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うつ状態を診断され、休職した時の話

こんにちは、豊藏(@shotatykr)です。

普段はSEOとCROが強みのWebマーケティング会社アイオイクスにてWebコンサルタントをしています。

突然ですが、今日は今まで妻以外に話したことのない話をしようかなと思います。

それは、ぼくが仕事で誰も信じられなくなって、うつ状態になって1社目を退社した時の話です。

正直、消化できてるかなと思って書き始めたのですが、今でも当時を思い返すと少し苦しい気持ちになりましたw

キッカケはこのnote。これを見てふと書こうかなと思いました。

今日書くのは、新卒で私が辞めたエン・ジャパンの時の話です。

当時社会人2年目だったので、約4年ほど前のことですが、最初の数年は正直思い返すと恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいになってしまうので、なかなか振り返れなかったお話です。

我ながら、改めて文章を書くとなかなか恥ずかしい話ですが、適当に酒の肴として聞いてもらえると嬉しいなと思います。

我ながら、多分期待をされていた新卒時代

ぼくは2015年卒で、エン・ジャパンという会社に営業職として入社しました。

当時からだいぶ意識の高い(笑)新卒だったぼくは、人事の方からもだいぶ高評価をいただき、「よっしゃ仕事バリバリやってやんぞ~」と震えたぎってました。

最初の仕事は飛び込み営業とテレアポでした。400枚くらいある紙のリストを渡されて、そのリストを元にひたすら新規電話でアポを取って企業に訪問を繰り返しました。

最初こそ苦戦したものの、毎晩仕事が終わってからカフェに行ってテレアポの本を読み漁り、家帰ってからトークスクリプト考えて、次の日朝早くいって電話して・・・と繰り返しているうちにアポも取れ始め、だんだん商談の回数が増えてきました。

元々コミュニケーションは得意分野だったこともあり、それなりに成果も出て、1年目の中では割とトップクラス(トップではない)に位置していたのを記憶しています。

加えて、学生の頃から中小企業の社長インタビュー等を自分でやっていたこともあり、中小企業の社長さんとうまくコネを作っては営業をかけ、みるみるうちに売上や新規社数を獲得していきました。

2年目になった時は、会社で始まったいわゆる幹部候補研修?のようなものにも最年少で抜擢され、論理思考力やシステム思考、経営戦略や人事までかなり色々なことを教育コストをかけてもらって勉強、ディベートをさせてもらっていました。

その間、1年目の新人を3名ほど面倒みさせてもらったり、自分より年上の社内の人8人くらいをマネジメントしたり・・・と、我ながらかなり期待されていながら仕事に取り組んでいた記憶があります。

やればやった分だけしんどくなる。気づけば自分の実力を見失っていた。

元々、責任感が強いかつ、向上心の高かったタイプの私はとにかく早く色々な仕事が出来るようになりたかったのです。

だから、基本的に仕事にNoは言いません。

「売上目標ここまでやらなきゃアイツに負けるぞ?」と言われれば、その数値を取るために身銭切って営業かけてました(強要されたわけではないですw)し、部下がトラブればすぐに対応しましたし、研修にて「お前のここがダメだ。」って色々な人にボロクソに言われたら、泣きながらFBを聞いて修正してました。

出来なかった課題を一人で家で振り返り、残った仕事を持ってファミレスに行って、明け方までやったらファミレスの閉店まで寝て(6時くらいかな?)店員さんに起こされてシャワーを浴びてまた会社に行く日も少なくありませんでした。

休日、当時の彼女(今の妻)といる時も、仕事のことばかり考えていた私は日に日に話すのが面倒になり、「邪魔しないで!」と言いながら喫茶店に行って仕事ばかりしてました。(妻よ。すまんw)

今思うと、自分の実力値が無いままに、自分のキャパを超える仕事を受け入れすぎていたんだと思います。

「出来ない」って言ってしまったら、相手を失望させてしまう。周りの人たちが出来ているんだから、自分も頑張れば出来るに違いない。

そう思って、頼まれた仕事は全て受けて、少し周りの人から「大丈夫なの?」と聞かれても「大丈夫です!」としか答えなかった覚えがあります。

診断結果はうつ状態。すべての仕事を投げ捨てて休職となる。

そんな忙しい日々を繰り返していた時に、ある症状が出てきました。

・目的地と反対方向の電車に乗ってしまう
・いきなり体の震えが止まらなくなる
・頭が急にボーっとし、計算が出来なくなる

多分、わかる人は上の症状みるとわかるかと思います。

いわゆる「うつ状態」になりました。(薬も半年ほど飲んでいましたが、今では完治してます。)

