「空気」を打ち破るダイバーシティ
ダイバーシティ推進が謳われて久しい。
国や一部の企業を中心にダイバーシティ推進が進められているが、現実として状況は有意義な方向に向かっているのだろうか。
多くの人がダイバーシティと聞いて思い浮かべるのは、「女性の社会進出をさらに進める」、「男性の育児参加」といったものではないだろうか。
であるとすると、私は現状ではダイバーシティというもの自体が十分に認知されていないのではないかと考える。
この投稿では、ダイバーシティについての一般的な情報を(知る限りで)まとめ、
私なりにダイバーシティが達成できた状況を示してその利点や困難さを明確にした上で、
実際に達成するために求められるものを記してみようと思う。
1. ダイバーシティとは
ダイバーシティを直訳すると「多様性」である。
一般に多様性というと、生物多様性を想起することが多いのではないだろうか。
ここで想起される生物多様性とは、「一定の範囲内に存在している生物種が多いこと」を指す。
単一の種が多数存在しているというよりも、多数の種類が存在する状態である。
多数の種類の生物が存在することではじめて地球の気温や気候をも安定させられている。
そもそも多様であることが生物が長く存在し続ける条件になっているようだ。
経営観点でいうと「多様な人材を活かし、その能力が最大限発揮できる機会を提供することで、イノベーションを生み出し、価値創造につなげている状態」である。
(参考:経産省資料)
単純に多様な人材が存在しているだけではなく、価値創造につながっている状態である。
こうして見ると、生物という単位であっても会社という単位であっても、集団が存続するために多様性の観点は必須であるように感じられる。
話を会社単位に戻そう。
実務的な考え方では、ダイバーシティ推進とは概ね以下の4つの壁を乗り越えることである。
・年齢の壁
・性別の壁
・国籍の壁
・ハンディキャップの壁
本当にこれだけ?というのはあるが、日本では一旦この枠組において検討をすることが多い。
2. ダイバーシティが進んだ状態
上記の定義を踏まえると、ダイバーシティが進んだ状態では、一つの組織内に多様な人材がいることになる。
単純に企業における状況を考えると、様々な年齢層の人(今までは退職していたようなシニアと新人等)が一緒に仕事をしたり、女性マネージャーの比率が高かったり、多国籍な人員配置がなされていたり、障がいを持つ方も一緒に働いている状態だろう。
ここで一歩踏み込んで具体的に考えてみて欲しい。
おそらく、今まで通りの仕事の進め方、働き方では通用しない世界が想像できるだろう。
・やっとこさメールでのコミュニケーションに慣れたと思ったら、LINEだのslackだのと新しいツールを使いたがる若手が現れる。
・今までは管理職が子どもの看病のために急に休むことなんて考えられなかったのに、遅刻・早退が頻繁に発生する。
・大事な会議の時間でも祈祷のために中座する人が現れる。
などなど、”問題”として捉えられるような状況は多発するだろう。
ダイバーシティでの困りごと
「今までこんな問題はなかったのに、わがままなこと言われちゃ困る」
「個人の事情のためにどこまで対応しなければならないのか」
そんな悲鳴が聞こえてくる。
実際に、学術的な観点でもこの状況は認識されている。
”Unraveling the effects of cultural diversity in teams: A meta-analysis of research on multicultural work groups”という論文では、下記のような議論がなされている。
Results suggest that cultural diversity leads to process losses through task conflict and decreased social integration, but to process gains through increased creativity and satisfaction. The effects are almost identical for both levels and types of cultural diversity. Moderator analyses reveal that the effects of cultural diversity vary, depending on contextual influences, as well as on research design and sample characteristics.
