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スピノザの診察室/積読日記
今回紹介する本は小説なので、「はじめに」もありません。単行本なので「あとがき」も「解説」なし。よって今回は通読しての感想になります。
こちらの本と出合ったのは、非常勤教員として週一回通っている高校の図書室で(私の授業は図書室に併設の視聴室みたいなところで開催している)。
「神様のカルテ」シリーズで人気の夏川草介さんの作品ですが、私はあいにくこのシリーズは読んだことがなく、本書が初体験。それでも惹かれたのはスピノザという哲学者の名前がタイトルにあるのと、小説の舞台が今私が住んでいる京都であるという点でした。
ストーリーラインはよくあるパターンで、もともと大学病院で医療の最先端で活躍していた主人公が、いろいろな事情で町医者となり、様々な患者や関係者とのやり取りの中で進んでいく内容。
そんな王道のストーリーなのですが、通読してみて、私なりにお薦めポイントを2つご紹介します。
全てのビジネスパーソンに通じる、仕事への向き合い方
この作品には、二人のプロフェッショナルが登場します。
一人は元大学病院の医局長であり、今は町医者であるが超一流の臨床医である主人公、雄町哲郎。
もう一人は、かつて哲郎が勤務していた大学病院で若くして准教授までのぼりつめ、医療の最先端を走る花垣辰雄。
二人の立場は今は両極ですが、当時も今も、厚い信頼で結ばれた、相棒ともいえる関係性です。
町医者の哲郎は助かる見込みのない、最期を看取る患者の往診や一時的な延命の手術を行う立場、一方花垣は、海外でライブ手術を依頼されるような、将来有望でスポットライトの真ん中にいるような医者人生を歩んでいます。
「医者」という同じカテゴリーでくくられる職業ですが、実際は現場の一兵卒の営業パーソンと、世界金融を動かす投資案件の担当者くらい違うかもしれません。
ただ、その二人の姿を、後輩である若手の医者がこう語ります。
花垣と哲郎はまったく違うタイプの医者だ。性格も、進む道も、その道の歩み方も。けれども、二人が見ているものは同じなのではないかと思う。それが何かと問われば簡単には答えられないが、同じ方向を向いているからこそ、強固な信頼感でつながっている。
二人が見ている先には一人の患者の命があります。患者を生かすために最善の治療法を試す一方、死に至る患者の人生に寄り添い、穏やかな残りの人生をサポートする。
立場や境遇は違っても目指すところは同じ。これをまさにプロフェッショナルというのではないでしょうか。特に二人の様な権威の頂点に上り詰める途上の人間、また死という抗いようのない現象を目の前にして、なすすべがない状態を日常的に見せつけられている人間、どちらも、本来理想とされる医者の信念から外れてしまう人はたくさんいるのではないでしょうか。
それは医者というある意味特殊な職業だから、なのではなく、私たちのようなビジネスパーソン、職業人にも当てはまることなのではないか、そんなことを思わせられます。
京都の街の季節と深さを感じられる
こちらは若干個人的なお薦めポイントではありますが、現在私が住んでいる京都の風景描写がとても美しく描かれています。
観光地としての京都ではなく、生活している目線からの京都の街並みが描かれています。もちろん、誰もが知っている名所を押さえつつ、観光ではなかなか通らないであろうルートや、住んでいる人だけがありありと思い描ける
風景を丁寧に書いています。
また、物語上の季節は夏から秋にかけての数か月間で、京都のうだるような真夏の暑さから、すこし暑さが揺るぎ徐々に秋らしさを帯びていく季節の移り変わりが、ありありと感じられます。特に私が読んだのが9月終わりから10月にかけてなので、まさに物語と同じ時期でしたから。
そんな京都の描写の中で、印象的な言葉を最後に引用して終わろうと思います。
「それにしても、こんな場所があったんですね。京都にはもう5,6年住んでいますが、いまだにいろいろ驚かされます。」
「この町は、広いというよりも深いのです。とても深い……」
おわりに
この作品は2024年本屋大賞第4位、映画化決定ということでかなり人気の一冊だと思います。逆に高校の図書館で上位ランキングに入るくらいですから、大人よりも若い方向けの作品として扱われているのかもしれません。ただ、私はこの積読日記で書いた通り、ビジネスパーソンにこそ読んでほしい一冊だと思いました。
この作品の中で表現される、患者に、死に向き合う医者という職業の苦悩は、私たちの様な他の職業でも程度の差はあれ同じで、葛藤を抱えてて生きている、そして今後も抱えて生きていこうとする人たちに向けて、少しの勇気をくれる作品だなと。ぜひ手に取ってみてください。