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動物を心配する愛と信じる愛

ぼくら飼主は、共に暮らす動物を愛するがゆえに心配や不安になったりする。


それは仕方がないことだけど、心配する愛が強すぎるとよからぬ方向にいき、動物に悪影響を与えてしまう。


ぼくら飼主は、共に暮らす動物を弱いものだと勘違いして


あれやこれやとやってあげなきゃいけないとか


私がいなきゃ寂しがるとか、私がいなきゃ何もできないと思ってしまう。


動物ってよっぽど人間よりも強いんだけどねー。


動物がまるで、赤ちゃんかのように扱い、赤ちゃん言葉で話しかけ


私がいなきゃ生きていけない。


私かいなきゃって思うと心配する愛が強くなる。


心配する愛が強くなり過ぎると、愛で心配を埋めようとするようになるのさ。


そうなると動物のためと言いながら、自分の心配を解消するために    

  

あれやこれやと手をかけはじめドツボにハマる。


この子のためにこんなにやってあげているんだから大丈夫と自分が安心したくなる。


「私がいなきゃ」「私が何かやってあげなきゃ」「この子のために私が」「私が心配」「私が不安」


いつの間にか主語が「動物が」から「私が」に変わってしまい、変わっていることに気づかず


「動物のために私が」になってしまう。


「この子のため」って思うようになった時には、要注意なのさ。


動物を愛するがゆえと言うのは、愛の根本が心配する愛なのか、信じる愛なのかによって、変わってくる。


動物は強い。


うちの子は何があっても、大丈夫と思う信じる愛


この子に何かあったら、この子が病気になったらと心配する愛では


同じ愛でも違って、動物に与える影響も変わる。


信じる愛に包まれてる動物は、免疫力も自己治癒力も強くて、いつも元気だったりするけど


心配する愛に包まれてる動物は、免疫力も自己治癒力が低くて、いつも怯えて不安そうにしてる。


どちらの愛に包まれているのが、動物にとってはいいのか?


さぁみんなはどっちの愛で動物を愛する?

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