カステラ銀装と心ブラ
「おみやげ、銀装のカステラやで」
大阪・心斎橋まで買い物に行った祖母の手に紙袋。カステラが定番のお土産でした。
心斎橋へ呉服を買いに
大正2年うまれ、祖母の楽しみは、
大丸 (百貨店)・心斎橋店へ呉服を見に行くことでした。
大阪の難波に今もある、なんば髙島屋。
心斎橋には、そごう・大丸と百貨店が豪華に並んでいましたよ。
それぞれの百貨店が、毎年きらびやかな展示会・呉服市を開催していました。
祖母は、普段は見るだけ。今で言うバーゲンセールの時にだけ、キモノを買っていました。
祖母は大丸の呉服が、お気にいり。
あの時代、百貨店が最新のモード。
各店、個性あるオシャレなキモノを売り出し、呉服を買うならココとマダムたちは、みな贔屓の百貨店を持っていました。
よそ行きの時はキモノで。昭和40年代は、そんな時代でしたね。
しんブラ
心斎橋から難波まで、ブラブラと歩く。
アーケードの戎橋筋商店街を、ブラブラと買い物、観劇、食事……
オシャレしてお出かけ。
心斎橋をブラブラ。
略して「心ブラ」が、大阪のマダムたちのおでかけの楽しみでした。
いつもは洋服なのに、よそ行きのキモノ姿の祖母に手を引かれ、大丸・心斎橋店へ。
小さなわたしは、呉服売場で、手持ちぶさた。
また、キモノか……。
わたしは、大食堂のお子さまランチ以外は興味がなく、しまいに祖母は、わたしをおいて大丸へ出かけるようになりました。
あのとき祖母に呉服の手ほどきを受けていたらなぁ、もったいない……今は後悔しています。
カステラ銀装さん
大丸・心斎橋店の向かいに、カステラ屋さんがありました。
そこで祖母は、心ブラのお土産・カステラを買っていたのです。
紙袋の中は、厚紙の箱に入ったカステラ。
「ギンソーのカステラや」
緑色の箱は重く細長く、竜宮城のお土産のよう。
まぎれもなく、よそ行きのカステラだったのです。
長らく「ギンソーのカステラ」と祖母に刷り込まれていたので、これが店名と信じて疑わず。
「カステラ銀装」が正しい店名だと判明したのは、大人になってから。
老舗に対して失礼しました。
……良かった、人に言わないで。
2階は喫茶室
わたしも祖母のトシになった。
祖母は平成になり他界し、長方形の白い紙に包まれた大量のキモノだけが残った。
桐のタンスに積まれたキモノ。
四角いペタンコなキモノ。
キモノは着る物と書くのに、わたしは、着物にできなかった。
祖母は簡単にキモノを着ていたのに……何も覚えていなかった。
たしか着物を包む白い紙は「たとう紙」で、
あとは、お土産の「ギンソーのカステラ」、いや
「カステラ銀装」さんしか記憶になかった。
先日、戎橋筋商店街をお散歩。
あてもなく歩く、これぞ「心ブラ」
今も大丸と「カステラ銀装」があります。
じぶんの中では「ギンソーのカステラ」
1階は、カステラなど洋菓子の販売。
2階は、喫茶室になっていた。
禁煙と大きく書かれているのを見ながら、階段を上る。
誰もいない。禁煙の功罪。
穴場だ……
カフェ・ラサール
たくさんメニューがあるなかで、窯出しカステラと紅茶をいただきます。
よそ行きなので、エエかっこして紅茶を。だって、ポットティーですもの。
白いお皿にカステラがちょこん。
見た目よりズシッとしていて、最初からカットされていた「ギンソーのカステラ」
茶色と黄色。そうそう、こんな色。
カステラなんて久しぶり。
食べやすいように、さらに、ふたつになっている。
向かいの大丸百貨店が見える。
改装してキレイになった大丸だ。
昭和の大丸は、どんな建物だったか覚えていない。もっと重厚な建物だった、……そうやって、わたしは祖母のことも忘れていくのだろう。
キモノ姿の祖母と、小さなわたし。
ふたつ並んだカステラになって歩いた。
階下の商店街を。
貸し切りのような喫茶室をいいことに。
わたしは、ながめていました。
ふたつ寄り添ったカステラを。
いつも こころに うるおいを。水分補給も わすれずに。
最後までお読みくださり、
ありがとうございます。