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【短編小説】宇宙少女の文学

 ——5。
 九月六日金曜日、夕方五時の物理実験室。
 〈S-Ⅲロケット〉打ち上げ最終試験のカウントダウンが始まった。

 ——4。
 打ち上げの責任者は私。少し離れたところに生徒会の森下さんがいる。撮影係としてタブレットの動画を回しながら打ち上げに立ち会ってくれている。

 ——3、エンジン点火。
 〈S-Ⅲロケット〉の発射台に、私は火を灯した。

 ——2。
 発射台が加熱され温度を上げていく。発射台の中を視認することはできないけど、内部ではいま、空気と混ざり合った気体状の〈エタノール〉が急激に温められているはずだ。

 ——1。
 その時が来た。発射台内の〈エタノール〉がついに発火して、その熱で空気が一気に膨張し——。

 ——ポンッ!

 〈S-Ⅲロケット〉こと「紙コップロケット」は、〈空き缶の発射台〉から打ち上げられ、対空時間一秒という儚い旅を終えた。ちなみに〈S〉とはサイエンスのことで、Ⅲは三号機を意味する。
 紙コップロケットは、空気が熱によって膨張するという現象を利用した、いわゆる「科学あそび」だ。

「うん、良い感じに撮れた。みてみて!」

 森下さんが私を手招きする。私は森下さんのいる実験台に小走りで向かう。森下さんの背後に回り、撮影したビデオを見せてもらった。

 ひとまず、明日の文化祭でサイエンス部が企画する「サイエンス教室」の目玉、「紙コップロケット」の最終試験は成功に終わった。

 私はサイエンス部の唯一の二年生で、他の三名の部員は全員三年生、いまは学年演劇のリハーサルに行っているため不在。

「ほ、本当に、助かりました……、あとで、動画を先輩たちに共有して、アドバイスを貰います」
「いえいえ、文化祭担当として、部活のお手伝いをするのは当たり前っ」

 森下さんはとんっと自分の胸を叩いて微笑んだ。いつもはクールな印象の目尻が下がり、微笑みをつくる薄い唇は、二日月のように形が良い。
 夏休み前の文化祭会議で知り合ってから二か月、森下さんは何かと私を気にかけてくれる。

 森下さんはどうしてこんなに優しいのか……私はとても不思議に思う。

 クラスの子たちが不親切だとはまったく思わない。
 私のコミュ力が酷く乏しいと、私の見た目や言動からすぐに察し、最低限のかかわりを持ってくれている。というか、私がいてもいなくてもクラスになんの影響もないから、クラスの子たちが私に関心をもつことが、まず無い。

 それはまるで夜空の星々のようだと思う。
 自分を〈星〉に例えるなんて、自惚れすぎだと思われそうだけど、私は自分が美しいとか輝いているなんて、これっぽっちも思っていない。
 私が言いたいのは、夜空の星を、誰も気に留めないということだ。
 
 ぺガスス座、アンドロメダ座、ペルセウス座、カシオペア座……夏から秋へと変わりゆく夜空に見られる星座たち。
 
 だけど〈その星座〉を構成する星々の間に、頭の中で線を結ぶことが出来なければ、〈そのひと〉のなかで、その星座は存在しない。

 教室で誰からの関心も持たれていない私は、観測者がいないのに、輝き続けるのをやめられない、星と同じだった。

「あ……そうだ。先輩たちと、お礼を……」
「え、お礼?」

 私は物理実験室から隣の準備室に入り、冷蔵庫を開けて、さっき準備室のコンロを借りてつくった、「おやつ」を取り出した。
 この「おやつ」は、イチゴやシャインマスカットの粒を団子みたいに串に刺して、加熱したグラニュー糖をコーティングし、冷やしたフルーツ飴だ。先輩曰く、韓国で人気だったのがいま日本でも流行っているらしい。

「うわ、すごい! タンフルじゃんそれ!」

 森下さんが興奮した声色で言った。「そうだそんな名前だった」と私も頷く。タンフルはキラキラ輝いてとても美味しそうで、思わず私も笑みがこぼれた。
 森下さんはイチゴのタンフルを、私はマスカットを選んで、タンフルで乾杯をした。固まった透明のグラニュー糖同士がぶつかると、「パリンッ」と「シャリッ」の間の、不思議な気持ちのいい音が鳴った。

