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「自分と向き合う、自分のための、自分を大事にする旅路」

つながりの学校という「すこし人生に余白をとって、自分とのつながりを取り戻す自己理解の学校」に入学し、6か月間の間に体験したことの記録。

充実した濃い6ヶ月間。勇気を出して入学して本当に良かったと心から思える時間だった。

同じように悩んでいる人が一歩を踏み出す手助けになれば良いなと思う。



入学するまでの葛藤、、、


他人に合わせて、その場の正解に近づこうとして自分が分からなくなっていた。相手の立場に立って考えることが多いのもあって、周りに対してイライラすることも皆の事情や想いがあるからしょうがないよねって全てを受け入れ過ぎていた。

周りを大事にしたい気持ちが大きいがために、自分を大事にすることとの境界線が薄くなってきていて、人間関係の中で何かあると自分よりも周りを優先するようになっていた。

一つ一つの行動が他人優先、違和感を薄っすら感じてはいるけど、その場ではどうすべきか皆はどう思うか、模範的で優等生な自分でいようとしていた。自分が心地よい選択は後回し。まずは相手、それが自分だと思って。

「自分がパワーを使うことで周りの人を傷つけてしまうんじゃないか、わがままになって孤立するんじゃないか」といった恐れも漠然とあった。

そんな日々を過ごす内に自分が何に喜んで、悲しいのか分からなくなって、何か満たされない日々が続いて、そんな自分でこれからも過ごすことが怖くて、いつになったらこんな日々が終わるんだろうと思ったり、今を生きてないぼやけて霧がかった感じがしていた。

今の現状を何とか変えたくて自己理解の本やyou tubeをみて自分なりに自分を知ろうとしたけど、頭を使って捻りだした物がどこかしっくりこなかった。出てきたものを仕事やお金に繋げようとすることや、メソッドに従ってワークシートをこなすことにも違和感があったりして。

一人で自己理解を進めることに限界を感じていた時に、主宰のみづきさんがしている「自己理解が深まるラジオ」に出会った。自然体、感性、体感を大事にしている考え方に惹かれる部分が多くあって、これなら自分の中にあるオリジナリティに繋がれるんじゃないかなって。

たまたまオンラインイベントに参加できる機会もあって、その場での誘導瞑想で自分の見える世界が大きく変わる体験をした。そこから、この人が創るものに触れたらどれだけ自分が変われるんだろうとワクワクした気持ちになっていった。

正直、どんなものが得られて、どんな結果になるか分からなくて不安も大きかったけど、主宰のみづきさんへの期待と信頼が大きくて、けんけんさんの想いを大事にして丁寧に聴いてくれるあり方が心地よくて、確証のない自分の直感を信じて飛び込んだ。

内面(身体感覚、感情、想い)を感じる


つながりの学校に入るにあたって立てた目標が「自分の感情や想いを大事にして表現しながら周りとも交わり合えるようになる」だった。

自分が何にワクワクして感情が動くのか知りたかったし、それを表現したい気持ちがあった。自分だけ本当の自分を分かっていれば良いと思っていたけど、自分が分からなくなってきている状態になってきていて。表現することへの恐れは大きくあるけど、自分の中にあるものを周りに表現したい気持ちが大きくなっていた、どんな方法や何を表現するかは分からないけれど。

入学時の目標を絵で表現
「自分の感情や想いを大事にして表現しながら周りとも交わり合えるようになる」


入学してから初めに大事にしたことが、自分の身体感覚・感情・想いを感じること。

「今の身体の硬さ、心地よい動き、呼吸、見える景色、聞こえる人や虫の声・風の音、臭い、ありのままの喜怒哀楽の感情、奥底にある想い。」

そんな内面で感じるものに意識を向けて日々の変化を感じる。いつものルーティーンや周りの雰囲気に合わせるんじゃなくて、今着たい服・食べたい物・使いたい食器・話したいことなど当たり前にしていることを自分の感覚に従って心と体が望むように選択していく。

