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大人のズルさを思い返す『ブギーマン』
7歳年下の妹がまだとても幼い頃、母や祖母は口酸っぱく「知らないおじさんに着いて行ってはいけない」と言い聞かせていました。
そのくせ妹が駄々をこねたりすると
「早く寝ないと知らないおじさんが来るよ!」
「そんなわがまま言うなら知らないおじさんに来てもらうよ!」
「泣き止まないと知らないおじさんに怒られるよ!」
と、突然、知らないおじさんと結束しだす始末。
私はすでに小学生でしたから「知らないおじさんに来てもらうって…知ってんじゃん」くらいに思っていましたが、妹には効果テキメンでした。
そんな私も一度だけ「知らないおじさん」を利用されたことがあります。
祖父が脚の悪い捨て犬を拾ってきてしばらく飼っていましたが、ある日、突然いなくなったので「どうしたの?」と尋ねると、祖母が慌てて「知らないおじさんが欲しいっていうからあげたのよ」と答えたのです。
私は「へえ」と納得したふりをしながら「ああ、捨てたか、保健所へ連れていったな」と直感しました。
「知らないおじさん」というパワーワードを耳にするや恐怖でギャン泣きする妹を不憫に思っていましたし、この大人のやり口はズルいと感じていましし、しまいには知らないおじさんにもちょっと失礼な気さえしていたので(よく知らない人のことを悪く言うなんて最低)、一度くらい「知らないおじさん知らないおじさんって、その話、嘘だよね?」と啖呵を切ってみれば良かったと今では後悔しています。そういえば「嘘をつくと知らないおじさんに怒られるよ!」っていうのもあったな。もう、何がなんだか。
wikipediaによれば『ブギーマン』とは「子供たちが往々にして信じている怪物で、子供が言うことを聞かない時にブギーマンにさらわれると脅して言うことを聞かせる」とあり、つまり我が家における「知らないおじさん」と同じ存在です。
しかも世界のさまざまな文化圏にブギーマンもしくはブギーマン的なクリエイチャーは存在していて、つまり「ブギーマン(知らないおじさん)教育法」は、古くからワールドワイドに行われてきた伝統的な教育法のようです。
そんな普遍的な存在ですから、ホラー映画界でも「ゾンビもの」「シリアルキラーもの」のように「ブギーマンもの」も多く存在します。だけど個人的に「ブギーマンもの」はあまり好みでないことがほとんどなんですよね。
「ブギーマンもの」の問題点は、まず、その名前です。
これは完全に日本人の、しかも私だけの問題でしょうけど「ブギーマン」って笑。どうしたってブギウギのリズムに乗って愉快に踊りだすコミカルな男性をイメージしていまいます。陽キャ。⇩これの男版。気が滅入っているときに出会ったら元気をくれそう。
あと「ブギーマンもの」は子供が絡んでくることが多く、子供が絡む近頃のホラー映画は、コンプライアンスの問題なのか、グロ描写が甘いので…まあ、私もあまり期待しないで観に行きました。
やはり今回の『ブギーマン』は恐怖の存在というより、人の心に潜む不安や悲しみ、弱さの象徴みたいな感じで、それを家族で結束してやっつけようぜ!みたいなテーマでした。そうなってしまうとグロ描写なんて期待する方がお門違いです。
しかも今回の『ブギーマン』はブギーマンというより四つ足歩行のドーベルマンみたいな感じで、それを「退治してやる!」なんて女性が銃を構えて乗り込んでいったりするから「いやいや、霊や悪魔に銃はないから」と思ったけど、撃たれてそこそこ負傷していました、今回のブギーマン。本当に生きているの?
『ブギーマン』は光を嫌い、闇に潜んでいるのが特徴ですが、ドアの隙間やクローゼットの奥の暗闇がなんだか気になって眠れない。映画の前半は、そんな恐怖が上手に表現されていたと思います。
いっそ『ブギーマン』より『知らないおじさん』というタイトルで、クローゼットの奥の暗闇に知らないおじさんが潜んでいる、そんな映画の方が100倍ホラーだな、なんて、幼き日々を懐かしく思い返しながら観ていました。
みなさんも、よかったらぜひ。