とろろめし
書肆スーベニアが加入している東京都古書籍商業協同組合(東京古書組合)の機関誌『古書月報』2019年10月号に「好きな食べ物 嫌いな食べ物」というテーマで拙文を載せていただきました。
古書月報は組合加入の古書店のみの閲覧を前提としており、本誌を一般のお客さんに見せることはできないため、掲載された店主の拙文をnoteで公開します。以下、掲載文。
「とろろめし」
書肆スーベニア 酒井 隆
浅草駅から東武線に乗るついで、待乳山聖天まで足を伸ばしてmadei(までい)で昼食をとる。「大根づくし定食」はぶた大根、大根の浅漬け、大根の味噌汁…と聖天様にあやかって全ての皿に大根を使っているのが特徴だ。この店はしっかり出汁と控えめの味付けが絶妙で、どの料理も滋味深い。
昼過ぎに東武線に乗り、北千住でJRに乗り換え、生まれ育った町までは約1時間半。東武浅草駅はホームが短く、車両が駅ビルに頭から突っ込んで尻がはみ出た様子には愛嬌を感じる。ホームを出てすぐに急カーブがあるため、浅草・スカイツリーの駅間はゆったりと隅田川を渡るのも気に入っている。
祖母の一周忌に向かうなか、思い出されたのは「とろろめし」だ。多くは長芋をおろした真っ白なそれを想像されると思うが、実家で祖母が出すとろろは茶色だった。すりおろした長芋を、すり鉢で滑らかになるまで更にする。そこへ粗熱をとった出汁つゆを入れ、また更にする。これをめしにかけて口に入れるとフワフワと軽く、するりと喉を落ちていくので何杯もめしをおかわりしてしまう。
「しぉれでは、はぢめサセていただきまス」先代の住職が早くに亡くなり、いまの住職はそれでも何とか修行は終えていたようで継ぐことができたと聞いた。若く、舌足らずな喋りには不安を覚えるが、これがお経を読むとなかなか良い声で響く。お経を読むのに良し悪しなど分らないが、先代の読経より眠くならないのは確かだ。
子供のころ食卓にとろろめしがあがると、祖父が「とろろはサブが好きだったなあ。戦死したサブ」と話すことがあった。サブは祖父の弟で、戦中に異国の海で船と共に沈んだようだ。祖父が亡くなる前に新調された墓誌にそのような経緯が刻まれていた。
「アイツがとろろを食べるときはよお、すぐめしがなくなっちまうんだよなあ。あれ?もうねえぞ?って」普段の祖父は寡黙で余計な話をしない人だった。戦争で足を悪くしていたこともあり、この世代には珍しく家中の掃き掃除や洗濯、めし炊きも進んで静かにやるような人だった。その祖父が、戦争で亡くした弟の話をにこやかにするものだから、聞かされるこちらは余計に悲しかった。
「それでは、ご列席の皆様の健康を祈って、献盃」義理の伯父の挨拶をきっかけに料理が運ばれる。親族が集まるとき、隣近所で会合などがあるとき、いつも刺身盛りや仕出しを頼んできた魚屋で、こうして座敷を借りることもある。食用菊、蛸、赤貝、海老、胡瓜を鯛の身で巻き、太巻きのように輪切りにした酢の物は見た目も良く、添えられた胡麻だれとの相性も良い。私は30年来これも好きだ。
思い返せば好きな食べ物は多くあるが、食べられないものが思い当たらない。そこらのスーパーマーケットで買える範囲の食材なら、大抵は食べられるだろう。何でも美味しく食べられるのは幸せなことだ。
これは育ての親とも言える祖父母のおかげだろうと、二人の位牌が並んだ仏壇の前で手を合わせた。