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AIアシスタントはクチャラーを放置するべきか

マクドナルドでコーヒーを飲みながら本を読んでいたら、近くに座っていた30歳くらいの男の人が、携帯電話の画面を見詰めながらクチャクチャと音を立てながら食べていて、もう少し技術が進歩して、AIアシスタントみたいなものがより一般的に使われるようになるのだとしたら、カメラとマイクで持ち主をチェックしてあげて、「クチャラーになっていますよ」とか、「今キモい顔になってますよ」とか、「舌打ちの音が大きかったですよ」とか、「不機嫌そうな顔になってますよ」とか、そういうことを検知するたびに通知してあげたりするといいんじゃないかと思った。

そういうことは、他人に言われるより、AIアシスタントに言われたほうが、はるかに不快感が少ないのだろう。

その通知エリア内に「確認する」ボタンがあって、クチャクチャ動画とか、キモい顔の動画で確認できるようになっていたりすれば、動画を確認して、これくらいは他人に迷惑をかけていないはずだとフィードバックを送っても虚しいだけだし、みんな現実を受け入れるしかなくなるのだろう。

匂いセンサー的なものが搭載されるようになったなら、体臭もチェックして、匂いがきついときは毎回通知するということもできるのだろう。

風呂に入ると下がったり、いつものスーツを着ていると上がったり、柔軟剤の匂いが強すぎるたびに通知が出たりすれば、ちゃんと計測されたうえで臭過ぎると指摘されていると思うしかなくて、逃げ場もないのだろう。

自分で気が付いて、今まで恥ずかしかったなと思いながら気を付けるようにするのが一番傷付かずにすむのだし、そういう意味では、AIアシスタントに指摘されるのが、一番自分で気が付くのに近いのかもしれないし、一番素直に気をつけておいたほうがいいんだろうなという気持ちになれそうにも思う。

もちろん、そんなことをAIに指摘されるのは不愉快だと、そういう通知をオフにする人もたくさん出てくるのだろうけれど、企業なんかでは、マナーとか身だしなみに問題がある人にハラスメントにならないように指導するのに苦労しているのだし、むしろ積極的にそういうものを使ってもらいたがるのだろう。

営業職とかオフィスで働く人たちなんかは、会社から強制で、会社が最低限のマナーレベルとして設定したマナーアプリの設定を携帯電話やパソコンに入れさせられるようになるのかもしれない。

「相手の話を遮る頻度が高いです」とか「相手の声量に対して声が大きすぎます」とか「鼻毛が出ています」とか、朝から脂ぎっていたら「皮脂汚れが落ちていません」とか、匂いやクチャラーや舌打ち以外にも、いろいろ通知できることはあるのだろう。

そうなったなら、世の中から不潔感を充満させたおじさんが一気に減っていくのかもしれないし、おじさんの不潔さや配慮にかけた振る舞いや仕草に不快な思いをしてきた人たちは、とても喜ぶのだろうなと思う。

けれど、そうやってみんながお行儀がよくなっていったとして、それは素晴らしいことなんだろうかと思う。

躾けられすぎた犬と、最低限の躾はされつつも、楽しいときにはぐるぐるしながらぎゃんぎゃん言って飛びかかってくる犬と、その犬が発する喜びのエネルギーの大きさはずいぶんと違っているし、どうしたって躾けられすぎていない犬のほうがかわいいものだろう。

今ですら、おとなしくさせられている気分にすっぽりと包まれて生きている人がたくさんいるけれど、そういう顔をした人の割合がどんどんと増えていくことは、そんなに素晴らしいことなんだろうかと思う。

自分が行動を選ぶ前に正解を提示されるというのは、つまらないことだし、やる気を失わさせられることなのだ。

何をするときでもAIアシスタントがその行動で損をしないかチェックしてくれるようになったとして、そのとき人生はどんなふうに変質するのだろう。

AIアシスタントが提示する、統計的に根拠のある、妥当性の高い行為とか振る舞いに対して、一概にそうともいえないはずだとあれこれフィードバックを返し続ける人なんて、ほとんどいないのだろうと思う。

そして、多くの人がAIアシスタントの提示のとおりに振る舞うようになるほど、AIアシスタントの提示する行動はより有効性が高くなってしまって、不特定多数に向けて行動するときには、AIアシスタントの提案に従わないことで損してばかりになってしまうのだろう。

