進学先の選定が合格実績からマッチングへと変化しつつある受験業界
スパルタor自主性重視
上位進学校の話題で常に上がる2つのキーワードがあります。
それはスパルタ型か、自主性重視型か、ということです。
スパルタ型は学校が課題などをしっかりと課し、学習管理を行ったり長時間の課外授業が行われているイメージです。新興の私学に多いのがこの校風です。
一方で自主性重視型はどちらかと言えば伝統的な有名進学校に多いイメージで、自由や自主自律を旨とした学校です。
伝統のある私学や各県のトップ公立校はこの印象が強いように感じます。
学校によって学力の伸び幅は変わるか
多くの受験生や保護者はこうした校風を見ながら、進学実績と比較して自分や我が子の才能をいかに伸ばしてくれる学校であるかを比較検討して受験校、進学先を選んでいることでしょう。
中学受験においては言うまでもないことですが、近年は高校受験においてもこうした比較検討をしっかりと行う層が増えているように感じます。
さて、では学校によって生徒個人の能力の伸び幅はそこまで大きく変化するのでしょうか。
この問題に関しては残念ながら実証的な実験を行うことが不可能(同一人物がに2つの学校に通うことができないため)です。
双子の実験などでは数学の成績は後天的な学習の有無で大きな差がつくとも言われていますが、美術や体育などは遺伝的な要因が大きいというのが実際のところです。
ただ、現場の教員としての肌感覚で言えば授業の良し悪しや学校の別で進学先が大きく変化するかというとその可能性は低いように感じます。
日本の場合「学習指導要領」によって最低限の学習の質は担保されていることもその要因の一つでしょう。
確かにかつてのように一部の進学校が受験の知識を独占している状況においては、地域のその学校に通わなければ受験のノウハウを得られないというケースが存在していました。
しかし、現代においてはインターネットの普及や保護者の高学歴化、塾などの教育産業の充実によってその格差は薄まっています。
つまり学校の指導内容が生徒の進学先大学に大きな影響を与える時代は終わったといえるでしょう。
難関伝統校を上位校たらしめているのは入学段階の選抜
難関伝統校のカリキュラムは魅力的ですし、その校風を聞けば憧れる部分があるのは否定できません。
では仮に今、ここで新しい学校を設立し、難関伝統校と同じカリキュラム、同じ指導内容を用いて教育を行えば、同じような進学実績をたたき出すことは可能でしょうか。
断言できますが、間違いなく不可能です。
もちろんその伝統校の校風やカリキュラムの教育効果は高く、入学した生徒がその環境下で大きく成長したことは事実です。
しかしそれはあくまでも難関伝統校の入試を潜り抜けた優秀層だから、という前提の話です。
難関大学へ合格した生徒の多くは当然ながら努力をしていますし、学校のカリキュラムを自己の成長に活用しています。
しかしほとんどの生徒は同時に塾やそれ以外の教育投資を十分に享受しています。
難関伝統校の進学実績の高さは、入学時点でいかに優秀層を取り込んでいるか、ということが決定的な要因になっていることは否定できないでしょう。
(能力的にも、家庭の教育環境的にも)
現場感覚としても、同じ指導体制を敷いていた場合も入学時の成績に卒業時の進学実績は相関性が高いことは教員ならば誰しもが知っていることです。
(しかし、全体傾向としては相関が強いのですが、個人レベルでは入学時の下位が卒業時に中上位に、またその逆のケースは無視できないレベルの数が多いのも特徴です)
校風やカリキュラムをマッチングで考える
少し前までは校風やカリキュラムをやたらと賛美したり、進学実績が向上したことの要因として喧伝するような提灯記事が多くありました。
またそうした記事による錯誤で受験先を選ぶ人も少なくありませんでした。
もちろん現代でもそうした傾向のある人は存在しますが、やや風向きが変わりつつあるようです。
それを裏付けるのが昨今の中学受験における中堅校の受験者の増加です。
「国際」や「理数特化」、「大学附属」など進学実績よりも教育環境を重視した学校選びが中学受験では主流になりつつあります。
おそらくこの流れは数年で地方に、また高校受験にも流れてくることは間違いありません。
特に「ゆとり」と呼ばれる世代が保護者になればその流れは加速するでしょう。彼らの多くは偏差値教育的な1次元的序列価値観から解放されているからです。
最初に例に上げたスパルタ型、自主性重視型もどちらが優れているではなく、いかに本人にマッチしているかを考えることが受験先を選ぶ基準となっていくのではないでしょうか。