電話の日・10月23日
10月23日は「電信電話記念日」。
家に電話がついたのは、わたしが小学生になってから。50年ぐらいまえのこと。
黒く光る電話機。重たい受話器。
いつも「もしもし」からはじまる。不思議で新しいせかい。
(2053文字)
黒電話・くろでんわ
ナニを言ってるのか、わからないひとが多くなりましたね。
むかしの電話の「かけかた」です。
電話を置くところは、電話台。
家具屋さんで売っていました。
電話一台だけ置く専門の台。なまいきだ。玄関口に黒く光る電話。ちょっと誇らしげ。
電話台に座った電話機。立ち上がるようにベルが鳴る。とてもよく響いた。
チン、最初に小さい音。きた。
ヂリヂリジリンと聞こえる日もあったし、リリリリリと聞こえる日も。
じぶんの気分や体調だったのか、気温だったのか、湿気だったのか。きっと電話機にも感情があったんだ。
受話器が重たい日も、かるいひも。
「もしもし」
モジモジ小学生のわたしは知るよしもない。
駅の公衆電話
公園や駅前に10円入れて通話できる電話がありました。だれでも使える。
そう、公衆電話。
画像は、大阪市天王寺区にあるJR天王寺駅・阪和線ホームです。
公衆電話・みどりの五つ子。
阪和線は名前のとおり、大阪・天王寺と和歌山の、あいだ。おもに山と海岸線に沿って電車が走ります。
台風の季節になると、和歌山は雨風・土砂崩れなどが発生します。阪和線は電車の遅延・運行中止・折り返し運転が多発。
「電車が来ない、遅刻だ」
和歌山方面から天王寺駅に電車がすべりこむと、みなホームの公衆電話に走ります。すぐに連絡、会社や家や学校に。
ネットニュースもない時代。運行中止や折り返し運転など情報もとぼしく、誰もが混乱しました。
電話だけが連絡の手段。きっと5台でも足りなかったと思います。
令和になり、使うひともなくなったのでしょう。ケースというか、カバーも撤去されました。
いまはスマホ充電器の五つ子。
ちょこんと収まっています。
まちの公衆電話
お店の軒先にも公衆電話がありました。いまは電話も電話台もありません。
電話の「電」の文字。「雨かんむり」の部分が「両」になっていますね。
看板屋さんの書き文字で「電」の字のバリエーションがいくつかありますよ。変わり文字も時の彼方へ。
めじるしは受話器
公園には、ひとり用の電話ボックスもあります。これも、だいぶ減りました。
昭和時代、公園・駅・公共施設など、ひとのあつまるところに公衆電話が設置されました。
受話器の看板が、ぽつんと残っています。これも、めずらしくなりました。
まぼろしの電話店
そもそも電話を家につけるには、電話加入権が必要でした。電電公社(現NTT)にお金を払い、電話線を引くのです。
古びた手書き。かなりむかしの看板かと思いました。消費税込み10000円とあります。
消費税導入は1989年(平成元)から。それ以降の表示と思われますが、投げ売り状態。
そうか、携帯電話の時代がやって来たのですね。
電話店があったのも、おもしろいです。まぼろしの代理店。
「うり かい」の文字が見えます。
これは電話加入権の売買もあったのです。
家の固定電話は、信用・資産。
通販で買い物をする時は携帯電話より、固定電話番号が必要な時代もありました。懐かしい。
携帯電話の時代
ショルダーバッグのような携帯電話が登場。社長さんしか持っていなかった高級品。
だんだんと小さくなり、私たちも持てるようになりました。
最初のころ声が聞こえづらくて、洞窟で会話しているようでした。アンテナを出したり戻したり。
ネット社会になり、メールや画像・動画など、できることがドンドン増えました。いまやスマホがないと生活できません。
「もしもし」
いつでも、どこでも、だれとでも。子どものころ、夢のまた夢のテレビ電話も現実に。
こんなに電話が進化するなんて。
手のひらサイズになるなんて。
スマホの呼び出し音も、たくさん増えた。マナーモードで消すこともできる。
「もしもし、もしもし」
声を出さなくても電子メールやLINEでお話しできる。
だけど、できないこともある。
「もしもし もしもし」
わたしの声は、とどかない。
二度とお話しできないひとが、また。
いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに
さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。