大東亜戦争劈頭に活躍した情報戦士③F機関と谷豊
大東亜戦争の口火を切った真珠湾作戦とマレー作戦。
両作戦の成功の背景には、情報将校たちの血の滲むような努力の末のインテリジェンス活動があった。
イギリス支配下にあるインドの独立運動を扇動すべく、帝国陸軍は現地に陸軍参謀藤原岩市少佐を派遣。藤原参謀によってインド独立工作を主任務とする諜報組織が結成される。すなわち藤原機関、通称「F機関」である。
イギリスの東洋支配を大きく揺さぶったF機関
F機関は陸軍中野学校出身の情報将校を中心に構成。現地マレー人や投降したインド兵も含む。情報収集や上陸部隊の支援、敵軍のかく乱工作に奔走、マレー作戦やジャワ攻略作戦を側面支援した。
マレー上陸作戦において活躍したのが、“ハリマオ”(マレーの虎)こと谷豊である。日本からマレーに移住してきた谷の家族は現地で理髪業を営んでいたが、満州事変の影響で排日暴動が激化した昭和7年、華僑グループによって妹を殺害される悲劇に見舞われる。
この事件をきっかけに匪賊に転身した谷は家族と訣別。谷のもとには多くの暴徒や義賊らが集まり、官憲を向こうに回して犯罪行動を繰り返す。谷は瞬く間に三千名の手下を従える頭領となった。
谷の人脈と義侠心、奔放な活動に目を付けたF機関は、何とか彼を口説き落として味方に引き入れることに成功。任務を与えられた谷は、情報収集はもちろん、英軍の後方かく乱や、マレー人の反英工作など、八面六臂の活躍を見せ、敵軍をさんざんに翻弄した。
軍需物資を運ぶ英軍列車を転覆させたり、英軍基地の通信、交通などのインフラ設備を切断・遮断したりするなど、その動きは神出鬼没、縦横無尽、変幻自在で、F機関の期待以上の働きを見せた。
忠誠を誓った日本軍のため、家族の住まう祖国のため、ひたすら忠勤に励む谷だったが、不運にもマラリアに倒れる。病に臥す中、F機関に母からの手紙が届いた。無教育で文字が読めない谷に代わって、機関員が読み上げる。谷の目からはぼろぼろと涙がこぼれた。
日本軍に多大な貢献をもたらした谷に、藤原機関長は軍政監部の職務である「特高事務」に就かせることを約束。それを聞いた谷は、「こんな僕でも官吏になれるのですか! 国のお母さんにぜひお伝えください」と子供のように喜んだ。
間もなく、谷は眠るように息を引き取った。藤原機関長は約束通り、谷を正式な軍属として陸軍省に登録。日本の新聞も谷の異国での活躍を大々的に報じた。谷の魂魄は、多くの英霊と同じく、靖国神社に眠っている。