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読書Log『月と散文』

こんにちは。しそゆかりです。

又吉直樹『月と散文』を読みまして。

芥川賞受賞で超有名な『火花』は読んだことが無く、エッセイ集がファーストコンタクト。数多いる”テレビで見る芸人”さんの一人でありつつ、好きか嫌いかを問われたとしたら、それらしい理由はないくせに当然好き、と答える立ち位置。なんとなく雰囲気が好き。それくらい。

そんな、ふわっとしか知らない人物のエッセイを手に取ることになったきっかけはこの動画。

左側のぬいぐるみ曰く、読むと”ナイーブセンチメンタル考えすぎ変人”がちょっと生きやすくなるというのです。(5:19~)

ナイーブセンチメンタル考えすぎ変人。改めて書くとさらに何それ?なわけですが、わたしにはこれまで聞いたどの書評よりも刺ささりました。こんなこと言われたら買うしかない。すぐ買った。正確にはすぐポチった。(有隣堂のYoutubeでおススメされたけど、わたしの地元には有隣堂が無いので仕方ない。)
何より考えすぎて、今こんなに刺さっているはずなのに、「ふわっとしか知らない芸人さんの単行本を本当に買うの?Kindleでもなくて?エッセイなんて普段読まないのに読むの?」と自分を疑う方向で考えすぎてこの感動を自分自身で搔き消してしまうのが怖かったので、勢いに任せたのだからしょうがない。と言い訳をつくりながら手にしたのです。ほら、本を買うっていうだけなのに考えすぎだ。

まず、柵を乗り越えることが恥ずかしい。私はスマートに柵を跨げほど足が長くはない。太ももの裏が策の上に載っていて片足で立っている状態を一秒たりとも作りたくない。そんな不安定な態勢を知らない人に見られたくない。そうなるのが嫌だからといってカッコよく柵を乗り越えようと試みて、脚が柵に引っ掛かって転倒し、頭を打って血が流れることを想像したらとても恐ろしい。近くにいる人達に助けられるのも申し訳なさと情けなさがあって嫌だ。

『月と散文』より

実際エッセイも見事に考えすぎで、ナイーブでセンチメンタル。信号無視をして道路を横断しようか考えるだけで逡巡し散らかしている(上記の引用)。それなのに考えすぎ・ナイーブ・センチメンタルはしつこくなくて、全編にわたる著者の温かみ、人柄が滲みだしているように感じられました。あふれる、じゃなく滲みだす。そのくらいのちょうどいい地味さ。塩梅。

わたしは考えすぎを自分を疑う方に転がして、右往左往した挙句に考えたことを墓穴に埋めてしまいたくなるのですが、そんな考えすぎの産物でも埋めずに見守ってみるのもいいかもしれない。とちょっと思いました。
遠慮がちな「ちょっと」にスケールが急に変わる「生きやすくなる」が連なる不思議な日本語だけど、こんなちょっとした感覚が、ちょっと生きやすくなるの感情なのかもしれない。

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