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映画感想『デューン砂の惑星PART2』
多くの人が、IMAXで観なければ損だとか、IMAXと2Dとでは全く違う映画になるなどと言っていて、ただのテレビで観た僕は、きっと本来の魅力を感じられてはいないのでしょう。
ただ、一作目をIMAXで観に行って、初めてIMAXで眠くなったという嫌な経験をして、二千円以上払って眠りに行くことが怖くなってしまったのです。実際PART2も、1程ではありませんが、ゆっくりとしたテンポで進み、絵も永遠と砂漠なので、IMAXで観たところで眠くなっていたかもしれません……。
未来が見えたところで
眠くなるという話は半分冗談で、非常に見ごたえがある映画でした。映像も素晴らしく、もっとしっかり戦闘シーンを描いてくれていたら、もっと好きになったことでしょう(単純)。
主人公ポールの成長譚かと思いきや、見方次第ではポールが破滅の道に進んでいるともとれる結末で、世の中の現実性を如実に表しているような気がしました。大抵の人は、力を持つ地位になればなるほど不潔な人間になっていきますから。
チャニと二人で仲良く過ごしてほしかった僕は、ポールが皇帝になり、別の女性を正妻とすることを決めた時には非常に嫌な気持ちになりました。
さて、そんなストーリーの中で何度も思ったのが、未来が見えることは今を生きる人にとって弊害でしかないということです。ポールは度々未来を見て、その未来に怯えて精神を病んでいきます。未来がいいものだったらまだしも、悪いものだった場合最悪ですよね。僕ももし大切な人が死ぬ未来を見てしまったら、行動することに躊躇うこと間違いなしです。自分の意思で道を選んだと思っても、結局は決まった惨酷な未来に行くのがわかっていると、見ていない未来までもコントロールされているような気がしますよね。
今作で最悪なのは、未来を見ることができるのは、ポールだけでなく、ポールの母もまたそうだということです。むしろポールの母の方が未来をしっかりと見ることができ、ある意味でポールを洗脳するかのように、見た未来に向かって行動を続けていきます。最早彼女の存在そのものが確定された未来に思えてきて、ポールの母が、ポールに南に行けと促すシーンは、まるでポールが理不尽な仕打ちを受けているかのように心が痛かったのを覚えています。
僕が運命論には反対です。反対したい派、というのが正しいでしょうか。運命論そのものを否定しているわけではありません。常日頃自分は自分の意思で動いていて、誰に決められたものではないと思っていますし、そう思うことが生きる力になっているので、運命論があって欲しくはないな、と思っているということです。
本当に運命が決まっていたとしても、僕は絶対に知りたくありません。例え決まっていても、自分でなんとかできると思い続けていたいです。そうでなければ、どこに生きている意味があるのかさっぱりわかりません。
そんな僕だから、ポールが運命に従い破滅の道を辿っているような展開に胸が痛くなるのです。未来なんて見るものじゃないと、未来を見る場面が来るたびに強く思います。
今回は、運命通りに動いてしまったポール。あれだけ悩んでいたのに、もう嘘のように最後は皇帝の言動をしていましたね。なんと痛々しい。今後次回作があるのなら、ぜひとも運命論を破壊する方向に物事が進んでほしいと思います。あくまで僕の欲求ですけどね。チャニだけは、自分の意思で動き、恋という感情に素直な部分が魅力的だったので、彼女がポールの運命を壊してくれるという希望を持っています。
物語の最後で砂の惑星から飛び出し、「聖戦」というものが始まることがほのめかされていました。そろそろ砂は見飽きたので、水や緑が見てみたい。