「私とあなたとは、絆がありますでしょ」
今年のはじめ、淡交社さんより『日常からはじまるサステナビリティ: 日本の風土とSDGs』を出版いただいた。出版にあたってご協力いただいた多くの方に、心から感謝したい。
第一章では、以下の方々との対談を通して日本の風土に根付くサステナビリティを探り、第二章では「仏教とみる、私たちのウェルビーイング」をテーマに綴った。
対談させていただいた方々は、それぞれの尊い道を歩まれている。自身を含むこの世の豊かさや幸せを問い、社会のあり方を探る道は等しくも、辿る道や歩き方、目にする風景は異なるだろう。どれもが一つの解であり、唯一の正解はなく、どの道も過去と未来と、すべての暮らしに繋がっている。
今回は、滋賀県 近江八幡の地で創業150年を迎えた和菓子屋「たねや」の山本昌仁社長の言葉を紹介したい。
対談のため、「たねや」の発信の地であり本社のある「ラ コリーナ近江八幡」を訪問した。ここは、自然に学び人々が集う "つながりの場" として、2015年、八幡山に連なる広大な土地に誕生した。最寄駅から徒歩30分以上という立地にあっても訪れる人は後を絶たない。「ぶっとんでる」というのが、私の第一印象だ。
ここを訪れる人々には、近江八幡の風土を十分に感じてもらい、訪問をきっかけにして、いずれ「終の住処」となるような環境づくりをしていきたいと山本社長はいう。「たねや」の企業活動は、地域への深い感謝、そして故郷をいとおしむ溢れる情に支えられていた。
点として木を植え続け、次の世代へ申し送りをする道の途中、突然やってくる危機的状況で受け取る感謝の言葉に、あらためて必要とされていることを知る。物やお金を超えた循環が、「たねや」を作る人々の明日への勇気やエネルギーとなっている。
自然をお師匠さんに、生まれた土地から
山本昌仁社長(以下、山本さん):
「"ここで生まれた" ということですね。「たねや」が創業し、自分が生まれたところがこの土地であり、「たねや」の本部は将来においても近江八幡でないと意味がないと思っています。自然を利用するのではなく、自然をお師匠さんにする。ラ コリーナは私の生き方であり、「たねや」の考える方向性です。お客様から教えて頂くことは勿論大切ですが、一歩前へ進んで、私たちから発信できることはないか。そんな発想からラ コリーナは生まれました」
「私たちのやることは、美味しいお菓子を売ること" です。これについてはこれからも変わりません。そのためにはいい材料が必要不可欠です。(中略)「食」に携わるものとして、「食」をめぐる環境を少しでもよりよい状態にして次の世代へ送っていこうという気持ちです。(中略)汗水垂らして作っておられる方々の育てた小豆が、仲介業者の元で他の小豆と混ざって出荷されることはよくあります。けれど、それでは作る方にとって出荷の "たのしみ" がありません。私たちは、"これは○○さんの小豆で作った大福なんや" と言える商いをしていきたい。これから10年、20年を掛けて実現していきたいことです」
「幸いなことに、滋賀には十分な土地があります。最低限、滋賀のものは滋賀で賄えるようにしたいのです。ですから今、「たねや」は「農」を始めています。明日の「食」を守るため、私たちは、美味しいお菓子を作ること、つまりは、それができる環境作りから始めています」
「私とあなたとは、絆がありますでしょ」
− 人が集まり、組織を形成して目的に向かうとき、人の存在は機械的になりやすい。パフォーマンス(機能性)を問われる中で、"人間" であって "自分" であることを通り越してしまうのだ。個々人が合理的機能性を発揮することで、目的は達成され成長しているかのようにみえて、携わる人の人間性は損なわれ、正気は失われていく。気付けば、足元の土は命を失っている。そこに、本当の成長はあるのだろうか。
日々の忙しさに追われて人間性が損なわれると、何か「特別な接待」をしなければ関係を維持できないような恐れを抱くようになると山本社長は言う。だからこそ、日頃から各地の現場へ足を運ぶと同時に、自らを知ってもらうため、ラ コリーナは常に扉を開いて待っている。
