エントロピーは情報であり、観測者によって変化する〜宇宙をプログラムする宇宙
科学が苦手で物理学とか宇宙のことなんかも全然知らないのだけれど、最近『三体』にハマっていたり
『TENET』を観て頭がこんがらがったりして、いや、このままでは悔しい、もっと感触を、手触りだけでも得たいとこうした本を苦労しながらも読んでいる。
タイトルは『宇宙をプログラムする宇宙』。
帯の裏はこんな感じ。
セス・ロイド(著者)は量子情報理論の導師(グル)である。その彼が書いた本書『宇宙をプログラムする宇宙』は実によみやすく、宇宙に関する洞察に満ちた、新鮮なパースペクティブを披露してくれる。
「実によみやす」かったかは別にして(とはいえ、もっと専門的なものに比すればずっと一般向けに書かれているとはわかった)かなり刺激的、面白かったです。例によって語彙が貧しいけれど。(わたしの)
最近はひとつでも得るものがあったり、感銘を受けたり、印象に残ったものがあればそれは自分にとって十分によい読書体験だったというふうに認めているので、全部をちゃんと理解しなければという強迫観念もない。
なので、そうした自分なりの体験、理解からの感想でもいいじゃないかと。
ワタクシ的には熱力学の第二法則(エントロピーというやつが含まれる)が以前よりずっと近づいてきて、感触が得られたこと。(以前は曖昧模糊、鵺のような)
エントロピーというと、たとえば海に赤い液体を一滴たらして、それが拡散していくとどんどんその液体としては薄まって(成り立たなく)なっていくようなイメージ。(コーヒーにミルクの例えもよく聞く)
エントロピーという絶対の尺度(たったひとつの)があるような気がしていたけれど、これも抽象度と同じでそんなことはなく、観測者によって変化するということ。(これらに限らず唯一絶対のそうしたものはない)
ある観測者にとってはエントロピーの値が高い(有用度が低い)ものでも、別の観測者にとってはエントロピーの値が低い(有用度が高い)場合もある。(だから、エントロピーの値は減ることがあるというのは法則と矛盾しない)
見える情報と見えない情報で構成される系があり、その間を移動しているだけだから、系全体では減りも増えもしない。どこで観るか(観測)次第。
エントロピーは見えない物理系に含まれる情報だと。(無秩序さの尺度であり、その度合は観測者によって増減する)
その道に詳しい人からするとこんな理解は小学生以下だと指摘されるかもしれないけれど、それでもいいんです。自分なりにつかんだ実感、感触があるから。
これだけでもこれまで「?」だったものがうすぼんやりとでもカタチをとってきたので読んだかいがありました。
あとは量子(やその世界)について。
量子コンピュータなんかも以前ネットで調べたけどチンプンカンプンでそのままにしていたけれど、本書を読んでずっと親しみがもてるようになりました。(量子的合わせ状態のおかげで同時に複数の計算ができるとか、記録できるとか)
音にたとえると古典コンピュータは単音、量子コンピュータは和音(交響曲)とかもイメージしやすい。
そういう意味では帯の文句どおり、こんなわたしでもこれだけ得るものがあったのだから、実によみやすく書かれていたんでしょう。(チンプンカンプンな部分も多かったとはいえ)
最後のほうでかなしいエピソードなんかもあったけど、美しかったですね。カルロ・ロヴェッリにも感じるけれど、こうした分野の専門家は詩的、文学的なセンスが土台にあることが多いんじゃないかなとも思ったり。(対象の数が少なすぎて一般化できないのは重々承知のうえで)
物理は情報に包摂されるとか、地続きである(二項対立ではない)といったことがより実感できるようになったことも本書を読む中での通奏低音として響いていた気がします。
まだ半分くらいだけど、こちらもいろいろ助けてくれます。
これはメルカリ行きにせず、折をみて再読しましょう。