
蛸の松
1.「蛸の松」まずは石碑を。
川沿いに立っています。
右手の木が「蛸の松」蛸はタコ。
タコの形の松の木なのです。
2.蛸の松のおはなしも書きました。
1.名所「蛸の松」

松といえば海辺の砂浜。ここは堂島川が流れています。海辺ではありません。
対岸は中之島。江戸時代は全国から、お米が集まる蔵屋敷エリア。各藩の大きな米蔵が並んでました。
そして川沿いの荷揚げをするところは「浜」の名前がついていました。水の都・大阪独特かもしれない。

約400年前に、写真の黒い建物のあたりに、蛸の松は立っていました。
堂島川で働く人や川涼みで来た人の楽しみに。
一本の松の木、ワイルドな姿。
かなり大きいですね。もしかしたら誇大広告だったかもしれません。

川の水面は階段のようになっています。潮の満ち引きに対応して、いつでも荷揚げができるように階段を作ったわけです。
雁木なる大階段、風情がありますね。

アルミかステンレスかスチールかの看板に書いてあります。
蛸の松。タコの足が伸びる枝振り。末広がりのタコの足。縁起がいい。大阪人は、むかしからタコが好きなのです。きっと。

明治の台風も見ていた蛸の松
明治18年の大洪水。むかしの淀川の堤防が切れて、大阪の橋・三十一橋が流失。当時は木の橋でしたので川上からどんどん流されました。
蛸の松はタコとはいえ松の木。
さぞかし怖かったでしょうね。
明治の大洪水のラスト、
もう少し川下の安治川橋で三十一橋が引っ掛かりました。そのせいで付近の町に濁流が流れ込み大変な被害に。
そこには、外国人居留地もあったのに、何もかもかなかったタコに、いや、事に。
安治川橋は爆破・解体されました。

それから大阪の橋は、鉄筋コンクリートに付け替えられたこと。
川辺にいたから、蛸の松はなんでも知っています。
2.『二代目・蛸の松のおはなし』
その後、蛸の松は1911年(明治44年)に虹の橋を渡りました。大往生。
2004年(平成16)田簑橋を渡って、こちら岸にやってきた二代目・「蛸の松」
ずうっと、ひとりで立っています。
こんもりと、まぁるくなったでしょ?

田簑橋のまわりは、きれいに整備され散歩の人も多くなりました。
近くにテレビ局もあるのです。
春は桜。ジャズが流れるオシャレな遊歩道です。

ある時、蛸の松のむかしの立ち位置のところに巨大なキリンが……。
半地下の建物、国立国際美術館の鳥のつばさも見えなくなった。
タンクのような大阪市立科学館も。
そこは、工事現場になりました。

「ずっと工事してるね」
「何が建つのかな?」
蛸の松は、一緒に住んでるオレンジ色の猫と、おしゃべり。
(画面の右下に、小さく写っていますよ)

「ふぅん、おおきな建物だよ」
オレンジの猫は散歩に行くから情報通。
12月になったら、どこからか大きなアヒルちゃんもやってきた。
堂島川にプカプカ。

「日が暮れてきた。帰らなくていいの?」
「クリスマスまで、ここにいるよ」

たまに、アヒルちゃんがこっち向いてくれる。
オレンジの猫は毎日、遊びに行っているよ。工事現場は、黒い建物が建ちました。

蛸の松は嬉しそう。
夜はピカピカになる。
「こんなの、はじめてだ」

「なんでこんなに明るいの」
蛸の松はエメラルドグリーンに。
すごい、すごい。
オレンジの猫もビックリしたね。
でも、なんだかすこし寂しそう。

蛸の松を見守る猫

「黒い建物は、ビジュツカンにゃ」
そう言い残して、オレンジの猫は、いなくなった。
そうして二度と蛸の松には戻りませんでした。
蛸の松は、工事の終わった対岸を眺めていました。
なぜか、ずっと……。

蛸の松は知らなかったけど、ビジュツカンのこと、オレンジの猫は知っていました。
どうして?
オレンジの猫は、ここにいますよ。
ビジュツカンの前に。

メタリックな瞳に映るのは
対岸の蛸の松。

「よく見える お目目で
ここからずっと蛸の松を見守るにゃ」

「フォト・イラスト」の日
【おわび】
「二代目・蛸の松のおはなし」は、創作です。
オレンジの猫・アヒルちゃん・ビジュツカンは実在のものとは関係ありません。ご容赦くださいませ。
いつも こころに うるおいを。
水分補給も わすれずに。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。