互いの機能や作用のみならず、その背景やストーリーを共有することで感じられる心地よさや喜びが、何にも代え難い信頼になるという。「私とあなたとは、絆がありますでしょ」と支え合う関係があってこそ、収穫の有無や価格変動といった予期せぬ変化を乗り超えられる。
山本さん:
「(生産者の方から)「あなたのところには届けます」という約束をして頂けるのは、長い信頼関係があるからです。(中略)ラ コリーナをはじめた当初、"八幡山に勝手に何かするな"と言われたこともありましたが、新しいことを始める時は不安を抱かれて当然です。地元の方々と一緒に土地の整備を手掛けることで、荒れて鬱蒼としていた竹藪は美しい竹林となりました。(中略)みんなで行動していくと流れが大きく変わっていきます。そういった地道なことが大事でしょう。これは、日本人が元々もっている心です。上っ面のことだけやっていたら、パッと後ろを向いたら誰もいない、ということになり兼ねません」
「全て見せても、大丈夫な状況を作っておくということです。表裏を分ける境なく、どこであっても見て頂ける状態を保つ。ここは譲れないところですね。そうしていれば、自分から言わずとも第三者が魅力を語ってくれたりするものです。大手百貨店が相手であっても、顔色を伺って商売するのではなしに、自分たちの思ったことは好き放題に言う。相手も好き放題に言う。お互いに"一緒にやりましょう"というスタンスです。だからこそ、どんな状況でも続けていける。そうした信頼関係を作っていけることこそ、ほんまに有難いなと思いますね」
あるがままを信頼する
− 2020年、コロナでやむをえず全店舗を休業した時、「いつものお菓子はどこで手に入るのか」という問い合わせが殺到したそうだ。全国から届く声を受け、「人の命」と「経済の命」の両輪をなんとかして回していこうと、それまでのこだわりを手放して、新たな手法で営業販売を再開された。「本当に必要とされているのだ」という実感の中でこそ、「たねやブランド」という自ら背負った枠組みのイメージを取り払い、あるがままの姿であることの重要性に気付けたという。
山本さん:
「休業中、ドライブスルーで販売しよう、通販やコンビニのお世話になろうと現場の従業員たちが工夫をするんです。それまで、ブランドとしてこれは守らなあかん、こうでないと販売できないと勘違いをしていました。お菓子は"食べておいしい" という一本に尽きるのに、姿かたちを立派にしてブランドを作らなあかんと思い込んでいたことに気付かされたんです。必要とされるお菓子をいかに手元に届けるかという原点に立ち戻り、それまで、お客様に都市部へ足を運んで頂いていましたが、私たちが郊外に出掛けていきました。反響はとてもよく、厳しいコロナ禍を各地のお客様にすごく支えて頂いたんです。こういうことが商売なんだと、実感しましたね」
− 季節を迎えれば畑には作物が実り、その収穫で成り立つ農家の方々の暮らしがある。コロナで営業停止していた期間、売上がゼロになっても「たねや」は製造を続け、お世話になった人や医療従事者の方々、そして子どもたちへとお菓子を配って回った。
山本さん:
「2000人の従業員を抱えながら売上がないという状況でしたが、"工夫していけばいいんだ" と、幹部らと繰り返し話をしてとにかく製造を続けました。同時に、全社一丸となってコストコントロールをした結果、2021年には最高益が出ています。これまでずっと「たねや」をかわいがってくれた地元の銀行が、躊躇することなく貸付をしてくれたことも大きな助けでした。この先も何があるかわかりませんが、こうした関わりがあれば、なんとか工夫をしてやっていけるということです」
点であっていい。 種植えをしよう。
山本さん:
