「ミクと水没都市」〜相対性を添えて〜
「ミクと水没都市」
プレイヤーは探索の中で「なぜタクが怪我をしたのか」、「この水没都市がどのようにしてできたのか」という真実と出会っていく。ストーリー自体は3時間程でクリアできる。
単調なので複雑なゲームをしたい人には向かないかもしれない。ただ、単調であるから、海の生物に想いを巡らせたり、水没都市に存在する小さな物語を見つけたりと、水没都市を感じながらプレイできる。そういう点で面白かったと思った。
ここで話は少し変わり、自分が想像したこと。
物語が大きく進んでいると、どうしても小さな変化に気づかないことがある。電車の窓から見える景色は、「家、電柱、地面、人」かもしれない。
でも散歩した時に見える景色は「道に生えたコケと、寂しそうに咲くたんぽぽ。寂しい背中を押すように次々に灯る街灯」かもしれない。
電車からの景色は多くを見られて、世界が広がっていくように見えるかもしれない。
散歩で見える景色は、一つ一つの小さなことが周りには溢れていると気づいて、世界が広いと感じるかもしれない。
どちらがいいとかではなく、どちらにもそれ独自の物語がある。
これ、昔知り合いと話した。
経営者として経営にのめり込んでいくのはすごく楽しい、でもそれをしていると色んな景色を感じきらないまま通り過ぎてしまっていることがある、と。
その時俺が言ったのは、「確かにそういう面はあるだろうけど、速い景色には速い景色なりに、小さな存在が現れてるでしょ。注意深く見れば同じことじゃない?だって、散歩は立ち止まっている人から見ればめちゃくちゃ速く進んでるんだもん」。
何かを選択すると何かを選択しなかったことになる。問題は、時間の速度はそれぞれにあるけど、それをどれだけ詳細に感じ取るかはその人次第だよね、ということ。
時間は相対的だ。
おしまい。
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