ルピタ・ニョンゴの使い方『クワイエット・プレイス:DAY1』
ふいにnoteや映画鑑賞に飽きて、この夏は海やプールに多く行ったり、ソウルでクラブ・ホッピングしたりしていました。
だけど、夜風に秋の哀愁を感じ始めた途端、書きたくなったり、読みたくなったり、観たくなったりするんだから不思議!
昭和の体には「文化の秋」が深く染み込んでいるのねー。
というわけで、とりあえず2ヶ月前くらいに観た映画のレビューを書きます。この作品を最後につい最近まで映画館に足を踏み入れていませんでした。まあ、そんな時期もあるわよ。
音に反応して攻撃してくる(目は見えない)怪物に侵略された世界で人々が逃げ惑い戦う姿を描いた『クワイエット・プレイス』シリーズの3作目。
パート1、2は家族が主人公でしたが、今作の主役はルピタ・ニョンゴ演じる末期癌の女性です。
いや、ルピタ・ニョンゴよ。私、この映画を観る前からずっと地味に気になっていた、彼女のことが。
ルピタ・ニョンゴは長編映画デビュー作『それでも世は明ける』で、白人の雇い主から性的搾取をされる奴隷を演じて絶賛され、米アカデミー賞助演女優賞に輝きました。
こういう話をすると差別だ、ルッキズムだ、いろいろ言われそうで怖いんですけど、私、ルピタ・ニョンゴが世に出てきた時「あ、今までの黒人女優さんとは雰囲気がちょっと違うな」って感じたんですよね。
パワフルさ、ワイルドさ、セクシーさ、または歌が上手とかソウルフルとかではなく、華奢で繊細で愛らしくてグッドガールな雰囲気が漂うルピタ・ニョンゴなら、たとえば今までジュリア・ロバーツ、アン・ハサウェイ、エマ・ストーンなんていう系譜の白人女優さんたちが演じてきたような役も、とって変われるんじゃないかなーって期待したんですよね。
でもね。
デビュー以降、ルピタ・ニョンゴは出演作も多く、素晴らしいキャリアを築いているんですけど、フィルモグラフィを見るとだいたいが『怖い映画』『強い映画』ばかりなんですよね。
今回の『クワイエット・プレイス:DAY1』のルピタ・ニョンゴも、終始茶色のニット帽にゴワゴワのコートを着て、汗や埃にまみれながら逃げ惑うっていう。。。。
こういう役ももちろん良いんですけど、私、個人的には、美しくて可愛いくてファッションアイコンなルピタ・ニョンゴの、オシャレでライトなロマンチック・ラブコメディなんつーのも観てみたいんだけどなー。
黒人女優さん主演のそういう映画はやっぱり需要がないとされているんですかねー。ルピタ・ニョンゴなら、そこに風穴を開けられるような気がしていたんですけど。
ま、もしかしたらこの人は結構なフェミニストらしいんで、あえてそういうオンナオンナした役柄は受け入れないのかもしれないけど(勝手な妄想)。
ま、ともあれ『クワイエット・プレイス:DAY1』は面白いです。
末期癌でもう生きることにそれほど積極的ではなく、希望もテンションも低めの主人公の前に、突如、今、生きるか死ぬかの世界が現れて、彼女はどう行動するのか、彼女の中にどんな思いが生まれるのか、ただのサバイバルスリラーに留まらない、物語の深みというものがあります。
たぶんもう劇場公開はしていないので、なんらかのサブスクとかで、良かったら、ぜひ!