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今日の資生堂パーラーを築いた1990年のブランドリニューアル~“パーラーブルー”誕生秘話・前編~

創業から120年を超える資生堂パーラー。私たちにとって、今では当たり前に感じられる資生堂パーラーのモノコトにもたくさんの物語が詰まっているはず。
今回のnoteでは、そんな資生堂パーラーの分岐点となった出来事を紹介いたします。
 



資生堂パーラーのコーポレートカラー『パーラーブルー』

皆さんは資生堂パーラーをイメージすると何色が浮かびますか……? 
きっとブルーを思い浮かべる方が多いかと思います。
資生堂パーラーは1990年からブルーをコーポレートカラーに使用しています。
今では、資生堂パーラーのイメージとして定着し、『パーラーブルー』と呼ばれ親しまれていますが、当時、食品関係にブルーを使うことは非常に珍しかったようです。
そんな『パーラーブルー』がどのように生まれたのかを知るべく、当時のリニューアルに携われていた資生堂パーラーOBにお話を伺いました。


当時のリニューアル担当者にインタビュー

お話を聞かせていただくのは、資生堂パーラーOBの鈴木真さん。
鈴木真さんは1990年当時、現在パーラーの象徴となっているブルーのブランドリニューアルメンバーの1人でした。当事者だからこそ知っている貴重なエピソードをお話いただきます。

鈴木 真さん:
1980年株式会社資生堂パーラー入社。3年間のレストラン現場を経て、営業、商品開発、企画部門を経験。1990年には現在のCIおよびパッケージのリニューアルに携わる。2000年にマーケティング部長、2004年取締役フーズ事業部長、2012年事業推進本部長を経て2013年~2020年に代表取締役社長。


-当時のパーラーは既に100年近い歴史があるブランドでした。それにも関わらず、ロゴを含めたブランドイメージを一新することになった経緯を教えてください。

まず時代背景としては、資生堂パーラーとして「新しい料理の世界を作りましょう」「独立したブランドとしてのイメージをつくりましょう」という流れがありました。当時は化粧品ブランドのイメージが強すぎてパーラーのイメージやオリジナリティというものが弱かったんですよね。

また、お菓子のパッケージも色々な方がデザインをされていたので、異なるテイストのパッケージがたくさんあって、資生堂パーラーのイメージがバラバラに見えていました。
だから「資生堂パーラーの新しいイメージを作りましょう」という部分だけではなく、そういった実務的な課題解決の意味合いもあって、ロゴも商品も含めたブランドイメージを整理して、統一感を持たせようという話になりました。
そして、それをまとめられるのは仲條正義さん*しかいないだろうと。
仲條さんは当時、資生堂企業文化誌『花椿』のアートディレクターをされていたので、資生堂の文化や資生堂パーラーの立ち位置を理解されていました。また、新しい時代をつくることができるデザイナーということでリニューアルをお願いすることになりました。


1990年以前のロゴ
化粧品・資生堂のイメージが強い
1990年~現在のロゴ


「抵抗感」や「違和感」がイメージをインプットさせる


当時、食品には敬遠されている青を採用することは、非常に珍しかったかと思います。
 
仲條さんが当時からよくお話されていたのは「すんなりとイメージが入ってこないような、抵抗感や違和感が将来的にブランドを頭にインプットさせる。」ということでした。
だから当時、食品にはない色のブルーをセレクトされたんだと思います。
ただ、原色に近いビビットなブルーではなくて、文化的なにおいを感じるターコイズブルー。斬新さや目新しさだけを目的としたリニューアルではなくて、「銀座」「モダン」といったことを仲條さんも意識されたのだと思います。
実は最終候補として「ベージュ×グリーン」のパターンも残っていたんだけど……これも当時の日本的な感覚とは異なるイメージですよね。

リニューアル以前のハンディバッグ
椿をモチーフにしたデザイン
1990年当時のハンディバッグ
ブルー地にゴールドのロゴのコントラストが印象的


-リニューアル後の周囲の反応はいかがでしたか?

やはり意図的に抵抗感や違和感を与えているデザインなので、最初はびっくりされることが多かったです。
プロのデザイナーの方々は大絶賛でしたが、社内では賛否両論だったり……
ただ、リニューアルしてからしばらく経つと銀座界隈でブルーのハンディバッグを持ち歩いている方を多く見かけるようになりました。デザインの力を感じる体験でした。

包装紙のデザイン遍歴
左・リニューアル前、右・リニューアル後
1990年頃の資生堂パーラービル
1階入口のテントにリニューアルしたロゴが使われている


リニューアルから34年を経ての思い


-1990年のリニューアルから、34年を経た現在でも当時のCIカラーが守られています。今後も続いて欲しいという思いはありますか?

今でこそ色々な食品メーカーさんがブルーを使われていますが、ブルーを先駆けて使い始めたのは資生堂パーラーですから。
せっかくイメージとして定着して世間の皆さまにも親しまれているかと思うので、自分が生きている間だけでも続いてくれると嬉しいですね(笑)

2015年に仲條正義氏によって再びリニューアルされたハンディバッグ
現在も『パーラーブルー』は守られている


今回は資生堂パーラーのイメージカラー 『パーラーブルー』に焦点をあてた記事をお届けしましたが……まだまだ話は続きます。
<後編>ではリニューアルとともに一新したお菓子のパッケージにまつわるエピソードをお届けいたします。

それでは次回のnoteの更新も楽しみにお待ちください!

注 *文中敬称略
仲條正義(なかじょう まさよし、1933年-2021年)
東京生まれ。1956年東京藝術大学美術学部図案科卒業。同年、資生堂宣伝部に入社。1960年よりフリーとなり、翌年、株式会社仲條デザイン事務所を設立した。1968年から2008年まで40年以上にわたって資生堂企業文化誌『花椿』のアートディレクターを務め、1990年に資生堂パーラーのロゴタイプおよびパッケージデザインを一新。東京銀座資生堂ビルのロゴおよびサインなど資生堂パーラーのデザインに深くかかわる。


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