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ふたりのパパの物語『トラップ』

私くらいの世代のゲイが大好きな映画に1984年公開『Wの悲劇』というのがあるのね。


ゲイに好かれる一番の要因に大女優役を演じる三田佳子の存在がある。
やっぱり第一線の華のある女優が大女優役を演じることで説得力と生々しさが生まれるし、映画としての品格が醸し出されるのね。

これが例えば大女優役=丘みつこだったらちょっと違う感じになっただろうし、大女優役=東ちづるだったら「テレ東の2時間ドラマかな?」ってなる。まあ、それはそれでどちらも観てみたい気もするけれど。

んでもって、みんな大好き(知らんけど)M・ナイト・シャマラン監督の最新作『トラップ』ね。シャマラン監督に対する想いは以前に書いたけど、今年公開されたシャマラン監督の娘さんの長編映画監督デビュー作で、シャマラン監督は製作にまわっていたから、ああ、今後は娘にバトンタッチして裏方にまわるのかなーって残念に思っていたから喜び勇んで観に行きましたよ。なんたって私はいまだに「シックス・センスの感動をもういちど!」という、かすかな希望をシャマラン監督に抱いているタイプだから。


ジョシュ・ハートネット演じる父親が娘とある歌姫のライブに行くのね。娘がその歌姫の大ファンなの。だけど実は今世間を騒がしている連続殺人鬼がこのライブを訪れるという情報があって、警察だかFBIだかが完全包囲しているわけ。つまりこのライブ自体が犯人逮捕のための罠(トラップ)。

で、その連続殺人鬼は誰かというとこの父親なのね。
娘とライブに来た良い父親としての役割をこなしながら、連続殺人鬼としてこの壮大なトラップを抜け出そうと試行錯誤する、そういう映画です。

設定は悪くないと思った。
『シックス・センス』の感動が再び味わえる気はしなかったけど、クライム・サスペンスとしては面白い設定なんじゃないかなって、鑑賞前にはちょっと期待してた。

でも、ダメだったの。
何がダメって歌姫を演じるのがインド系の若い女性で、確かに歌は上手いし顔も可愛いんだけど「で、誰これ?」って感じなの。満席の大きなアリーナ会場を熱狂の渦に巻き込んでいるわりにはこぢんまりとしていてディーバとしてのオーラがない。まだ、東ちづるの方がオーラあるよって感じ。

で、これは誰かというとシャマラン監督の長女なのね(映画監督になったのは次女)。セレカ・シャマランという人で、シンガーソングライターをやってらっしゃるんだって。

みなさん私の娘の歌声を聞いてください!
私の娘の楽曲をたくさん知ってください(曲はすべて娘の書き下ろし)!、そんなパパ心がまるで隠しきれてないの。
だから、ライブの様子→パパが席を外してここから抜け出す方法を飛行錯誤する→席に戻る→ライブの様子→パパが席を外して…が永遠にループされて、人のライブでこんなに席を外す人いる?っていう不自然さで話がダラダラ進む。

なんなら歌姫の熱狂的なファンであるはずの娘さえも、父と一緒にライブの途中で席を外して呑気に飲み物買いに行ったりしちゃうからね。ねえ、大好きなアーティストのライブっていうのは膀胱が爆発寸前にでもならない限り、基本、席を外さないものだから。

娘の歌唱姿に時間を取りすぎた代わりに、物語の後半はかなりご都合主義な感じでポンポン進行していく。しかもライブが跳ねた後もこの歌姫は大活躍で、なんなら犯人を追い詰めたのは警察でもFBIでもなく彼女だからね。なんか知らないけど(知らないこともないけど)、殺人鬼の家に単身で乗り込んで行ったから。そして被害者の命を救った。

「うちの娘は、顔が可愛くて歌が上手いだけじゃなくて、頭もキレるし勇気もあるんですよー」

シャマラン監督の心の声が聴こえそう。っていうか聴こえてきた。

もうシャマラン監督ってば映画のクオリティ云々よりも、成人した娘たちの成功に手を貸すことに一生懸命みたい。映画の中の父親は父親業よりも殺人鬼業を重視している感じでどうしようもなかったけどな。

とりあえず「シックス・センスよ、もういちど」という私の想いはもはや風前の灯火。ようやくさよならできそうだよ、M・ナイト。今までありがとうね。いや。それでもまた観に行ってしまう気もするけれど。私は、別れがあまり上手ではないオカマだから。

よかったら、ぜひ。

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