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ベトナム戦争とトラウマ
臨床心理学の基礎を築いたジグムント・フロイト博士が精神分析を始めた当初は、「幼少時に受けた心の傷が神経症を引き起こしているのだ」と考えた。大人から身体的・性的な虐待を受けた記憶を、無意識の中に押し込めているために、その無理が神経症となって出てくるのだとフロイトは考えた。こうした、恐ろしい、ふだんしないような体験によって、心に生じた深い傷のことを心理学では「トラウマ」と言う。
ただし「トラウマがヒステリーの原因になる」というアイデアはフロイトの独創ではなく、フロイトの師にあたるフランスのシャルコーの考えを受け継いだものだ。フロイトはそこに「無意識」という概念を加えた。それが画期的だったのだが、しかし、フロイトはやがてトラウマ論を引っ込めた。。
親から身体的・性的虐待を受けるような事件が、そんなに頻繁にあるわけがない。トラウマのように見える記憶は、子どもの心が作り出した「心的現実」に違いないと考えたのだ。
このフロイトの方向転換に伴って、トラウマと心の病との関係についての研究はやや下火になった。トラウマが心の病気を引き起こすのは、あくまでもレア・ケースだから、それよりも欲望の問題について考えるほうが大事だと考えたのだ。そうした流れが急速に変わったのは、1970年代以降のことだ。
きっかけとなったのは、べトナム戦争だ。ベトナムの戦場で悲惨な体験をして帰還した兵隊たちの中に、ある種の神経症を発症する人が大勢いたからだ。その基本的な症状は、「過覚醒」と「感情鈍麻」の2つだ。ふだんは無気力な状態で、仕事もできずに昼行燈のように暮らしているのだが、ふつうは誰も気にしないちょっとした物音を聞いただけで、ビクッとして後ろを振り返ったりしてしまうのだ。
過覚醒と感情鈍麻は対極にあるような状態だが、それが1人の人の中に両立している。これを「戦争神経症」と呼ぶ。こうした症状が出るのは、戦場で負ったトラウマのせいだと考えられていた。どこから襲いかかってくるかわからないベトナム・ゲリラを相手に、命がけて戦っていたことを考えれば、退役後にふだんはボンヤリとした無気力人間でありながら、一方で常にピリピリ、びくびくするようになってしまうのもわかる。もちろん、戦争神経症はべトナム戦争が最初ではない。第1次世界大戦や第2次世界大戦のときにも起こったことだ。しかし、当時は戦争神経症を病気としてとらえるのではなく、「兵隊としての覚悟が足らない」とか「意気地なし」がそうなるのだと決めつけられることが多かったので、あまり注目されなかったのだろう。また、政府や軍部の側も、こうした戦争神経症の存在を隠していた節がある。
しかしながら、ベトナム戦争の場合は、反戦運動が盛り上がっていたため、以前よりも戦争神経症がクローズアップされるようになった。有名なところではジョン・レノンのように、反戦を訴える人々にとっては、いかに戦争が人間を苦しめるかということをアピールするうえで、この病気は見逃せないものだったのだ。不思議なことに、戦争神経症患者の中には、あえて戦争映画の残酷な殺戮シーンを見たがる人が少なくなかったという。
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