日常か非日常か
飲み会って非日常だろうか。日常の延長だろうか。
ただ飲んで、ツッコミあって笑って、いつもよりもくだけた会話で、いつもかしこまる距離がふっと消えて家族のような感覚になって。
今この瞬間のこのシーンをいつまでもずっと覚えていたいと何度思ったか。
何度尊いと思ったか。
わたしの記憶は周りからそんなことよく覚えてるねと言われる。
なんでもない日常をなぜかパッと映像のように記憶していて、あれ、前もおんなじシチュエーションだったな?と、ときどき既視感を感じる。
幼い頃の記憶はほとんど忘れかけている。でもなにかきっかけがあると急に芋づる式に記憶がつるつると引き出される。
人に説明しながら他の人の声かけに反応するときとか、家族と話しながらおみそ汁を受け渡したときとか。景色が全く一緒になったときあれ?と思う。
そのときわたしが手にしていたもの。その人が着ていた服の色。その場にいた人たちの立ち位置。
そんなの覚えている必要なんてないだろう。
けれども、わたしにとってはこのときのことは確かに、いつまでも覚えていたい記憶だ。
夏休み終わりに開かれた飲み会が終わったそれぞれの帰り道のエピソードを翌日以降に聞くことになる。
それは思わずええって驚いたり、ふふっと笑えるものであり、彼ら彼女ららしいエピソードだなと思う。
わたしは飲んでいる時はなぜかニコニコして大人しくなる。しらふの、それこそ仕事しているときはふざけたことを言ったりおなかを抱えて笑いまくったりしているのに。
自分でも不思議だ。
飲み会ではないが、あるときのランチ会は日常の延長なようで少しばかり特別な時間だった。みんなで散歩のように近くを歩いて帰る。いつもはひとりか、ふたりで歩く道をみんなが歩いている。
あたたかいけれどひんやりと冷たい風が通る。
あの日差しがまぶしくて、でも心地よくて、ああ、いつまでも続いてほしいと思ってしまうわたしがいた。
夏の夜の飲み会の帰り、足早に終電より2〜3本前の電車に乗り込んでリュックを膝に抱えたとき、ふわっとあのランチ会のような日差しを浴びた気持ちを思い出した。
結局日常なのか非日常なのかよくわからない。わからないけど大切にしたい記憶のひとつとして、そしてその時感じた気持ちを抱えたままふわふわ漂うことにする。
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