話したい部分だけ抜粋して訳すと
「文化的多様性は、タスクの衝突や社会的統合の低下によってプロセスの損失をもたらすが、創造性と満足度の向上によってプロセスの利益をもたらすことが示唆された」
ということらしい。
ダイバーシティを達成すると、(よく言われるように)複数の視点が入ることでチームの創造性が上がる。
一方で、上述のような混乱が起こるのもまた”よくあること”のようだ。
今までは暗黙の了解が機能していたため起こらなかった問題が発生する。
日々の細々とした意思決定にも今まで以上に相談や議論が必要になってくるだろう。
要はいろいろな価値観がせめぎ合い、小さな意思決定であっても常に複数の厳しい視線に晒されるようになるのだ。
これだけ聞くと怖気づく人もいるのではないだろうか。
しかし、それこそが私がダイバーシティによって価値創造ができる理由なのだと考えている。
思いも寄らない認識の不一致
楽観的に考えると、どれだけ多様な人がいようと同じ社内、全員の目的は一致しているはずだ。
会社のMissionの実現に向けて、自社の利益が最大化するよう全員が努力をしている状態である。
ところが、ダイバーシティが進んでいると、日常的な細々とした行動に限らずそういった根本的な認識すら不安になる。
実際何度も確かめなくてはいけないだろう。
・Missionに描かれた文言の理解は一致しているか?
・そもそもMissionが示された背景についての共通認識はあるか?
・Missionを達成するための方策まで価値観は一致しているか?
等々、普段は疑う必要が全くないようなことまで確認する必要が出てくる。
そしてあらゆる観点で何度も意見の衝突が起こるだろう。
繰り返し、「え、こんな事が伝わっていなかったの?」というようなやり取りも起こるだろう。
それでも乗り越えなければならない。
なぜなら、それは今まで「空気」に頼ってきた「ツケ」だから。
3. ダイバーシティが変えてくれるもの
ダイバーシティが推進されると「空気」で物事を進める習慣は壊滅する。
「空気」の研究という名著から、「空気」に支配されている状況の記述を抜粋しよう。
・ベテランであるだけ余計に、この一言の意味するところがわかり、それがもう議論の対象にならぬ空気の決定だとわかる
・決定を下すのは「空気」であり、空気が醸成される原理原則は、対象の臨在感的把握である。そして臨在感的把握の原則は、対象への一方的な感情移入による自己と対象との一体化であり、対象への分析を拒否する心的態度である。
・企業などは、自らを一種の鎖国状態におき、その密室内だけで、自らの内で通用する言葉だけで自己の未来を構成し、その構成された未来と現状との間で事を処理するという傾向も生んだ。
「ああ、あるある。」となっていないだろうか。
「なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか」でも似たような現象に対して批判をしていて、
その手法は理にかなっているのかもしれない。でも、なぜそれが理にかなっているのかという説明をしていません。問題に向き合うのではなく、問題をかわそうとしている。実質的には、こう言っているに等しいのです。『とにかく私を信じてくれ。この決定は多くの人が了解しているんだから』と。
とある。
※「空気」を読むのは日本人特有の悪い癖だという議論もあるが、海外の文献でも同様の傾向は確認されており、必ずしも日本でのみ発生している現象ではないようだ。
こういった「空気」に支配された状況を打開するには、「水」を差すしかない。
「水」を差すことは悪い意味に感じる人も多いかもしれないが、ダイバーシティが進むとその感じ方そのものが変わってくるはずだ。
「なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか」を再度引用すると
・健全な対話のために守るべきことを述べる。自分の経験に基づいて話すこと、他人の頭の中を安易に推測しないこと、といったものだ。
・「ホントに?」「それは理屈に合う?」といったことを話し合おう。
といった文化が推奨されている。
これはまさに「水」を差す行動だ。前述の、
・やっとこさメールでのコミュニケーションに慣れたと思ったら、LINEだのslackだのと新しいツールを使いたがる若手が現れる。
・今までは管理職が子どもの看病のために急に休むことなんて考えられなかったのに、遅刻・早退が頻繁に発生する。
・大事な会議の時間でも祈祷のために中座する人が現れる。
といった現象にも、自分の経験に基づいて「問題」認定する前に、
お互いに「ホントに?」「それは理屈に合う?」と話をして、解決策を考えればいいのだ。
コミュニケーションツールの変更なんて、それに合理的な理由があるのなら推進すればいいし、
管理職不在も、具体的にどういったタスクが滞るのか具体的にした上であらかじめ手を打っておけばいい。
宗教上どうしても外せない習慣があるメンバーがいるなら、チームの予定をスケジューリングし直せばいい。