「あまーい。疲れた脳が喜んでる……まあ、生徒会としては、部活中にお菓子作りなんて……とは思うけど、美味しすぎるので今日は許しマス」
「ふふっ……一応、先輩たちとは『料理もサイエンスだ』ってことに、してて……」
「ほー? じゃあこのタンフルがどうサイエンスなのか説明してもらおうか?」

 森下さんの眉が面白い動きをした。私は頷いて、説明を試みる。

「えっと……この飴は、アモルファスという状態を利用しています。グラニュー糖やガラスなんかにみられる現象で……普通の物質だと、固体を熱したら液体に、そして液体を冷やしたらまた元の固体に戻るんだけど……、グラニュー糖を加熱してすぐに急激に冷やすと、糖の分子が不規則にゆったりと結びついた状態になって、この飴みたいに、『パリンッ』って割れやすい姿になります」
「へぇ、なるほど! 冷やしても白い砂糖になってないのは、ちゃんとした固体に戻ってないからなんだ」

 森下さんはそう言って、タンフルの串を指先で器用にくるくると回した。タンフルは、夕暮れの気配を孕んだ白色光を浴び、アモルファスのグラニュー糖の表面で分散して、小さな虹色の欠片が飛び出てちかちかと眩しかった。

「いや~、ほんと美味しすぎた……。美味しすぎて、ちょっと泣きそうだった」
「えっ……!?」
「うそ、冗談! ごめん驚かせて。でも飴もイチゴもすっごい甘くて……最近、誰にも甘やかしてもらえてなかったから、嬉しくて、感動したのは本当」

 森下さんは微笑んだけど、目尻に少し疲れが見えた気がした。

(……偉いな、森下さん。生徒会の仕事の忙しさ……想像もできないや)

 タンフルを食べ終わった森下さんは、次は目の前に置いてあった手作り風車の見本を、手にとって顔に近づけた。

「青崎さん……これ、普通の風車じゃないよね? このプラカップが何か意味があるの?」
「あ、それは……手の熱で回る風車で……コップは、温まった空気を〈上昇気流〉にしてまっすぐ風車に、風をあてるためのもの」

 私は森下さんの手にある風車に、底が抜けたプラスチックカップをかぶせた。

「……わ、本当だ、回った!」
 さすがサイエンス部の風車、人味違うねと、森下さんは楽しそうに笑った。

(……頑張っている森下さんに、何か渡せないだろうか)
 自分に問いかける。
 私の目を見て、私の話を聞いてくれる彼女のために、できることはないだろうか。

 だけど考えれば考えるほど、視界は薄暗くなって、呼吸が浅くなっていった。
 私は人間関係から逃げすぎてきたせいで、最善なことと、余計なことの違いが、よくわからない。

「青崎さん、私ね。明日は多分……サイエンス部に顔を出す時間が無いんだ。だから今日、少しでも企画が体験できてよかった」

(気に入ったなら、風車、持って帰ってもいいよ)

 私は言えなかった。森下さんに「別にいらないのに」と言われるのも、いらないのに「ありがとう」と言わせることも嫌だった。

(私はいつも、逃げてばかりだ……)

 人とちゃんとかかわることから。感情を読み間違えて、自分が傷つくことから……。

 ——いずみちゃんは?
 ——いずみちゃんは、どうしたいの?

 自己嫌悪の隙間から、不意に聞こえたのは、私を呼ぶ幼い声。
 私という人間が今日まで逃げてきた、その始まりの記憶が自動再生する。

   ◆

「いずみちゃんは?」
「いずみちゃんは、どうしたいの?」
「いずみちゃんは、どこのグループに入りたい?」

 小学四年生の四月。遠足の前日。
 クラスのみんなでお弁当を食べるグループを決めていた。
 どうしてかその日はみんな、私に対して怒っていた。

「なに? ぜんぜん聞こえない!」
「もういいじゃん。空いてるところに名前書こう」
「えー、いずみちゃんといっしょのグループとかイヤなんだけど」

「べつにいずみは一人でいいじゃん。どうせしゃべんないし」
「なに言ってるか分かんないし!」
「日本語も伝わんないもんね~」
「それって『宇宙人』ってこと? ひどーい!」

 彼女の言葉は、呪いでもあり福音でもあった。
 私の発声の困難や、相手の言葉や表情という〈断片的な情報〉から〈心意〉を読み取れない傾向を、言語化してくれもしたからだ。

(そっか……宇宙人なら、しょうがないよね……)

 その日から、自分を皮肉る気分で、私は宇宙に関する本を読むようになった。
 星座の図鑑。宇宙誕生の秘密。ブラックホールの観測。
 そんななか、私は一冊の本に出会った。

