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「引き算」とプロダクトアウト的思考
「足し算」の成立
算数を学ぶとき、一番最初に学ぶのは「足し算」です。
「足し算」はものを増やしていく操作の抽象化から成立しています。
手持ちのりんごが3個、あの木には5個なっているので、合わせて8個、といった具合です。
また、自然数の範囲内において「足し算」は自由に行うことができます。
(自然数:1以上の整数のこと、ものの個数と対応する数)
これを数学的には「自然数は加法(=足し算)について閉じている」と表現します。
「足し算」は人類が猿とそう変わらない狩猟社会の時代からすでに存在する原始的な演算方法です。
「引き算」の成立と農耕社会への変化
時代が移り、狩猟社会から農耕社会に移行すると「貯蔵」という概念が成立します。
農耕社会においては現時点で必要な食料を作るだけでなく、余剰分を蓄え寒冷期に消費するようになるからです。
その結果「引き算」という考え方が導入されます。
余剰分の食料から、必要なものを引いて残りがどれだけあるかという「管理」の概念が発生するためです。
ただし、この時点での「引き算」は大から小を引くことしか考えていませんでした。
数字はものの個数の代替物であると考える当時の人々にとって、小から大を引くという考え方はなかったからです。
整数の「引き算」が自由に出来るようになるまで
その後、貨幣経済へと移行しマイナス、負の数の概念が「借金」という形によって具体化されます。
ただ、実際には負の数の概念は便宜的に使われていただけのようです。
古代中国の数学書、「九章算術」では連立方程式の解を求める準備として負の数の導入が語られています。
しかし、西洋においては方程式の負の解は解無しと認識されるなど、17世紀に入るまで負の数の概念は一般化していなかったようです。
負の数を自由に思考するまでには紆余曲折があり、文明の進歩によって初めて自由に扱えるようになりました。
それゆえ、「引き算」という考え方は大小関係や負の数など、抽象化した概念が理解可能な文明人に許された演算である、とも言えます。
「0(ゼロ・零)」の概念の発見
引き算には「0」の概念も当然必要になります。
「0」の概念が確率されたのは5世紀のインドと言われています。
負の数の概念と0は発見と確立に関してはその時期が明確ではないようです。
整数と引き算
整数は正の整数(=自然数)と負の整数、0を合わせた数です。
ここから、「整数は減法(引き算)について閉じている」と言う表現を使います。
(正確に言えば、自然数は加法、乗法(掛け算)について、整数は加法、減法、乗法について閉じています。)
むしろ、「引き算」を自由にしたが故に、数の概念が負の数にまで拡大できた、とも言えます。
「足し算」ではなく、「引き算」思考をすべき
私は個人的に「演算の自由性を担保したがゆえに、数の概念が広がる」というプロダクトアウト的なこの世界観がとても好きです。
学校という現場は、利益の追求を目的とする民間企業とは異なる理念で動く特殊な環境です。
その特殊な環境と、民間とは異なる賃金制度のために、業務の中に無駄を抱え込みやすい傾向があります。
その良い例が部活動や通学路指導や書類業務、時間外対応などです。
これらの業務を「足し算」で増やしていった結果、教育現場は業務量が飽和し、疲弊しきっています。
今こそ「引き算」的思考で業務の削減を考える時期が来ています。
「引き算」を自由にすることは、今までの教育や学校という既成概念を壊し、広げることになります。
そこから、プロダクトアウト的な目的志向の教育に繋げていければ面白いのかな、と思います。