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追悼、志村けんさん

志村けんさんが亡くなられた。今朝ニュース速報で知り、しばらく言葉を失った。こんな形で亡くなられるなんて、想像もしなかった。

ひとみ婆さんが大好きだった。もちろんバカ殿様も。柄本明さんとの掛け合いなんて、ほんと最高だったな。

繰り返しのマンネリの美学、大好きだった

ゲラゲラ笑った記憶というものはとても強く脳裏に刻まれているものだ。小学2年生の時に、自宅に友達が遊びにきて、カレーを食べながら「ドリフ大爆笑」を見ながら、まさに大爆笑している記憶がよみがえった。

お笑いはもちろんそうだけれど、一番影響を受けたのは志村さんの本だ。写真の本は、確か24歳の時に購入したものだ。もう15年近く前になる。引っ越すたびに本を捨ててきたにも関わらず生き残っていた。それだけ影響を受けた本だった。捨てることが出来なかった。

故人を前に大変失礼なことを書いてしまうが、この本を読む前までは「お笑い」という仕事なんて、なにか適当にぶっつけ本番のようにやっているんだろうと考えていた。しかし、この本を読んで志村さんが裏でどれだけ努力をしていたか、芸能界という厳しい世界でいかに頭を使って地位を確立していったかということがよくわかった。時代の流れにも敏感で

・ちょっと前の常識、いまの非常識

なんて名言もあった。それと、一番びっくりしたのは

・準備こそ全力投球

・どんな時でも仕事の時間前に現場に入る

という言葉だ。あれだけの人でも、いや、その習慣があったからこそ、あれだけの人物になったに違いない。

・笑顔がいけてない娘はダメ

なんて名言だな。ぐりぐり赤鉛筆で線を引いていた。そして、最も勇気をもらったのは、

・考える前に、まずマネしてみる

という言葉だ。その頃、私は建築専門学校の学生で建築をいかにやって発想して設計していくかということを四六時中考えていた。自分にはたいした発想力なんてないんじゃないかと、絶望する時もあった。しかし、

志村けんさんほどの人でさえ、やはりまずはマネをするんだ

と、意外だったし、とても勇気づけられた。その後、創造は模倣から生まれるということも知った。

志村けんさんから学んだことは数え切れない。色々書いたが、志村さんの最も大きな偉業はこれしかない。


日本中、いや世界中の悩める人々を笑顔にして、時にその人々の人生さえも変えたこと。


志村けんさん、本当にありがとうございました。これからも、まだまだあなたから勉強させていただくことがありそうです。

どうか安らかにお眠り下さい。



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