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小説感想『クリスマス・キャロル』

チャールズ・ディケンズの小説です。思ったよりも短い小説でした。

1 躍動感

くそったれじじいの元に幽霊がやってきて、過去・現在・未来を見せたことで、じじいが改心する話でした。

一番驚いたのは躍動感です。幽霊がやってきて過去を見せると言われても、正直意味がわかりませんが、そういった現実的なことをこちらに感じさせる間もなく、あっという間に過去現在未来への旅が始まります。ディケンズにしては短い小説であることがまずここに生きていると思います。全く持って現実離れした展開を読者に納得させるには、きちんと納得のいく説明をするか、スピード感で持っていくしかありません。

まさかディケンズがスピードで持っていく側だとは思っていませんでした。

え、幽霊? と思った時には、既に空にいました。

そう、空です。スピード感は冒頭にとどまらず、幽霊との過去現在未来ツアーの躍動感も担っています。僕はイギリスに行ったことがありませんし、ましてや昔のイギリスの風景など知る由もありません。なのに、文章を読んでいるだけで、イギリスの上空を飛び、沼を超え、海に到達し、はたまた誰かの家の中に飛び込み、路地裏を駆けめぐる体験を、スクルージと共にできた感じがして、正直自分でも驚きました。躍動感を求めて古典を読むことなどないので、そこに躍動感があった時に、ここまで気持ちの良い風を浴びることができるのか、と驚愕したということです。

2 真っすぐに幸せを

これまでの人生で様々な小説に触れ、小説だけでなく様々な作品に触れるにつれて、僕の中で王道を避けるような心が生まれてしまいました。簡単に言うと、ハッピーエンドを見ると、そんなわけがないだろ、と思ってしまうことです。人間の世界に完全なハッピーエンドはないと気づいてしまったのでしょうか。ハッピーエンドが近づくと作品への興味が弱まり、変に頑固でリアリスティックな自分が湧き出てきます。

過去現在未来を見たスクルージがどういう自分の生き方を選ぶかが、物語の結末です。普通に考えて、スクルージが改心するだろうと予想がつきます。けれどもハッピーエンドに懐疑的な僕が滲み出てきて、それって面白いの?とか、それって作品としての価値があるの? なんて言葉で邪魔をしてきます。うっとうしかったです。あるいは、きっとそんな結末にはならないと、裏切りの展開を信じている自分もいました。

何年もかかって蓄積された物語に対する、「慣れ」は、あまりにも王道的な、あまりにもキリスト教的な改心で打ち砕かれました。スクルージはものの見事に改心し、ものの見事に周囲から歓迎されました。まごうことなきハッピーエンドと言えるでしょう。僕は驚きました。あまりにも真っすぐな幸せへの道を目の前に広げられて、それがいかに大切で、感動できるものであるかを再確認できたので。そんじょこそいらのハッピーエンドではありません、完全なハッピーエンドだからこそ、僕の心もまた改心したわけです。クリスマスが持つ幸せな要素を蔑ろにする作品を「クリスマス・キャロル」と名付けるわけがないですよね。

ハッピーエンドは簡単ではありません。普通に考えて改心するだろう、という僕の予想は、当事者を無視した、作品をたくさん観てきたという経験でしかありませんでした。無能な上司が仕事を語る年功序列と全く一緒ですこんなもの。過去現在未来を見たのはスクルージだけで、周りは変わっていません。スクルージは周りに頼ることなく、自分で行動を変え、幸せをつかみ取ったのです。情けない自分を見つめなおし、思い切って行動をした彼の振舞いは決して楽な道程ではなく、作品的な意味でも、バッドエンドやノーマルエンドよりもふさわしい納得ができる結末だったと思います。

ハッピーエンドをただ避ける作品の見方が打ち砕かれて本当に良かったです。

今年もクリスマスが近づいていますね。いつこのnoteを僕が投稿するのかわからないので、クリスマスが既に終わっている可能性もかなり高いものと思われますが、この作品を読んだからには言わないと気がすみませんね。

メリークリスマス、よいクリスマスを!



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