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東京サドベリースクール訪問

先日、世田谷区にある東京サドベリースクールの見学に息子と行ってきた。
http://tokyosudbury.com/

サドベリースクールとは

東京サドベリースクールは、アメリカのマサチューセッツ州フラミンガムの私立校サドベリー・バレー・スクール(1968年設立)https://sudburyvalley.org/
をモデルにして、2009年4月に開校した新しいタイプの学校。ご案内してくれた創設メンバースタッフの杉山さんは、毎年のようにそちらを訪問しているそう。

アメリカのサドベリースクールは、大きな校庭があって、大きな木があって、そしてカリキュラムもチャイムもテストもない。スタッフと生徒たちで決めたルールがあり、そのルールを守りながら自分の好きなことが出来る環境がある。

息子はプレゼン資料にある大きな木をみて、
『木登り大好き!それも登れると思う!』
とわくわくしていた。

東京サドベリースクールには校庭はないが、近くに大きな砧公園がある。行きたいときは、スタッフと生徒に提案して、どうしたら行けるか、残りたい人がいたらどうするのかすべて話し合いで決めると言う。

東京サドベリースクールには授業がありません。
テストもないし、人から指示を受けることもありません。
クラスも学年もチャイムもありません。
誰かの用意した選択肢の中から選ぶのではなく、まったくゼロベースの中から、自分の好奇心を追及しつくしたり、自分たちに必要なシステムを、自分たちで作り上げたりしています。
つまり生徒たちは、自分でやりたいことや必要なことを見つけ出し、それを好きなペース、好きな方法、好きな人たちと共に活動しているのです。

“東京サドベリースクールHPより引用”

チャイムも誰の号令があるわけでもないのだけど、15:00くらいになると生徒たちは掃除をはじめていた。さっきリビングでタブレットやパソコンでそれぞれ集中していた男の子たちもニコニコ動いている様子。

『まったくゼロベースの中から、自分の好奇心を追及しつくしたり、自分たちに必要なシステムを、自分たちで作り上げたりしている。』

旧来の学校教育はじめ経済システムも変えられない大きなもの、という認識をしてしまいがちだが、子どもの頃から“自分達でシステムを作り上げる”経験を重ねられることは生きていく力になるだろうと思った。

杉山さんが息子に「この部屋にいてもいいし、ほかの部屋に行ってもいいんだよ」と言うと、息子は『どっちでもいいよ』と答えた。「ここではどっちでもいい、はないんだよ。自分で何がしたいか考えて、どうやったらできるかやってみるんだよ」と杉山さん。
息子は生徒の女の子に声をかけ、ゲームの設定を教えてもらっていた。

自由と責任と自分と向き合うこと

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生徒たちには「自分のやることを自分で決める自由」があり、「学校を自分たちでつくっていく権利」が与えられているのです。
それらを経験することで、生徒たちは、「自分が何をしたくてしたくないのかをじっくり感じる心」「他人から与えられなくても自ら活動を生み出す自発性」「全てを話し合いで平和的に決めていけるコミュニケーション力」といったことを、体験を通じて学んでいきます。
“東京サドベリースクールHPより引用”

杉山さんが繰り返し話していたのは、ここでのスクール生活を通じて、
自分を知る感性をもつこと。
自分の幸せの責任をもつこと。
自分を幸せにするのは自分であること。
自分の人生を自分でデザインする自由があること。
自由の中で生きてみるとどうしても自分の課題が浮き彫りになってくる。
そのときに自分に向き合うことができるか。自分で自分を育てること。
他人と生きていくこと。

それらを学ぶのが東京サドベリースクールだと。
自由を使って子どもたちが自立していくことを目的にしている。

期待しない
コントロールしない
人のせいにしない
あえて環境を整えない

誰かのせいにしているときは、誰かに期待しているときは、自分に向き合わないでいられるから。
とにかく、自分に向き合うこと。
子どもたちの好奇心の邪魔をしない関わり方を徹底的にしていく。

なんのために学校に行くのか

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あなた(親)は、なんのために学校に通っていましたか?という問いを投げかけられた。

ただ、なんとなく、そういうものだと思い込んでいたから。嫌だったけどなんとかやり過ごしてきてしまった気がする。特に、中学生までは。

そう、それじゃ、自分の人生は切り開けないのかもしれない。誰かに言われて、嫌だけどやってきた、ではなく、とにかく自由な時間の中で、この時間をどう使うか、どう過ごすか、全て自分に委ねられている。誰かに指示されることもない。自分で向き合って、考えて、選んでいく。スタッフは、親は、子どもたちをただ信じて見守る。誰からもジャッジされない。そして、誰のせいにもできない。そしていつ芽がでるかも分からないこと。