『宇宙は数学という言語で書かれている。これがなかったら、宇宙のことばは人間にはひとことも理解できない』

「数学という……言語?」

 私は驚いた。言語といえば、日本語や英語など、その国のことば以外に存在しないと思っていた。
 だけどどうも、そうじゃないみたいだ。
 目に見える範囲を超えたものを「宇宙」とするならば、目視では数ミリにしか見えない星の大きさを語るとき、数十年に一度必ず現れる彗星の周期を語るとき、空の青さを語るとき、ひとは数学という言語を使わないとだめらしい。

「私も……、誰かとちゃんと、会話してみたいな」
 その相手が、宇宙でもいいから。
 
   ◆

 午後六時四十五分。
 森下さんと一緒に正門を抜け、バス停で五十分発のバスを待っている。

「青崎さん的には、星座もサイエンス?」

 ぼうっと夜と夕の隙間に浮かんでいる北極星を見ていると、森下さんが私に尋ねた。

「え、えっと、そうだと思うし……星は個人的に好き」

 私は秋の四角形を指さした。「マルカブ」、「シェアト」、「アルゲニブ」、「アルフェラッツ」を順に指さしていく。

「北東の星は『アンドロメダ座』の頭で……残りの三つの星は『ペガサス座』の胴体です」
「わあ、よく知ってるね! 青崎さん、もしかして頭の中にプラネタリウム飼ってる?」

 森下さんも右腕を空に伸ばした。「あれがアンドロメダの頭?」、「ペガサスの翼はどこ?」なんて言いながら、一生懸命に星と星の間に線を結び付けようとする。

「だめだー。付け焼刃じゃ難しいか……。青崎さんはすごいなぁ。私も青崎さんの見てる世界を見たいよ」
「……私の?」

 すごくなんかない。
 私は、ただ逃げてきただけだ。
 クラスの子たちとうまく会話できなくて、人の感情の機微が分からなくて、人間の言語をうまく使えないから、「数学という言語」に逃げただけだ。人間関係や学校の問題に飛び込んで、みんなのために頑張る森下さんの方が、何倍も、何百倍も、凄い。

「……私は、ただ見たいものを、見てきただけです」
「それは……理系の教科が好きってこととは、違うの?」
「えっと、少し、違う……? わ、私は本当に、極端に、国語や文学的な思考が、足りないから、だから——」

 私は、すごくない。

「……『文学』なら、青崎さん、もうできてると思うけど」
「……えっ?」

 耳に届いた言葉があまりにも予想外で、下がっていた視線を思わず上げた。
 すると森下さんは、いたずらっぽい微笑みを浮かべながら右手をゆらりと上げて、再び、夜空の星々を指さしながら呟いた。

「天文学——」

 夜空に放たれたその六文字は、私の耳に、肌に響いて、そして、言葉が本当に『言の葉』であるかのように、私の視界ではらはらと瞬いた。
 私は『その光』が、眩しくて、嬉しくて、こんなに美しい幻覚を見てしまう自分のことが理解できなくて、だけど森下さんの言葉が、私の心にちゃんと届いていることを伝えたくて、いろんなものが零れないよう呑み込んでから、私はゆっくり頷いた。

「青崎さん。イチ文系の意見を言うと……心は見えない。だから私たちは、心の欠片の言葉を、あーでもないこーでもないって、たまに間違えたりもしながら、それでも繋げて、心の形を見出すしかないと、私は思うんだ」
「……それって——」
「うん。星座を見出す方法と、心を見出す方法は、案外似てるかもしれないよ」

 心地よい夜風が、私の頬と、森下さんの前髪を撫でた。
 夏が終わる。秋が来る。季節が巡る。流れ続ける時間の河川をもがくように生きる私に、いったい何ができる?

(私のような臆病者に、できることなんて、無いかもしれないけど……)

「そうだと、いいな……」

 私という星が燃え尽きる前に、隣の彼女のために、なにかひとつぐらいはできることがあればいいと、心の中で願いながら、私はそっと呟いた。


 
(おわり)






ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。
2024年はお世話になりました。2025年もよろしくお願いいたします。
皆様の記事を拝読しながら、また何か創作物を投稿できればと思います。
                 小説と文鳥

【参考にした本です、ぜひ手にとっていただきたいです】
・近内悠太『利他・ケア・傷の倫理学』(晶文社)
・外山滋比古『日本語の論理』(中公文庫)


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