いつもやり方だから、周りに合わせないととかで外側に意識を向けすぎて自分が心地良いと思う選択をしてなかったんだと気が付いた。心の声を聴いてなかったんだなと。

心の声・身体感覚に意識を向けることを重ねることで、自分の内側の変化により敏感になり、内側にあるものの形・色・場所やその変容を感じられるようになっていった。

どんな感情もあって良い、、


今まではネガティブになるのは楽なこと、全部昇華してポジティブである方が大変で強いことなんだと思って、何かあっても自分一人の中で内省して綺麗な想いやポジティブな感情をできるだけ残すようにしていた。

でも、ネガティブな感情に浸ることは本当はすごくタフなことだった。ネガティブな想い以外のことに手がつかなくなるし他のことも考えづらいし、何より苦しい想いがずっとある。

授業を通して、ネガティブな感情にこそ「自分の本当に大切にしたい願い」が詰まっていることを知りハッとした。

ネガティブな想いをなかったことにせず、自分の汚い声を出し切って、言葉でも絵でも表現したり聴いてもらうことでネガティブな感情が変容することを体感できたし、その奥にある自分の願いに気が付くことができた。

その願いに浸ることができると、そこからの行動や自分のあり方はそれまでと全く違うものになる。

相手を否定したり罵倒するんじゃなくて、暖かい想いから関わることができる。そんなあり方は多くを語らなくても相手にも伝わって、何とも言えない赤オレンジとピンクがかった、ホワホワした温かい空気が流れる。

ネガティブな感情が出るってことは、それだけ自分にとってはあって欲しかったものが無かったということ。そのあって欲しかった願いに繋がることができると相手との関わりを断絶しようとする行動にはならないんだと思う、暖かいものだから。

そういったことに気づいてからは、真っ白なキャンバスに自分の感情を表現するようになっていき、「どんな感情もあって良いんだ」と思えるようになっていった。

そうして色んな自分を含めていくことで、「自分の幹が太くなった感覚」が今はある、どっしり居られるような感覚。

今まで無いものにしていた感情を詰め込んだ絵


コーチングでは、父が亡くなったことへの悲しみについて扱ってもらうことがあった。

それまでは父のことを話そうとしたり考えると涙が出そうになって、もう20年弱も経ってるけど受け止めることが出来ていなくて実家にある仏壇にもあまり手を合わせられていなかった。

やっぱりコーチングが進むと言葉が出なくなって涙が止まらなくなった。

でも泣きながらも当時父親に対して言いたかったことや、今の自分が父親に言いたいことを全部出して、当時の自分に寄り添いながら声を掛けたり声を聴いたりすることで、悲しいだけだった感情が変容したり、今の自分がそんな父親や当時の自分も包み込めるぐらい大きく強いパワーを持っていると体感的に感じることができた。

悲しむこと泣くことを自分の中に含むことができた体験だった。そこから、悲しいこと悔しいことがあったら泣くことができるようになった。

悲しむことはあって良い感情なんだって体感的に感じた大事な体験だった。

父と当時の自分を包み込むイメージ

自分の想いや感じたイメージを絵で表現する


つながりの学校のメンバーとお互いに影響し合えたことも大きかった。

自分は皆のエネルギーや感情を色や形で感じることが多くて。前に進もうともがいているメンバーを後押ししたい・ケアしたい自分の気持ちに気が付くことができた。

自分の内面にあるものを「話す言葉・絵・メッセージ」として表現して相手に伝えることで、相手が自分の中にあるエネルギーに繋がって一歩を踏み出すことができたらなって。そんな衝動を感じて、絵とメッセージを渡すことがあった。

相手のためだけど、元は自分のため自分の想いに従った行動、すべきこと・しなきゃいけないことではない。自分の想いにしたがって動いてると感じた瞬間だった。絵を受け取ってくれた人が、喜んでくれていたり、感動して泣いてくれていて、僕自身も強く感動したし心が震えた。

