちがあった。
『俺は歌いたくないのにあっちこっち歌いに行かされて、歌のテストで順位が低かったのに歌いたい、っていう人の気持ちはどうなるんだ。』
結局、いわゆる「U村withしょうたコンサート全校ツアー」は序盤〜中盤で頓挫した。俺が事情をU村君に相談してコンビを解消し、それを先生に「僕、やっぱり歌えません」と伝えに行ったからだ。先生は、多分惜しいとは思っただろうが何も言わないで承諾してくれた。
歌への自認を獲得した今、この先生とまた一所にカラオケに行きたい。
それから、順位を付けられること、比較されること、戦うこと、勝つこと、負けることへの拒否感が静電気のようにピリッとくる気質になったのは今も変わらない。
なかには異なる考えの人もいるだろう。日本は資本主義だし、戦うことで敵を下し味方を獲得する人もいる。でも俺は戦わないことを選んで仲間を増やすことを選ぶ。
「無能」とか「臆病」とか呼ばれてもいい。戦うことと挑戦することはまた異なるのだから。
よく「しょうたくんは◯◯な人を味方につけるといいね」と言われたときに定型で返す言葉がある。
「俺には味方はいません、いるのは仲間です。味方は敵の存在を前提に使われる言葉だからです。」
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