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【なぜやるのか?】

なぜやるのだろうか?


私たちは当たり前のように小学校に行き、同い年の人たちと同じことを学ぶ。そこに意思はない。なぜ勉強するかわからないのに私たちは勉強している。


勉強とはそもそも強制的にやるものではないのに、、、
学びたいからこそ勉強する。これがあるべき姿ではないだろうか。誰かから指示されて勉強することに意味があるのだろうか。確かに幼少期は親から将来のために勉強しろといわれている人が多いだろう。


私は一度も親から勉強しろと言われたことはない。ただ、勉強することが好きであった。学びたいというよりも他の人よりもテストで勝ちたいという想いが強かっただろう。勉強すればするほど、テストの点数は高くなり、周りから褒められる。


だから私は勉強していたのかもしれない。何のためにやっているのか。なぜやっているのか。そこに意味付けできないのなら勉強したって意味がない。小さいころからそんな意識をもって勉強している人は少ないだろう。周りがやっているからやる。親や先生からやれと言われるからやっている人が多いのではないだろうか。


果たしてこのあり方で良いのだろうか。これからの時代、自分の中で意思をもって行動していかなければならないからこそ、本来あるべき姿を追求していくべきではないだろうか。


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先日、知り合いで小2で学校を辞めた人と話す機会があった。その人と話していると、何のために勉強しているのかわからないから辞めたと。びっくりするくらいシンプルな答えだ。


この人の意見に対して、賛否両論がわかれるかもしれない。義務教育は受けるべきという人もいれば、自分の意志に従って辞めたのは正解という人もいるだろう。


彼の行動にどうこう意見するつもりはない。自分の中で目的意識を持ちながら、行動まで移せるところに私は感化されたのだ。


みんながやっているから同じことをやる。
やるのが当たり前だからやる。
周りから言われるからやる。


そんなネガティブな理由で始めてもいいことはない。頑張る理由を作るためにも自分の中でポジティブな理由を見つける必要があるのではないだろうか。


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一つ一つの行動にwhyを突き詰める習慣を作ってみるのもいいかもしれない。心が躍らないときは、心がSOSを出している証拠。


今当たり前のようにやっている自分の習慣を見直してみよう。なぜnoteを書いているのか。なぜ英語の勉強をしているのか。なぜを追求することは、自分のモチベーションを見出すために必要な作業ではないだろうか。


自分の心が躍るままに毎日を過ごしていきたいものである。


本日も最後まで読んでくださりありがとうございました!

【今日の格言】

常識に捉われるから苦しくなる。


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吉治祥吾 | ココいまを大切にする習慣化コーチ
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