誰かと何かを楽しむ技術
共通の趣味は強い!
最近、某カラオケアプリを使用する時間が長くなってきた。LINEのオープンチャットで勧められて、私に勧めてきた方よりもハマってしまっている状況だ。個人で歌った曲を投稿できる。曲によっては、採点もしてくれる。この採点機能が便利で、どこで音程をミスったかを確認することができ、自分の間違って覚えた箇所を修正することができる。
緊急事態宣言の影響もあり、4月頃から、急速に参加者が増えた感じだ。私の同年代よりも、中学生、高校生、大学生あたりが多い印象だ。
このアプリの中では、主催者が任意の人を集めて、トークルームを作成することができる。そこでは、音楽を通じた歌うゲームができる。しかし、あえて、ゲームをやらず、世間話をすることもできる。
何かのきっかけで、相手の目にとまると、トークルームへのお誘いが来ることがある。何度か経験があるのだが、だいたい、学生が多いのだ。「XXさんのあの曲よかったです。お話しましょうよ」みたいな感じ。トーク能力の向上だと思い、世間話をしていました。そんな相手が複数人いた。そんな人たちと、何度か話していると、そのうちに距離を詰めてくる人も複数人いた。そういう人とは、距離を取るようにしていたら、大多数は、勝手に離れていってくれる。
何がいいたいか、というと、同じ趣味を楽しめるってのは、やっぱり、強いんだな、ということを実感するんだ。
そして、こんなことを考えていたら、共通の趣味や興味がない人とは、どのように楽しんだらいいのかな?というようなことを、もっと考えなきゃいけないよなってことが思い浮かんできた。
コミュニティの主催者たちのふるまい
最近になって、配信機能が追加された。先程のトークルームは、トークルーム内にいる人たちだけの閉じられた場所だ。しかし、配信ルームは、別だ。主催者が、配信ルームを作成して、そこに不特定の参加者が集う感じだ。
そこでは、主催者が、中心となり、トークをしながら、参加者に歌ってもらう形式が多い。主催者や歌う人以外は、チャットで参加するような感じだ。
私は、何箇所か有名どころに参加してきた。最初は、「みんなでワイワイ盛り上がりながら歌うのは、いいよな」というような気持ちで参加していた。しかし、いろいろな主催者のところに参加していると、主催者によって、かなり色が異なることに気がついた。そして、そこから、主催者がどのようにトークをして、このコミュニティをうまくまわしているのか、を注目するようになった。
どうしても、歌だから、力量の差がすごいある。
上手な人は、当然、主催者と参加者から称讃される。
では、下手な人は、どうか。主催者は、どれだけ、まずかったとしても、絶対に褒める。それに続いて、コミュニティの参加者も、みんな褒める。歌った人は、安心するんだろうな、と思う。そして、そこには、居心地の良さを感じるんじゃないかな。
実際に、この主催者が褒めて、参加者もそれに追随するのが、上手なコミュニティは、人気がある。主催者がうまい具合に参加者にも褒めさせるように話すのは、一つの技術だな、と感じる。
仕事で一種のコミュニティの運営に関わっているから、参加者を包摂することが大事なのは、わかっているつもりだ。ただ、やはり、私は、上手な褒め方は、あまりできていないのかもしれないな。この点をうまく吸収できていけばいいな。
先日、「独立とは、共同体を新しく作ること」ということを感じて、下記の記事を書いた。
結局、新しい共同体(コミュニティ)を作ったとしても、そこに共同体の運営が下手であれば、共同体は、解散になってしまうよな。
そしたら、何が大事なのかって考えると、共同体の参加者と何かを一緒に楽しむ技術なのかな、ということを感じたのである。
この技術が向上して、特定の人物から、不特定の人物まで、射程が広げられたら、もっといろんな人と知り合い豊かな時間をすごせるのかもしれない。
<追記>
ちなみに私は、あまりにも褒められると「おかしいな」「あからさまだよな」というセンサーが働いてしまいます。なにか、私を褒めるメリットってこと人たちにあるの?って感じたりします。そこには、「安心」ではなく「不安」を感じます。そして、「居心地のよさ」ではなく、「居心地の悪さ」を感じます。