良い「祈り」と悪い「祈り」
「祝い」と「呪い」
部首が違うだけで、全く違う意味になってしまいますが、実は、どちらも「祈り」から派生した言葉だと聞いたことがあります。
つまり、祈り方によっては、祝いにもなり、呪いにもなるということなんですね。
今日は、僕が、忘れられない話をシェアさせてくださいね。
それは、僕が小学5年生だった時のこと…
みんなが給食を食べ終えて、午後からの授業が始まった時のことでした。
急に外が騒がしくなって、教室の窓から、消防車やパトカーが自宅の方向へ走ってゆく様子が見えました。
僕は怖くなって、どうしようという気持ちを抑えられなくて、頭を抱えて、その場にうずくまり、
「どうか、僕の家ではありませんように!」
「神様、助けてください!」
と必死に祈りました。
担任の先生が、すぐに状況を調べてくださって、幸い、僕の家ではないとわかって、ホッと安心できたのですが…
なんと、そこは知人のお父様が経営する会社でした。
それから何年も経って…
僕が仏教を学び始めた時に、祈りには、良い祈りと悪い祈りがあることを教わり、かつて、僕が「自分の家が燃えてませんように」と祈っていたことが、悪い祈りだったと指摘されて、衝撃を受けました。
「誰だって、『自分の家ではありませんように』と祈って当然でしょう?」
と言い返したところ、師匠は、
「自分の家が燃えていませんようにと祈るのは、他人の家が燃えてほしいと祈っていることと同じです」
「すでに、どこかの家が燃えている事実に変わりはないのだから、その祈り方では、無意識に他人の不幸を願っています」
と教わって、目が覚めました。
言い返す言葉がありませんでした。
では、どのように祈ればいいのか?
「みんなが無事であります様に」
「誰もケガしていません様に」
「被害が最小限であります様に」
そんな風に祈ることが良いみたいです。
人は誰しも、大変な時には、自分のことや家族のことでめいっぱいで、他人のことなど考えられないものです。
それは仕方のないことだと思います。
でも、僕たちが大変な時には、僕たちと同じように大変な人がいることも、ほんの少しで良いから、心に留めておきたいですね。
時々、立ち止まって…
今、自分がやっている祈り方が、他人を呪っているものではないか?
それが、他人の幸福を願っているものか?
それらを確かめられるといいですよね。
祈り方さえ間違っていなければ、きっと神様は、あなたの願いを叶えてくれると思います。
今日も読んでくれて、ありがとうございます。