「この世が脈々と辿ってきた歴史に比べれば、私たちが生きる年月はほんのいっときに過ぎません。いっときを生きるに過ぎない人間界が、地球をこんなにも汚してしまった。豊かにあった自然を一瞬にして壊してしまって、地球はすごく怒っているんです。同じことを、次世代も繰り返すわけにはいきません。ですから、このいっときしか生きない私たちが、いかによりよい方向へもっていけるかを考えます。私の代で成果を出せなくてもいいのです。点であればいい。点として "種植え" をすることが大事です。神様からほんの一瞬お預かりしている身として、返す時には、少しでも綺麗にして返さなあかんというのが根本的な私たちの考えです。自分がよければいいという考えや、会社を自分のものと思っている限りはダメやと思いますね」
「この土地に生きてこられた方々のお蔭、先代を含むあらゆる先達のお蔭で 「たねや」はここにこうして在れます。その思いをもって、代々の当代がしっかりとやる。その連続だと思います。会社で業務に当たるにおいても、自分が在籍中に成果を出すことより、世の中のために一つでも多くの種植えをして、次の代に引き継げたならそれが全てだと思います。そうした積み重ねで、社会に必要とされる会社になっていくんだろうと」
「入社する従業員に常に問うのは、 "あなたはどういう死に方をしますか?" ということです。自分なりに考える "死に方" があってこそ生まれる "今" のあり方があるでしょう」
"自分の人生" を超えて、あるがままを信じて
山本さん:
「「たねや」は元々、木材屋として近江八幡の地で生まれました。時代背景に応じて扱う商材は木材から苗や種に変わり、後にお菓子屋となりました。変化を受け入れながら、その時その時の "いいとこ取り" をしながらも、諦めずにやり続けることが大事だと思います。持っている100を、"今やな"という時をよみながら配分する。つまり、我慢する時と攻める時の采配を上手にやる手腕が近江商人にはあったと思います。私たちも、「今や」という実現のタイミングを待っていることは山ほどあります。人は、社長になると会社を私物化しがちです。でも、自分のものとしていてはものごとは途絶えてしまうんです。執着せずにスパッスパッとできる環境が近江商人にはあったのでしょう。父が社長を退く時も、スパッと私に引き継いで、翌日から何も言わなくなりました。そうしたことを、私は代々の先達から身体に染みるように教わりました」
「創業以来、私たちにはマニュアルがありません。お客様を前にして、"自分の言葉" で返すことをやってきました。自分が食べて感じること、自分がそこにいて魅せられているものを、自分の言葉で伝えることこそが本物です。"自分になる" ということが「たねや」の従業員の教育の柱です。本当に相手のことを思いやるには、長所短所を含めた自分自身をよくわかっていることが大切です。そうして初めて、打ち解けて話せるようになるものです」
「日々を精一杯に楽しむ。ワクワク、ドキドキする環境が本社のテーマです。働く人たちが、今日は何かあるぞという気持ちで朝を迎えられるということですね。今、ここに見えている樹木一本をとってみてもそうです。(中略)"ここでこういう風になってやろう" とは思っていない。あるがままの姿を毎年毎年見せていって、数百年後にこうして私たちのシンボルの樹になった。元はお宮さんの参道の樹で、道路整備で伐採されるのを機に運んできたものです。あるべきことを、しっかりやっていって。信じることを、きっちりやっていって。日々を精一杯に生きて、前を見ていくということですね。目の前の事象で判断をしたら、邪魔だから切った方がええということになってしまう。そういうことじゃあ、ありませんよね」
「あんまり急がんと、それでも前に、前にと進めること、休まずやり続けることが大事なんやということを、従業員に常々伝えています。「私たちはこうしていきたい」を示しながら、次の世代へと申し送っていきたいと思っています」
『日常からはじまるサステナビリティー日本の風土とSDGs』
(2024 淡交社)企画鼎談より
* 書籍より引用のうえ、一部編集を加えています。
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