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日本の外から来てくれた人に「やわらかな波」を分かち合うことができた京都滞在

いやぁ、よかったです、京都滞在。
とてもゆったりした時間を過ごしました。滞在期間は2週間強でした。

普段、自分がやっていることは「旅をしている」と表現されることもありますが、今回はたくさんの場所を巡ることもなく、滞在場所でひたすらゆっくり時間を過ごしました。ゆっくりすることができる場所があるのは、ただただ有難いです。泊まらせて頂いた場所の一軒目は荒神口あたり。二件目は太秦あたりでした。

大事だよなぁと思うのは平常心で生きること。日々過ごしていると、あれやこれや起こります。社会の波、周りで生じる出来事の波を受けて、自分の心にも波が立つことがあります。それらをいったん受け取めた上でその都度落ち着いて行動できたらと思いながら日々の一瞬一瞬を楽しんでいます。

今回、京都にやってくることになっていた理由の一つが「海外からやってくる友達をアテンドする」ことでした。私は大学時代に交換留学でカナダに1年間滞在していたのですが、大学があったのがフランス語圏のケベック州だったこともあり、留学してきたフランスの方々と多く知り合いました。その時代に出会った現在パリ在住の友達が日本に観光にやってくるというのです。

連絡をもらったのは2ヶ月くらい前で、彼から「その時、どこにいる?もし会えるなら、会おうよ」という連絡でした。しかし、その時点では私自身どこにいるかわかりませんでした。ネガティブな意味ではなく、私は1週間後にどこにいるのかわからないことがよくあります。未来の自分に行動を委ねて、「今」には方針を手放していることがよくあります。今回も2ヶ月先の話でしたので「わからない」でした。とりあえず彼に「タイミングが合えば会えるよ。東京かその近く、もしくは大阪や京都の関西圏にいる可能性が高いと思う。できるだけタイミングを合わせるし、ぜひ一緒に時間を過ごしたいと思っているから、引き続き連絡のやり取りを続けよう」と返信しました。

時間が流れ、直前のやり取りを経て、どうも私は京都あたりにいる時に彼を迎えることができるらしいということがわかりました。会う日程が決まったのは、実際に会った日の3日ほど前です。

当日、どこに行こうか?ということを考えましたが、「相手が行きたいところがあるかもしれない」「相手が疲れていたらプランを変更した方がいいかもしれないな」などと思い、京都のことを調べて複数のパターンを思い描いた後、頭をまっさらにして会うことにしました。会ってから、やっぱりこのルートだな〜と思った「哲学の道」方面の散策を提案し、そちら方面のバスに京都駅から乗りました。

南禅寺あたりに着き、散歩をしているうちに南禅寺の脇にある場所へ。この場所には10年前くらいに行ったことがありましたが、そもそも今回は思いついていませんでした。ですが歩いていると流れが起こるものですね。ポンッとそちらに歩く感覚が生まれ、たどり着きました。

その後は山縣有朋の無鄰菴(むりんあん)へ。お庭の綺麗さにため息をつきながら、ただそのお庭と一緒に時間を過ごしました。

東山を借景したお庭(無鄰菴)

友達と一緒に庭を眺め、時に目をつむって風を感じました。雲の流れはゆるやかで、庭に流れる滋賀県から流れてきた水の音が直接心に届くかのようです😌

このお庭で生じてきた感覚には見覚えがありました。私が生活する上で、指標にしている感覚です。日々の雑念から放たれ、降りる感覚。焦ることなく、息を深く吐きながら、深く知覚することができました。

そうそう、この投稿は波と平常心というキーワードから始まりましたが、今回いい感じだったのは、いつもの自分の波を分かち合うことができたことでした。生活の中で生まれているフラットな感覚をそれが生じやすい環境と共に分かち合うことで無理なく楽しんでもらえたような気がします。

一緒にどら焼きを食べました

友達も「とってもいい時間を過ごせたよ。ありがとう!」という反応で、「あぁ、良かったなぁ」と満足することができました。

友達を送った後は、キラキラとして夕日の色に染まっていく水面を横目にしながら、軽やかな足取りで帰りました。草むらの中から秋の虫たちの声が聞こえます。素敵な秋の日々を送ることができますように✨

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