高校における政治教育と教員の政治的中立性
この4月から、多くの高校3年生は誕生日と同時に成人になります。
しかし、遡ること6年、2016年から選挙権が18歳から認められるようになり、高校生が投票する制度はスタートしています。
その間、様々な政治への参加を促す教育を成されてきたようですが、依然として若者の投票率は低い状態が維持され続けています。
この問題に関して、高等学校における政治教育の観点から私見を述べたいと思います。
10代の若者も低い投票率
実際のデータを確認します。総務省のHPからのものです。
これを見ても、直近の令和3年の衆院選においても、10代の投票率は43.21%であり、30代の47.12%を下回っていることがわかります。
流石に20代の36.50%よりはやや上回っていますが、それを持って多いとは言えないでしょう。
この数値から、高等学校では政治教育が実際に行われているにも関わらず、それを現在進行系で受講している10代の若者への投票率はさほど向上していない、ということは明らかです。
高等学校における政治教育
高等学校は非常に公益性の高い機関です。
公立学校は言うまでもありませんが、私立学校においても進学率が9割を超えている現在においては、その公益性の高さは無視できません。
そこで、高等学校における政治教育に関しては、文科省から細かい指示が出されています。
この文言を文章通りに一言一句守った上で、どんな政治教育を行うことができるのでしょうか。私は正直かなり疑問です。
政治的に「公正かつ中立」とはどういう状態なのか
私が最も難しいと感じるのは、先の文科省通知の三番目の以下の文言です。
これをまともに守って話をして、どうして実感を伴う内容になるでしょうか。
そもそも、「公正かつ中立な立場」とは何でしょうか。そんなものが存在すると文科省は本気で信じているのでしょうか。
もし信じているのならば、日本の教育を指示監督する省庁は愚者の集団と言われてもやむ無しです。
信じていないのにこの文言を書いたのならば、嘘と欺瞞に溢れた詐欺集団と批判されても仕方ないでしょう。
そもそも、政治的に公正かつ中立などという立場は存在し得ません。なぜならば、人は自分の状況に応じて抱える課題が変化するからです。
個人の主観によって政治課題は無数に存在し、その優先順位も千差万別です。そして、その解決を政治に対して託しています。
子育て世代と定年前の老人で中立の解釈は異なるでしょう。男性や女性でも、富裕層と貧困層でもです。
それを十把一絡げにして、中立という名の全く焦点の合わない机上の空論をして、どうして投票率が上がるのでしょうか。
さらに言えば、投票率を上げることや政治参加を促す行為そのものさえも政治的に中立ではありません。
若者の政治参加が進めば、老人は相対的に政治的な影響力を下げることになります。
真の中立は投票を促す言葉さえ口にしない政治教育ということになります。
(それすら老人の援護射撃であるという非中立な状態です)
教員は自分の立場や政治的スタンスを告げた上で中立性を保つべき
おそらくは、一時期の教職員組合の革新主義への傾倒がこのような問題の根本にあるのだとは思います。
しかし、現在の政治教育は過去の反省と恐れから、あまりにも抽象的であり、政治を身近になど微塵も感じないでしょう。
そしてそのままでは、政治教育を行う意味がそもそも無くなってしまいます。
大事なことは、自身の政治的スタンスをきちんと述べて、ポジショントークであることを告げた上で政治について語ることが教員には必要なのではないか、と私は考えています。
「子育て世代のため、子育て支援を強く謳う政党を支持」
「親の介護のため、介護や医療保険に手厚い政党を支持」
「国粋主義者であるから、保守政党を支持」
など、自分のスタンスを明らかにし、その上で自分の立場ではこちらの政策が支持しやすい、こちらは自分と別の立場の人が支持しやすいなど中立性意識して話をすることが重要だと思います。
特に、高校生という選挙権をすぐに手にする、または、すでに持っている世代への政治教育には、実際の選挙権者の判断基準を示すことが必要なのではないでしょうか。
このあたりの上手い文言やニュアンスを成文化して、通知や省令にしてもらえると政治教育の活性化につながると思うのですが…