事態が起きたのはちょうど4年前の8月。諸々のトラブルによって達成しそうな売上がいかなくなって、次の日までにやるべきタスクがかなり溜まっている中、頭がボーっとしたまま寝落ちしました。

早朝目が覚めると、ものすごい吐き気が襲い、トイレに駆け込みました。

(あ~、これは多分精神的な奴だな・・)

とその時になって初めて、今までの自分の症状に気づきました。

流石に妻もヤバいと感じたのか、妻に言われるがままに会社に連絡し、そのまま精神科に行きました。

テストと問診を経た結果、案の定、診断結果は「うつ状態」でした。

(余談ですが、”うつ”と”うつ状態”は違います。僕が行った精神科では、どちらの診断で書くか選べました。一度”うつ”と診断されてしまうと、社会復帰が厳しくなるとかなんとか話してた記憶があります。)

精神科から家に帰ってくるときは、頭の中で自分の情報を整理しきれない状態になり、とても怖い気持ちになりました。

家に帰って会社の携帯電話を見ると、不在着信が何件もありました。

いきなり休んでしまったのと、頭の中が整理されていないことと、携帯が鳴っているのがとにかく怖くて、携帯の電源を切り、布団の中でくるまって震えていた記憶が今でも鮮明に思い出せます。

そして、僕は「休職」となりました。

思い返すと、かなり無理をしていたし、結果組織に超迷惑をかけた。

実際、かなり無理をしていました。

ちょっとこれ無理かも...と思いつつ、何かチャンスがあると自発的に「やります!」とキャパを考えず引き受けちゃうんです。

求人ライターがいなければ自分で原稿こっそり書いちゃうし、売上が〇万円足りないって言ったら片っ端から電話かけて商品売るし、「今月はすみません...」と断られた企業に何度も飛び込みで訪問して出禁になったこともありました。

そんな中並行してメンバーのマネジメントして営業戦略考えて、自分で売上上げて、研修で課題図書を寝る間を削ってやっているのですから、「俺はこんなに頑張っているのに何で怒るんだ!」と上司と喧嘩したりしてました。

今思うと、完全に自己正当化してたな~と思います。(ここで冒頭で紹介したnoteの話に繋がってきます。)

今考えると、睡眠時間は極限まで削られ、プレッシャーを感じ、思考力は鈍り、自分が抱えきれない以上の仕事を安請け合いしてしまっていたんだなと思います。

結果として、いきなり休職したので数々の案件のアポイントや、自分が持っている担当の案件含めすべてすっぽかすこととなりました。

(あの当時関わっていた皆様本当にご迷惑をおかけしました。LINEとかメールとか色々来てましたが、当時の自分では抱えきれず全部フルシカトしましたすみませんm(__)m)

休職した後に職場復帰するという線もありましたが、申し訳ないという気持ちと、一回折れてしまった中再び復帰する勇気もなく、色々話をした上で結果退職することとなりました。

そんなことで退社をしたのが、1社目の企業です。

当時の経験の振り返りと学び

まず前提として、ぼくは1社目の会社はとても好きでしたし、たくさんのことを教えてもらいました。

色々しんどかったことはあれど、仕事量が多かったことを恨む気持ちは今では全くありません。

実際、今でも何人もの人とかかわりがありますし、結婚式のときは当時ご迷惑をかけた方含めてたくさんの人が祝ってくれました。

加えて、体を壊したタイミングで、当時取引をしていた社長様方から個人的に連絡を頂き、色々な仕事を紹介され、そのうちの一つでITコンサルの道を歩むことになり、それが結果として今の自分のキャリアにつながっています。

たった1年半の在籍とは思えないくらい、数々の学びがたくさんありましたし、その当時学んだ考え方や経験は今でも仕事に役立っています。

自分で今回振り返ってみて、あの時どうすれば良かったのかな・・・と考え直してみたのですが、今思うとかなりできたことがあるんじゃないかなと思います。

要点を振り返ると、以下の3つです。

・自分が限界を超えていることを正直に伝える
・責任感を抱きすぎない
・周りをもっと信頼する

です。長くなってしまいますが、一つ一つ解説します。

1.自分が限界を超えていることを正直に伝える

人には得意・不得意・できること・できないことがあります。

自分が少しずつ知見を蓄え、場数を踏み、数をこなすことで出来ることは広がっていきます。

ただ、自分のキャパの限界を決められるのは、最終的に自分しかいません。

結局身体が資本ですし、体が壊れてしまうくらいなら思い切って「限界を超えています」と伝える勇気が必要です。

当時のぼくは、自分の限界を見誤っていました。

いくら多少仕事が出来たといったって、たかだか社会に出て1~2年目の若造です。

目標に向かって頑張る姿勢は大事ですが、無理をして体を壊してしまっては元も子もありません。

当時僕は、周りのごく一部の人しか信用せず、あまり相談をしませんでした。今なら状況を考えて、「どうすれば仕事の負荷を下げられるか?」を説明できるような気もしますが、当時は打ち明けず、虚勢を張っていた覚えがあります。

