『ブギウギ』プチ旅行記 (1)大阪市福島区
朝の連続テレビ小説・放送中『ブギウギ』。主人公のモデル・笠置シヅ子さんの時代とくらし。すこしのじかん、大阪まちあるきです。
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ブギウギ・笠置シヅ子さん
朝の8時~8時15分。笠置シヅ子さんがモデルの「福来スズ子」が画面いっぱいに歌ったり踊ったり……。タイトルは『ブギウギ』、現在放送中です。
笠置シヅ子さん。
生まれは1914年、大正3年です。大正は、昭和のひとつ前の元号。もう、知らないひともいるかもしれません。
激動の戦前・戦中・戦後を「ブギの女王」としてかけぬけた女性の一代記です。
「ブギウギ」。
こころがウキウキ、ワクワクするリズム。
いままで「ブギ」のついた歌のタイトルや歌詞はたくさんありました。なんだろうなとおもいつつ。笠置シヅ子さんの歌、この感覚、こんなセンスとリズムなのかと、スッキリしました。
テレビでは「銭湯の看板娘」という設定。
実際に笠置シヅ子さんのお家は、大阪市福島区下福島村で、最初は米屋さんを営んでいたそう。
これから、大阪市福島区かいわいをあるきます。
もより駅は……
●JR大阪環状線・野田駅。
●大阪メトロ・千日前線…玉川駅
銭湯と「ノダフジ」
1918年(大正7)・米騒動がおこる。笠置シヅ子さん5歳のころ。お米屋さんを襲撃するという物騒な事件が日本各地で勃発。夜間は外出禁止令がでたそうだ。
その後、笠置シヅ子さんのお家は、お米屋さんから銭湯の経営に転職。
劇中では「銭湯の看板娘」。
銭湯の脱衣所のシーンがよく出てきました。
明るく開放的な脱衣所。風流にも藤棚、涼しげな藤の花がそよぎます。
「はな湯」とかかれた、暖簾も、うすむらさきの藤の色。これは、たんなる舞台装置ではありません。
この藤は、大阪市福島区の固有の藤「ノダフジ」なのです。
この名前は明治時代、植物学者・牧野富太郎博士が「ノダフジ」と命名。
従来のヤマフジは、つるが左巻きで「ノダフジ」は右巻きだそうです。
福島区の花として、区内の公園などに「ノダフジ」の藤棚があります。
現在は、季節はずれのため、棚の鉄骨しか見えません。
かつての下福島村は、現在は玉川という町名に変わっています。
下福島村の南に安治川が流れ、大小の船が、いそがしく行きかいます。明治以降、おおきな工場が建ちならびました。農村だった下福島村は、日本各地から働きにきたひとが増え、にぎやかに。
そんな活気のある時代に笠置シヅ子さんも幼少期をすごしてきたのですね。
春のブドウのように、たわわな「ノダフジ」。たいして、モノがなくなり、どんより軍事色に染まるあの時代。
あのふじ色は、ひとときのさわやかさを、運んできたことでしょう。まちにも、ひとのこころにも。
約六百年前余り前から
「吉野の桜、野田の藤」とその美がたたえられ、将軍足利義詮や太閤秀吉などが野田の旧家 藤邸へ来遊しました……。
「ノダフジ」は「野田藤」と書いてあったり「野田ふじ」「のだふじ」とも。
どれが正式なんでしょうか。
福島区・古来種「ノダフジ」は空襲で絶滅寸前。現在は地域の有志で再生・育成されています。
それでも保存はむずかしいそうで、毎年4月下旬に藤の花を見ると、その努力に頭が下がります。
ぜひ、福島区に藤の花見にいらしてください。
時代は戦争へ
野田駅・玉川駅に接する大通り・新なにわ筋。頭上に高速道路が走ります。かつての下福島村のあったあたりです。
大通りから、すこしなかに入ると、むかしの風情ある住宅・神社・お寺などがあります。空襲をのがれたエリアです。
笠置シヅ子さんが住んでいたころ、大正末期に大阪は爆発的に人口が増えたのです。
野田恵美須(のだえびす)神社
商売繁盛の神さま、えべっさん。
きっと笠置シヅ子さんや家族もお参りしたのでしょうね。
時代は昭和になり、戦争へと向かいます。笠置シヅ子さんは、歌と踊りにはげみ舞台に立っていたのです。
銭湯の夢
ちょうど野田恵美須神社のとなりに、むかしの銭湯の跡らしき建物があります。
だれか、知っているひとがいるかもしれない。むかしSNSでたずねたことがあります。……銭湯ファンからは「わからない」との答えでした。
もしかして笠置シヅ子さんの?
ちらりと思いました。
煙突が太くて高さが低い。
かなりむかしの造りでは?
正面の間口もせまい。
下福島村のころの「はな湯」のモデルかな……。笠置シヅ子さんは、下福島小学校に入学したのでこのあたりに住んでいたはず。
現実には図書館に行って、古い地図を見れば、すぐにわかるでしょう。
それと、笠置シヅ子さん一家は、福島区だけではなく、西区、北区、大正区と転々とし銭湯も、その都度、変わっているのです。
むかしの大阪の商売人あるあるです。当時は住まいも借家が多く、わたしの祖母も大阪市内を転々としていました。
仕事に、かげりが見えるとすぐに見きりをつけ次へ。
銭湯の経営も地味な仕事です。
お風呂屋さんは、いまもむかしも仕事内容は、まったくおなじ。
そんな客商売の環境で、脱衣所で歌い、芸を学んだ笠置シヅ子さん。
時代の波に機転をきかして生きる。バイタリティーあふれるブギの女王。
彼女の人生のほんの数年間をすごした福島区。
つぎは小学校に行ってみましょう。
桜のつぎは藤の花。
桜のつぎの たのしみに。
楽しいリズムとともに帰路につきました。
パドジスデジドダ。
◆参考文献◆
・『笠置シヅ子 昭和の日本を彩った「ブギの女王」一代記』 青山誠 著
・『笠置シヅ子 その言葉と人生』監修 亀井ヱイコ 著者 四條たか子
いつも こころに うるおいを 水分補給も わすれずに
さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。
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