家族の老いと家の片付け
最近、家の片付けを少しずつ進めている。
もともと、私自身、整理整頓がとても苦手なタチで、気がつくと生活空間がとんでもないことになりがちだが、それ以上に義母の部屋がここ数年とんでもない状態になっていた。
お願いだから片付けさせて、と何度お願いしても、なかなか部屋の中に入らせてもらえない。
義母としては、嫁には自分の領域を荒らされたくないことや、掃除をすると言っては嫁がリビングやキッチンの断捨離を断行して、義母が買ったものも容赦なくゴミ箱に放り込む姿を見ているので、自分のお宝を処分される恐怖があったのだろう。
私としては、自分の生活空間でもあるリビングやキッチンが、使い道のないガラクタで埋まっていくことが我慢できなかったのだ。
いつ届いたかわからない通販のカタログや、洗わずに椅子の背もたれにねじ込んである汚れたタオルやハンカチ、賞味期限切れの食品の数々などなど。
長年、家事を義母に頼っていた部分もあったから、あまり踏み込まないようにしていたけれども、さすがに数年前にやばいと思って断捨離を決行した。
義母は悲しそうにしていたが、放っておくと私達家族の生活が立ち行かなくなりそうな気配があったのだ。
しかし、共用スペースならこっちの思惑で説き伏せることもできるが、義母のプライベート空間までは踏み込んでいいものかどうか躊躇があった。
そこで、たまに用事があって入ったときに、どうしても気になるゴミを捨てたりはしていたが、それでもここ数年は、買い物に行くたびに買ってきたものを溜め込み続けて、にっちもさっちもいかない状態になっていた。
3月に体調を崩して、入院からのリハビリ施設入りとなった義母。リハビリがうまく進めばこれから帰って来る可能性もあるが、要介護状態が深刻化することは間違いない。
介護ベッドの導入の可能性や、歩行器を使う可能性が高いので、移動の導線を考えると、施設に入っているうちに少しずつ片付けておく必要性がある。
片付けをしていると、いつ買ったのかわからない化粧品や基礎化粧品のたぐい、雑誌、使ったのに洗濯に出していないガビガビになったタオル、汚れたままの下着も放置されてもいた。
化粧品なんかは文句を言われたらまた買い直せばいい。タオルも100円均一で揃えられる。雑誌だけはもう手に入らないので整理しておき、通販のカタログは処分する。
片付けをしながら、この部屋がこんな風にゴミだらけになったのはいつからだったろうか、と考えていた。
私が嫁いできてから子供が生まれて、高校生になるくらいまでは、私よりも子育てを一生懸命してくれていた。当然、整理整頓や掃除も行き届いていて、だらしない私のほうが怒られることが多いくらいだった。
それがいつしか逆転したのは、考えてみるとここ数年のことだ。
体力が落ち、何度か体調を崩して入院することもあった。比較的頭もしっかりとはしているが、年齢なりの忘れっぽさもひどくなりつつあり、昔の同じ話を繰り返すようにもなってきていた。
ひどい認知症ではないが、年齢なりの認知の衰えというのは進行してるのは目に見えて分かるようになっていた。
今回、体調を崩すまでは問題なく歩いていたけれども、それでも身体が思うように動かなくなりつつあり、認知の衰えでの思考力と判断力の低下によって、不要なものは捨てて必要なものは整理する、という行動が難しくなっていったようだ。
「老いる事」の記事で書いたように、どんなに元気な人でも、年齢を重ねることの衰えには勝てない。
元気だった頃の義母の姿がもどってくることはなく、今後は我が家では介護問題が深刻化していくばかりだ。
さて、今後、義母の介護にどのように向き合っていくべきか、色々と思案するとともに、自分が子どもに迷惑をかけないように年齢を重ねていくにはどうしたらいいものかとも考える。
ミニマリストになるつもりはないが、できる限り余計なモノは持たず、最低限必要なものだけで身の回りを固めて、自分が死んだら全部処分してもらって構わないような、そんな生活にしたいと思う。
しかしそんな生活、いつになったら実現できるのか、ゴミ袋をいくつもいっぱいにしても減っていかないモノの山を前に、途方に暮れながらも、少しずつ進めていくしかない。
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