こういった摩擦が起こる前提で、工夫をこらす事をはなから決めきってしまえば、大概のトラブルは大問題に発展することはない。
前述の論文で言えば、事前の準備次第で
タスクの衝突や社会的統合の低下を最小限にし、創造性と満足度の向上によってプロセスの利益を得る
ことは可能だと考えている。
一旦この壁を乗りきってしまえば、新たな価値の創造を享受できる。
今まで「空気」に支配され、思考が止まっていたところに「水」が差され思考がすすむ。
なんとなく、でその場を終わらせることができず、必ず合理的な判断が求められるようになる。
多様な人材の観点で合理的な判断であれば、それは組織として有益な判断になることが多いだろう。
また、社会が大きく変動しているような状況であっても
多様な人材を確保できている組織であれば、その変化に柔軟に適応することも期待できる。
まさにいい事ずくめ。
4. ダイバーシティを推進させるためには
前向きに、具体的に踏み込んでいけるよう、私なりにダイバーシティ推進に必要な要素をまとめてみた。
ダイバーシティ推進のために必要なのは
・アンコンシャス・バイアスの認知
・心理的安全性の確保
・組織の創造性を向上させる覚悟
の3つであると考えている。
それぞれ具体的に解説したい。
アンコンシャス・バイアスの認知
そもそも人間はほとんどの判断を無意識に行っている。
すべての小さな判断(椅子を引くために手を伸ばす、とか)をいちいち熟考していたのでは埒があかない。
それと同様に目の前に起こっている事象に対して、頭に浮かぶ考えというのもほとんどが無意識によって生み出されたものである。
この無意識によって生み出される思考は、個人の過去の経験や特性によって各々バイアスがかかっている。
これをアンコンシャス・バイアスという。
(詳細は参考書籍を参照していただきたい。)
まずは「誰もがアンコンシャス・バイアスを持っている」という事実を意識することが必要だ。
その上で、自分の勝手な思い込みを捨て、一人一人の意見や価値観にフォーカスすることが求められる。
・自分の経験の範囲で勝手に推測しない。
・必ず相手の話を聞く。
この2点を肝に命じる必要がある。
具体的な例は、「「アンコンシャス・バイアス」マネジメント」から引用してみよう。
・リーダーが、「良かれと思って判断したこと」や「良かれと思っての言動」「メンバーの気持ちをおもんぱかっての配慮」が、逆に思いもよらないこととして、メンバーを悲しませ、メンバーのモチベーションを大きく下げてしまうことがあるのです。
・「過去の似たようなケース」に照らし合わせて判断してしまいがちですが、 「一人ひとり、その時々により、メンバーの考えも事情も違う」 ということを、常にリーダーには意識してほしい
心理的安全性の確保
最近よく聞く言葉に「心理的安全性」というものがある。
心理的安全性とは、「他者からの反応に怯えたり、羞恥心を感じたりすることなく、自然体の自分をさらけ出すことができる状態」を意味する。
「1分間エンパワーメント」に、わかりやすい例があったので引用してみる。
・正しい選択肢を探すために議論している段階では、完全に対等に意見交換ができる環境を維持しなければならない。
・自分の発言が人事や評価につながってしまう懸念がある状態では、正しい議論はできない。
・「今日は無礼講で意見を出してほしい」という表現を聞くことがあるが、そもそも無礼があるというのは上下関係を認めた発言であり機能しない。完全にフラットな人間関係が定着している世界では、そんなことを言う必要もない
どうだろうか?
「ホントに?」「それは理屈に合う?」といったことを話すためには、マネージャーだから、役員だから、経験豊富だからといった背景を完全に視野から外す必要がある。
さらに、「それは理屈に合う?」と問うことが当たり前で、そのような根本的な問を行うことは”誰であっても”咎められないという原則が必要になる。
ダイバーシティが進んだ組織で行われる議論には、心理的安全性が必要不可欠である。
心理的安全性に関する理解を深め、その意味するところを真に目指さなければならない。
組織の創造性を向上させる覚悟
繰り返しになるが、ダイバーシティを推進させようとすると必ず摩擦が起きる。
これを乗り越えるには、組織の創造性を向上させようという揺るぎない決意が必要になる。
「こんなことなら元に戻せばいい」という声がでてくることもあるだろう。
そういった声に対しても、その先の姿をポジティブに伝えられるかどうかが成否を握る。
この覚悟なくして、ダイバーシティは成り立たない。
自分の組織で創造性を向上させたいのか、今一度振り返る必要がある。
創造性を向上させたいのならば、やりきるしかない。
まずは自らが覚悟し、そのビジョンを周囲に伝えていかなければならない。
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