俺は放任主義的に育ててもらったし、他人のお行儀のよさみたいなものに子供の頃から嫌悪感があったし、誰に対しても、その人の好きなように振る舞ってほしいなと思っていた。

まわりに合わせてばかりいても平気な、多数派女子の中に違和感なく混じっていられるようなタイプの女の人とは、学校とか会社でにこやかに喋るくらいの関係にはなれても、付き合ったことがないし、二人でお茶をしたことがある人たちの中にすら、そういう人はいなかったんじゃないかと思う。(※マッチングアプリで知り合った人を除く)

それくらい、俺は今までずっと、自分の好きにしたいという気持ちが強くない人には興味も持てなかったし、親近感も湧いてこなかったのだ。

そういう感じ方の人間にとっては、俺の世代ですら、お行儀がよすぎるように感じる人はけっこういるし、若い人だともっとそういう人は増えていそうなのに、AIアシスタントによって、これ以上人々がお行儀がよくなるように躾けていくようなことをされると、すんなりと好感が持てる人が減りすぎて、毎日街を歩いていてうんざりすることになってしまう。

クチャラーがそばにいると、AIアシスタントでクチャラーを根絶やしにできそうだなと思って、それは意外といいAIの使い方なんじゃないかと思ったりもするけれど、損する行動はしないほうがいいですよとAIに指摘してもらえばいいという発想の先には、無限に統計的な正解をなぞり続けるのが一番損をしない生き方になるという地獄が待っているのだろう。

きっと俺だって、そのクチャラーに対してなんだかなと思ったのは、周囲の人たちが自分の口元に繰り返し嫌悪感を向けてきていたはずなのに、それに違和感を覚えることがなかった人が、そういう種類の鈍感さを全開にして、携帯電話の画面を凝視したまま、片手間のように食べている姿が嫌だっただけなのだ。

実際、中国人がみんなでくちゃくちゃしていても、俺はなんとも思ってこなかったのだ。

みんなから嫌がられているのに自分で気が付いて、自分でそれを直すのが、集団で生きているんだから当たり前のことだろうとか、そういう感じ方を俺も当たり前にしているけれど、それ自体が充分に他人にお行儀よさを求める感じ方なのだろう。

人間という動物が知能を発達させて、いくらでも悪巧みできるようになっても、人間と人間とがそれなりにましな感じに結びついていられているのは、人に嫌がられると悲しいという感情があるおかげなのだろう。

かといって、それを無限に推し進めると、他人に無限のお行儀のよさを求めることになっていく。

ひとを不愉快にさせたり、ひとを嫌な気持ちにさせるくらいのことは、そういうことをするほどみんなから嫌われるのも含め、その人の勝手だと思っているべきなのだろう。

本当に嫌だったら、その人との人間関係のうえで、やめるように言ってもいいし、殴ってもいいし、集団から追い出してもいいし、それだって、自分の嫌なことをやめさせたい人が自分の好きにすることなのだ。

きっと、俺もそうだけれど、多くの人が、つい思考停止するたびに、嫌な気持ちになる人がいるのだからそういうことはしないようにするべきだと思ってしまうのだろうけれど、そうではなく、いつでもちゃんと、みんな自分の好きにするだけだと思っていないといけないのだろう。

何かをまるでマナーであるかのように思って、他人がマナーを守っていないというように感じることは、世界をつまらない場所にしたがっているような気持ちの動き方なのだ。

嫌だなと思うのは俺の勝手で、嫌だと伝えたいのなら伝えればいいし、そうしないにしても、自分は何がそんなに嫌なんだろうかと、嫌だなと思いながらその人を眺めていればいいだけなのだ。

嫌だなという気持ちがその奥で動いている顔でその人を見ているのだから、その人も、嫌な顔をされているのを感じたのなら、そのときの気分とか疲労具合にもよるにしろ、何かしらを思うのだろう。

そして、その人が何を思っても、そう思ったのは本当なのだし、その人の好きにすればいいのだ。

逆に、俺が何かを思って何かをしているときに、俺の好きにすればいいと思ってくれなくて、普通どういうふうにするのだから、ちゃんとそういうふうにすればいいのにと思われてばかりになるのだとしたら、生きる意欲を失うくらい最悪なことだなと思う。

そう考えると、AIアシスタントにみんなから嫌われないようにアドバイスされながら生きるようになる未来というのは、人から嫌な顔をされる機会を最小化できるだけで、とてつもなくつまらない未来像ということになるのだろう。


(終わり)

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