【長崎県】軍艦島に思いを馳せる
端島(通称:軍艦島)は、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産の一つとして世界文化遺産に登録。
その軍艦島への上陸は、過去に疫病やアスベストや台風による倒壊や時化などで度々突然の上陸禁止となる。
だけど、軍艦島が先月の2024年4月には住人がいなくなり半世紀(1974年閉山50年)の節目だったこともあり、今行かなければ後悔と上陸したい気持ちが先立ち遠方だが運を天に任せて行ってみようと決断、無事上陸できた。(わたしが入島した翌日は上陸禁止となってた)
お天道様にも感謝!
はじめに
軍艦島は、長崎港から18.5㎞の距離にある明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱で驚くほど栄えた島。
だけど、そこには信じられないほどの過酷な労働と引き換えに得た豊かな最先端の街と生活が存在していた。
かつての労働者は明るい未来を夢見て、危険を顧みず一生懸命働いてたんだなーと。
今でも課題の大切なエネルギー、現在の日本経済の基盤を作った先達たちのお陰と当時の労働力に思いを馳せ、今の暮らしに感謝する。
感慨深い。
以前訪ねた黒四ダムの過酷な労働(どちらもエネルギー)を彷彿とさせるが、軍艦島はわたしの中では日本の高度成長時代を知る国内旅行で印象に残るNo.1。
軍艦島の特徴
世界一の人口密度
島の広さは約0.063K㎡(東京ドーム約1.4個分?)に最盛期人口5,267人(1960年)で人口密度83,603人/K㎡、と国別世界一のモナコの人口密度36,686人/K㎡(2023年、面積2.02K㎡)の約2.3倍、東京都の人口密度4,786人/K㎡の約17.5倍となる当時は小さな島に世界一の人口密度を誇った。
過酷な労働と危険、豊かな生活が入り混じる
20世紀には「黒のダイヤ」と呼ばれた国内で最も高純度の石炭(瀝青炭)を採掘するため、海面下約1,000mまで坑道を掘削して堀り出したという。
海底では気温30℃以上、炭層40℃~60℃、湿度90%以上、ガス爆発の危険と隣り合わせ。そのような危険で過酷な環境下での労働、さらに汗だくで真っ黒になり地上に戻っても真水がないという劣悪な環境。
暮らしはというと、小さな島内には高層アパート、商店、小中学校、病院、寺院、旅館、映画館、パチンコ、小動物園、警察、遊郭、牢屋(治安は良く入れられたのは酔っ払いだけだったとのこと)、などがあった。お祭りもあれば運動会や文化祭、花火に盆踊りもある。今でいう究極のマイクロコンパクトシティーのよう。
しかし、海の上なので台風が度々上陸。波による危険は常に隣り合わせ。
一方、炭鉱夫の給与は概ね一般企業の2倍の約15万円/月と高いうえに、軍艦島の家賃光熱費等はタダにはできないという理由で10円/月。
仕事を離れれば、テレビの普及率は全国平均10%の時代に軍艦島ではほぼ100%、スポーツに娯楽に十分楽しむことができる豊かな生活を送れたよう。
日本初・日本一
当時は、この島から日本初や日本一が数多く生まれた。
日本初は、
・国内最古の「RC構法(鉄筋コンクリート)の高層アパート」
(1916年築で同潤会アパートより古い、その後7階に増築)
・世界一長い「海底水道」
・「屋上農園」
・「ドルフィン桟橋」
日本一は、
・「テレビ普及率ほぼ100%」
・高層階にある「小中学校」
・高層階にある「保育所」
船上で世界遺産を見る
ここからは、ほぼ写真です。
軍艦島到着&上陸
その他周辺の世界遺産
おまけ(世界新三大夜景)
初めての長崎の旅、見どころ満載なので今度は長期滞在しなきゃ!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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