いまを生きる

将来を不安に思うのではなく、心配するのではなく、『いま』をただ生きること。それがなんてたやすくない時代なのだろう。親から、学校から、ニュースから、CMから「◯◯しないと、~になるよ」と脅され、いつも不安がちらつく。不満があると、誰かのせいにしたくなる。そうしないとやっていられない。こんなに必死に頑張っているのに。そうやってやってきて、私も含めて生きづらい人たちがたくさんいる。

息子とホームスクールしてみて、色んな人の話を聞いたり、色んな教育や子どもとの関わりを学ぶようになり、私まで育ち直しをさせてもらっているみたいだ。

サドベリースクールが大切にしている、

誰かの用意した選択肢の中から選ぶのではなく、まったくゼロベースの中から、自分の好奇心を追及しつくしたり、自分たちに必要なシステムを、自分たちで作り上げること。
つまり生徒たちは、自分でやりたいことや必要なことを見つけ出し、それを好きなペース、好きな方法、好きな人たちと共に活動していること。
「自分が何をしたくてしたくないのかをじっくり感じる心」「他人から与えられなくても自ら活動を生み出す自発性」「全てを話し合いで平和的に決めていけるコミュニケーション力」といったことを、体験を通じて学んでいくこと。

これって、ホームスクールをしながら、私たちが学んでいることに通じるな、と感じた。与えられた自由の中で、どうやって自分達がご機嫌で楽しく過ごせるか。
自分自身の好きなことに向き合う時間や、一緒にいる親子の距離感の取り方。
そんなのを日々気づかないうちに学んで、気づかないうちになんだか息子といる時間がとても居心地がよくなっている。
それって、自由がベースにあるからだ。強制されたことだったら親子でバトルになりやすいだろう。

自分にあった学び場

東京サドベリースクールの杉山さんは言う。
サドベリースクールに合う子もいれば、もちろん合わない子もいる。また、前の学校で傷ついた経験のある子は、自分をケアしてからじゃないと厳しい環境かもしれない。ミスマッチを防ぐためにしっかり体験入学をして、お互い話し合って入学を決める。

教育のひとつの選択肢としてのサドベリースクールだ。だから、教育費の公的な補助等は一切ない。

そろそろ、小学校や中学校を選ぶとき、様々な教育に対して一律に公的な補助が出ないものか。ホームスクーラーも含めて。行きたくない学校に行かなきゃいけないって、なんでそんな事態が起きてしまうんだ。

と、少し憤りつつ、自分で自分の学び方を模索していくのも学び。
これを楽しんで模索できたら成長しちゃったりしてとも思う。
その為には、親の心の安定が不可欠。
自分が幸せでいることが不可欠。
教育費の公的な補助、家庭のサポート、ホントに大事。

私が思うこと

東京サドベリースクールに実際行って見ることができて、お話を伺えて良かった。大切にしている教育感にも共感した。

息子にどうだった?と聞いてみたら、
『ゲーム楽しかったけど、俺は今の小学校で十分!◯◯先生との授業は自由だし。』
と言っていた(笑)全然行ってない割りにw

タイミングはどうあれ、息子にも本当は色んな学び方の学校があること。学校に行かない子もいること。などを感じてもらい、自分でこれがいい!と選ぶときの材料にしてもらえればいいな、と思っている。新たな出会いもあり、とても嬉しい。

私は息子と一日中一緒にいる。仕事中も、どこかにお出掛けするときも、休日もほぼ一緒。今回のサドベリースクール訪問にも付き合ってもらった感じ。一日中一緒だけど、なんだか穏やかで心地いい。これは、息子が不登校になり、それを徐々に徐々に受け入れ、ホームスクールを知り、実際にホームスクーラーに会ったり、ピン✨と来たところに出掛けていくなかで学んだり出会ったりした経験のおかげだと思う。

今回サドベリースクールを見学して、息子は、サドベリー的に生きたい❗と主張してくれたのかなぁと思った。子育てで、◯◯しなきゃ、を手放すとこんなにも気持ちが軽くなる。子どもとバトルしなくていいからだ。子どももありのままでいられるから益々元気になる。最近、じわじわ感動している。

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