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文学フリマ東京39の特別編:激安ラブホ・ガールズトーク。
君はいつだって、私の心を乱す。
救世主にも、破壊者にもなり得るのだ。君の発言1つで、微笑み1つで、無視1つで、その日のメンタルが決まってしまう。
「……『妖羊』」
どこにも行かないで。君が私の隣にいてくれるだけで、たったそれだけのことで、私は救われる。だから、早く私のものになってください。
今日も「湿気の街」の上空は、分厚い雲に覆われている。決して晴れることのない空。荒れ果てた私の心を表現するには、ぴったりの天気だ。ぴったりだからと言って、喜ばしいわけではない。むしろ、勝手に私の心に棲みついた希死念慮が肥大化する。
「重症だな」
3時間2300円という激安ラブホの固いベッドの上で仰向けになりながら、どんよりとした空を窓越しに眺めていたら、男勝りな女の低い声が話しかけてきた。
「知ってる」
私は上体を起こし、声の主に顔を向けた。
「じゃあまだ、そりゃ愛だ」
滲みだらけのソファに座って、低い机の上に置かれた硝子製の灰皿に煙草の灰を落としながら、真っ赤なワンピースを着た女が憐れみの笑みを浮かべた。
「だから、安心しな。化け物にはなってねぇよ」
彼女は殺し屋、「金棒乙女」。湿気の街にある殺し屋管理組織、「胔」の会員だ。彼女が座るソファには、人を殺めるには十分な大きさの金棒が立てかけてある。
「どうでもいい。妖羊が私のものになってくれれば」
私も煙草を咥えると、ライターで火を点けた。吐き出した煙は黄ばんだ天井へゆらゆらと向かいながら、届かずに消えた。
金棒乙女は、セフレや恋人というわけではない。安いだけが取り柄のこのラブホで、定期的に女子会を開催するだけの仲だ。
「お前は? その……『グレーアッシュ』とは」
私が尋ねると、金棒乙女は煙草を持つ左手をふるふると震わせて顔を赤く染めた。彼女は、グレーアッシュの話になるとすぐにこうなる。金棒の内側には、しっかりと乙女が存在するのだ。
「と、と、と、と、と、特に進展があるわけじゃねぇけど、そ、そ、そ、そ、その……」
グレーアッシュとは、金棒乙女が所属する胔でバイトをする男だ。彼自身は殺し屋ではないが、殺し屋の待合室で飲食物を作ったり、武器の手入れをしている。髪をグレーアッシュ色に染めた、綺麗な顔の男らしい。面食いの金棒乙女が惚れるわけだ。
「落ち着いて」
にやにやする金棒乙女を眺めながら、私は煙草の煙を吐き出した。ふぅーと大きく息を吐き出すと、金棒乙女は短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
「最近、グレーアッシュが私に微笑む回数、増えた気がすんだよ」
気の所為じゃない?
本当に嬉しそうな金棒乙女の顔を見ると、そんな酷くて現実的なことは言えなかった。乙女は、妄想を栄養に生きているのだから。
「よかった」
「気の所為じゃねぇよ?」
金棒乙女は、私の心を見透かすような目で言った。
「そうなるよう仕向けたんだからよ」
強がって言っているようには見えなかった。
金棒乙女は、金棒を手に取った。
「手段なんて、選ぶ必要ねぇと思うんだ」
金棒乙女は、新しい煙草に火を点けながら言った。
「男が性的な興奮をする匂いを放つ、香水を買ったんだ。真っ向勝負しようと思ってたけどよ、同じくグレーアッシュを狙う敵があまりにも強過ぎた。そもそも、可愛い奴は可愛いっつー武器を使ってんだ。丸腰の私には、武器が必要だった。香水を付けた日から、グレーアッシュが敵に振り撒く筈だった笑みが、私に向くようになったんだ」
金棒乙女は決して可愛くはないが、針のように鋭い危険な色気を放っている。自分の魅力に気が付かない彼女を見ていると、もどかしい気持ちになる。だが、そんなことを伝える必要もないぐらい、金棒乙女は現状に満足していた。
「まっすぐな気持ちで戦って、グレーアッシュを手に入れようと思ってた。けどよ、香水使って、グレーアッシュの視線を奪っていくうちに、彼を手に入れる手段が汚いかどうかなんて、どうでもよくなったんだ。シンプルな話だ。手に入れられないより、手に入れられる方が、比べるまでもなく幸せだろ?」
脳裏で、アイドルのように可愛い丸顔が微笑んだ。
気が付くと、左手に持っていた煙草が吸えなくなるぐらいまで短くなっていた。ベッドから降り、テーブルの上にある灰皿に煙草を押し付ける。
「『病羊』」
私を呼ぶ金棒乙女の低い声が、激安ラブホらしいチープな内装の部屋に響く。
「妖羊が欲しいんだろ?」
妖羊。同じ孤児院で育った幼馴染。彼女は薄っぺらく、小悪魔的な愛を周りに振り撒いては、気の向くままにどこかへ去っていった。いつしか、私も妖羊の笑顔の虜になっていた。彼女を私のものにしたい。彼女にとってなくてはならない存在になりたい。その思いは叶うことなく、今に至っている。そろそろ、飢餓状態の心が限界を迎えようとしていた。
妖羊を手に入れる為に、手段を選んでいたわけではなかった。頻繁にストーキングしていたし、自分が持っている物のお揃いをプレゼントしたし、彼女に近付く者は殆ど排除した。だが、躊躇して手を出さなかった手段がある。
人工ウイルスに感染させること。私はウイルスの製造・販売をして、生計を立てている。感染者を思い通りに動かすウイルスなんて、簡単に作ることが出来る。
「手に入れられないより、手に入れられる方が、比べるまでもなく幸せだろ?」
金棒乙女の言葉が、私の決意を固めた。
そうだ。その通りだ。妖羊が知らない奴の隣で楽しそうに笑う姿を見て死にたくなるぐらいなら、思い通りに操って罪悪感と共に私のものにしてやる。
「……欲しい。妖羊が欲しい」
「妖羊ウイルス」。
人工ウイルスの名前は、もう決めた。
救世主も破壊者も、感染者にすれば、ただの所有物だ。
*
この時はまだ、個人的な欲望を満たす為だけのウイルスが、私の運命を狂わせるなんて思いもしなかった。
【登場した湿気の街の住人】
・病羊
・金棒乙女
病羊の狂った運命は、文学フリマ東京39で販売する下記の書籍で。
↓
サークル名:霧一礼文堂
ブース位置:そ-17〜18
作品名:七つの病禍
寄稿作品:淫蕩病。
是非、来てね。