「心の病」への見解
どうもShoSeiです。
寝起きの機嫌の良さには圧倒的な自信があります。
今回は「心の病」についてです。
本当にここ最近ですが、心の病が問題視され始めて「私もそうだったんだ!」という人も増えてきていると思います。
僕は「心の病の治し方!」みたいな記事を書くつもりは全くもって無いです。
まず前提として「治らないもの」と認識しているので。
その上で僕個人の意見として、勝手に付き合い方や捉え方を発信します。
なのでいつも通り、それを知りたいと思ってしまう物好きの貴方に向けて投稿します。
寄り添って欲しい人や寄り添いたい人に、この投稿は向いていないので今のうちにお帰り下さい。(笑)
こんな感じで、毎朝「知っておいて損は無いこと」を勝手に発信していますのでよろしくお願いします。
教員の皆さん、「うつ病とは」みたいな授業やるくらいなら僕のブログをいくつか生徒に音読させた方が本質的ですよ!
いつも、スキやフォローやコメント感謝です!
まず僕の話からさせて貰うと、僕は心の病を抱えたことがあります。
先程の「治らない理論」でいくと、いまだに抱えています。
しかし、だからといって皆さんの気持ちは当然分かりません。
分かる側面が一般の人(心の病を抱えたことが無い人)に比べて少し多いだけで、気持ちや苦しみは分かりません。
現に僕は、死にたいと思ったことも無いですし。
これは良い悪いの話ではありませんが、「俺じゃなきゃ死にたいと思うんだろうな〜。」と本気で思っていました。(笑)
まあ、全く寝れなかったり風呂入れなかったり部屋から出れなかったり突然涙が止まらなくなったりとかです。
あまり無責任なことは言えませんが、上手く付き合えるようになって振り返るとこの程度です。
今回は「付き合えるから偉い」とか「付き合えないから駄目」という話ではないですからね。
さて、心の病は本当に心の怪我なのでしょうか。
僕は、どうしてもそうは思えない。
なぜなら、やっぱり「治らない」から。
完治なんてものは存在しない。
脚の骨折は治るけど、骨折したことによるサッカーへの恐怖は無くならないですからね。
まあ僕が元バスケ部なのはどうでもいいとして、こういうことです。
骨折をした選手は、骨折前より入念にストレッチをするだろうし体の使い方をより考えるでしょう。
ここに綺麗事は存在しなくて、付き合っていくしかありません。
普通に歩けていたのに、気づいたら車椅子が必要な体になるような感覚でしょうか。
普通の人が脚を使って歩いて進むのに対して、僕達は手を使って車椅子で進みます。
もう、お帰り頂いていると思うので言っちゃいますね。
「心の病は治ります!」とか言っちゃう人って、もう脚の神経が無くて車椅子で生きなきゃいけない人に「私も捻挫したとき車椅子だったけど、今は歩けるから貴方も頑張って!」って言ってるみたいで気持ち悪い。
って思う人もいるんじゃないですかね??(笑)
僕は「心の病は治る!」と無責任に言えてしまうメンタルを尊敬しているので、このような事は思いません!
あくまで、僕の想像の話です。
外野の話はこの辺にしときますね。
僕達は手を使って前に進まなきゃいけない訳ですが、人よりも脚の有り難さを理解しているはずです。
つまり、「生きる」ということを認識しているはずです。
認識している自覚がなくても、認識しています。
それが大切だと僕は思う訳です。
受け入れることは苦しいし難しいことですが、漠然と理解や認識することはそれに比べれば簡単です。
これが、僕が思う心の病との付き合い方です。
傷の付いた心や思考なのを認識して、自分なりに工夫することです。
人の工夫を真似してみてもいいじゃないですか。
最近、「心の病」の影響で「多様性」という言葉をよく耳にするようになりました。
僕はどうしても「多様性を受け入れるべき」という多様性を受け入れられない。
多様性とは「受け入れる」ものではなく、「そこにあると認識する」ものです。
心の病の当事者もその他の人類も、この認識があれば少しは楽なのにな。
絶対に有り得ないもの程、妄想してしまいますね。
今日もありがとう
いかがでしたでしょうか。
この前、友達が「イヤフォンの調子が悪い」と言うので「耳がおかしいパターンもあるぞ?」と言ったんですよ。
すると「しょうせいのそういう所凄いよな」と言われてしまって、多分すぐに別の可能性を模索出来る点だと思うんですよ。
なんか最近、こんな感じでフォロワーさんに長所と呼んでいいものに気付かせてもらう機会が多くて勝手に感謝しています!
また次の記事で会いましょう。
ありがとうございました。