自分の実力が満たないと思ったり、仕事のキャパがシンドイと思ったら、まずそのことを上司に伝えることが重要だなと思います。

2.責任感を抱きすぎない

これを従業員目線で語るのもなんですが、いくら言ったって所詮は一介のサラリーマンです。

責任感は非常に大切な気概ですが、責任感を抱きすぎることで自分の精神が参ってしまうなら、適度にサボったり、ゆるくするのもまた一つです。(これが経営者ならそうもいってられませんが・・)

責任感の強い人ほどうつになりやすいと言いますしね。

特に、睡眠時間を削ったり、自分のキャパを超えて仕事をしすぎると、普段の自分では考えないような思考・行動になり、高確率で失敗します。

実際、当時のぼくは、自分が辞めたら仕事が回らないと思っていました。

ただ、所詮は一介のサラリーマン、「辞めたところで代わりの人間は入ってくるし、その後も組織は回っていく。」仕事ってそういうものです。

責任感を感じるあまり、仕事を投げ出してしまったら元も子もないなと、今の自分は思えるようになりました。

3.周りをもっと信頼する

これは、組織の雰囲気などにも依存しますが、当時のぼくはもっと周りを頼るべきだったな~と思います。

組織にはたくさんの人がいましたし、色々な人がぼくを可愛がってくれていました。慕ってくれる後輩もいたし、背中を見せてくれる上司もいたし、すぐに相談に乗ってくれる先輩もいた。

そんな相手にもっと正直に自分の弱み含めて正直に発信するべきだったなと思いました。

人は、自分ひとりで考えると、どんどん思考の幅が狭くなります。

気づけば、悪い方向にばかり考え、ある程度追い詰められていくと、「身の回りの人間すべてが敵だ。」と思うようになります。

当時、ぼくのことを心配してくれていた人たちのことも、ぼくは全く信用していなかったですし、「こいつらもどうせ適当に話合わせてるだけだろ」と思っていましたw

人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、 がっかりするほど見ていなくはない

こんなタイトルの本がありましたが、この言葉は今のぼくがとっても好きな言葉の一つです。

もし、同じ状況に陥っている人がいるとしたら、まずは身の回りの信頼できる人に相談して、素直にフィードバックを受け入れることが大事かもしれません。

まとめ:色々あったけど、数年の時を経てやっと消化できた気がします。

ということで、今日はぼくの新卒時代の少し恥ずかしい話をしてみました。

正直、当時の出来事を俯瞰的に見れるようになったのはここ1~2年くらいのことで、色々な申し訳なさや、自分の情けなさを直視出来ず、この話を消化することがなかなか出来ませんでした。

当時の環境は、確かに厳しい、チャレンジングな環境ではあったものの、人は良い人たちばかりだったので、正直「たくさん期待してもらってたのに中途半端なやめ方をしてしまって申し訳ないな~」以外の感想が出てきません。

結果として、ぼくは次の会社にて3年くらい仕事をした後、今アイオイクスという会社にて色々なことに楽しくチャレンジさせてもらってますので、「後悔があるかどうか?」というと正直微妙なところです。

実は今でも時々、油断すると色々な仕事を抱えすぎてしまう事もあります、

ですが当時の経験を思い出し、自分が出来る範囲のこと、自分が貢献できることを少しずつ模索しながら、日々Webマーケティングのご支援や自社の取り組みを頑張っています。

というわけで、少し長い文章となってしまいましたが、ぼくがうつになった時の話と、その時の振り返りを文章に残してみました。

この記事が、過去お世話になっていた職場の人たちに、当事者意識が高すぎて、苦しんでいる人たちに、仕事が大変で悩んでいる方々に、少しでもお役に立つと幸いです。

次回からはまた、Webマーケティングのコンサルタントらしく、役に立つ情報とかを書いていけたらと思います!

最後までお読みいただきありがとうございました!

以上、豊藏(@shotatykr)でした!



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