太陽のような躍動感のあるエネルギーを絵に
綺麗で純粋なエネルギーを伝えたくて

一人じゃなく皆でいることの意味。


皆との関わりの中で、その人が自分の言葉で感情をこめて話す姿やあり方をみると嬉しくなる自分がいることにも気が付いた。

その人からどんな言葉が出るんだろう、どんな感情が溢れてくるんだろう、出てくるものを側で感じたいし一緒に楽しみたいと思う。

ありのままの自分を出している人がいると一緒にいるだけでエネルギーに当てられて楽しくなる自分がいる。逆に恐れや正しさの鎧をかぶって自分の中心に雲がかっている人がいると気になってしまう、何とかしたいし、心配になる、こんなものがあるよって伝えて後押ししたくなる。

この場では皆から自分が影響を受けて変わって、変わった自分に皆が影響を受けて、そんな影響し合うことの連続だった。このコミュニティだけじゃなくて、普段の生活の中でも世界でも地球規模でも起こっているんだろうなって感覚的に思えた。

感情が言葉や非言語に溢れ出ているメンバーからエネルギーを受け取ったり、純粋な想いを表現するメンバーを見て純粋な部分を諦めずに大事にしたいと思えたり、周りを大事にしたい想いが恐れとなって前に進めないメンバーを見て勇気づけをしたい自分の想いに気づいたり、言葉だけでなくどしっと居てくれるメンバーから安心感を感じたり、何でも行動の早いメンバーを見て自分も一歩を踏み出すことができたり。

皆と影響し合ったからこそ一人では分からない自分に気づいたし、行動もできたし、変わることができたと思う。

自己犠牲で無理するでもなくスキルを身に付けるでもなく、自分らしくあることで与え合えるものがあるんだって実感できた。

少しずつ変わっていく日常、、、


そういった日々を重ねることで、いつもの日常が変わっていった。

仕事では恐れから発言や行動できなかったことが、自分の衝動や想いを感じることで一歩踏み出せることが多くなった。

環境は何も変わっていないけど、目標にしていた「自分の感情や想いを大事にして表現しながら周りとも交わり合えるようになる」が少しずつ現実になっていった。

弱さを伝えて仕事を任せること。恥ずかしくなるような感謝を心から伝えること。感情ベースで話をすること。先の見えていない話を丸投げすること。腹立たしい想いを聴いてもらうこと。上司からの提案を自分の想いを伝えながら断ること。皆と違う意見を伝えること、提案すること。

直感的に湧いてきたことを感じて、想いや恐れと繋がることで、一歩踏み出せることが増えて表現の仕方が変わっていった。

今までは、今言うべきことやるべきことなのかを考えて、行動も発言も正しそうな部分だけを表現していた。だけど今は自分に湧いてきたものを自分の表現の仕方やタイミングで出すことが出来ていて、周りとの関係性も変わってきているように思う。


家庭では、しっかりした良い夫でいないと思っていたところから、自分の弱くて脆い部分も見せられるようになった。

何でも解決策を提示したり論理的に説明するだけじゃなく、自分の想いやあって欲しい世界を伝えて、一緒に考えて進んでいきたいと伝えることができている。

それは理想論じゃないの?、それでどうするの?、そんなこといわれても、、と言われることも多かったけど、、同じ方向を一緒に向いて少しでも近づけるように一緒に考えて進んでいきたいって想いを伝え続けることで、今では対話の仕方が変わってきているように思う。

先が見えなくてもあるものを伝え合って一緒に考えられる深い関係になってきている。


表現することって、言葉としてはすごく特別でハードルの高いことだと思っていたけど、自分の内面と繋がって感じたことを出すことであって、それの手段は何でも良いんだと今は思えている、言葉・絵・歌・踊り・料理・身体の動き・非言語のあり方・日記とか。色んな表現の仕方があるんだなって。

つながりの学校での体験を絵で表現

あってほしい世界


怒りの感情をコーチングで扱ってもらった時に、その奥にあるあってほしい世界に繋がることができた。

「年齢・性別・立場関係なく平等にありのままで関わり合える世界」があったらなって。そんな世界が楽しく感じて。フワフワ身軽で自由な眩しい世界。

解像度はまだ高くないし、自分にあるものでどんな手段を使ったらそんな世界を創れるか目指し方も分からないけど、身近なつながりからそんな世界を創っていけたらなと思う。

語らい合宿での集合写真


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