
夢! 目指せ学校設立 私の教育論
私の掲げた夢
〇ブログの発信力向上
〇オンラインブックストアの売上向上
〇本業×副業×投資による資産形成
〇図書館設立
〇学校設立
ブログの発信力につきましては
数は多くありませんが、フォローしてくださる方もおられ
私にしては上出来といえるかもしれません。
しかしながら、図書館や学校設立を目指すとなると
その発信力はあまりにも弱すぎます。
投資に関しては、すこしずつ小金程度は増えてきていますが
図書館設立、学校設立の夢の前では『0』に等しいといえます。
先日、若くして起業、母校を買収・運営され、数年後には学校の設立を予定されている
世界が注目する若手起業家の方をテレビで拝見いたしました。
教育に求められるものとは一体なんでしょう。
教育と洗脳の違いは何でしょう。
子どもの将来のためになる教育とはどんなものでしょう。
未来の社会のためになる教育とはどんなものでしょう。
子どものためになる教育と、社会のためになる教育が相容れないものである場合、
どちらが優先されるべきなのでしょう。
今回のCOVID-19感染症を通し、同じ感染症でありながら
各国の状況や、対応は大きく異なります。
それらを通して浮き彫りになった各国固有の特徴も数多く存在します。
米国の場合は、大統領選挙も重なり、民主主義をおびやかすような騒動も発生しました。
明らかなのは、完璧なシステムや国家は現時点では世界のどこにも存在していないという点です。
一連の経緯をみながら、私は日本人の『傾向』としての
・モラルの高さ
・国民皆保険制度の素晴らしさ
・『個』と同時に『社会』への配慮
に心をうたれました。
ただし、物事には一長一短があり
国民皆保険制度は、現在の医療の逼迫では対応困難を来していますし、
モラルの高さ、社会への配慮は、過度の『政府への従順さ』につながりかねません。
コロナ以前より、『日本の教育改革』に対する政府やマスコミの態度に、私が感じていた違和感は
『ダブルスタンダード』
です。
問題がでてきたときに、日本のもつ利点に目を向けず、急に国外に目を向けるところです。
今回の医療逼迫を前に、急に欧米との医師やベッド数の比較がでてきました。
欧米が感染対策に成功しているならともかく、
成功しているわけでもない状況で、日本の制度は世界的にみても異常だ
と批判され始めました。
これまで、日本は比較的感染者数も死者数も少ないといわれていたにも関わらずです。
感染対応をしていない民間病院に無理に診療・入院の受け入れを強要しても
院内でのクラスター発生・スタッフの離脱・場合によってはストライキに発展しかねません。
他国の政策で使えるところはないかを検討する視点は大切ですが
他国と比較して、日本で採用されていないスタンダードをもちだして
『ここがそもそもおかしいのだ』と声高に主張するのは
明らかに論理が破綻しています。
他国に学ぼうとする態度は大切ですが
他国もうまくいっていない状況であれば
うまくいくためにはどうするのが最善かを、自分たち検討・構築しようとする態度が重要となります。
日本人がもつ『モラルの高さ』『協調性』『勤勉性』
こういったものを評価することなく、海外モデルの導入や、行き当たりばったりの改革では
期待していた効果を得られないばかりか、日本特有の美徳まで失いかねません。
例えば、最近の教育の傾向として
英語教育、特にスピーキング
解決型思考
の重要性などが挙げられます。
スピーキングに力をいれるということは
そのための時間を捻出するために、どこかの時間が削られるということです。
読書をする人の数が減り
日本人の読解力低下を危惧するニュースをよく目にします。
言語能力(特に母国語)と、思考力には密接な相関性があるといわれます。
最近は優れた書物がどんどん出版されており、読解力がありやる気さえあれば独学も可能です。
ところが読解力や母国語の能力が低下すれば、
見せかけの外国語のスピーチは上達しても、思考力そのものの低下につながりかねません。
外国語の重要性は私も認識していますが、
母国語の下地があってこそ効力を発揮するものです。
どっちつかずになることだけは是非とも避けねばなりません。
母国語の言語能力を著しく低下して複数か国語話せるぐらいなら
私は外国語が話せなくても、しっかり母国語を操れる方がましだと考えます。
また、配慮が乏しいまま過度な『GAFAMへの憧れ』が存在する気がしてなりません。
GAFAMは世界市場を席捲する大企業であり、アメリカ国内に集中しています。
しかし、アメリカにはGAFAM以外の企業も数多く存在します。
ずば抜けて成長した大企業だけに注目して
アメリカの教育を真似ればいいんだと結論づけるのは乱暴すぎます。
しかも、GAFAM関連の書物を少しでも読むと、こういった企業は
学生の学歴を重視していることが明らかになります。
アメリカでは、多額のローンを組んででも、一流大学卒業を目指す人が少なくありません。
一流大学であれば、多額のローンを組んでも、卒業後の収入で回収できるといわれているからです。
今回のコロナで、状況は変わるかもしれませんが、コロナ以前はこのような考え方が確かに存在していました。
単純にGAFAMを目指すには、行動力・決断力・解決型思考だけでなく
ずば抜けた学力が必要となります。
この学力の重要性にはあまり言及されず、独創性や起業力ばかりが強調されすぎている印象があります。
私が卒業したのはアメリカの小さなリベラルアーツカレッジでしたが、
大学生でも出席率はカウントされていましたし、
授業では発言回数などが記録され、点数化されていました。
生徒のほとんどはキャンパス内の寮で暮らし、
学期がおわると、みな真っ先に実家に帰ることを予定します。
日本で生活していた時に漠然と抱いていた『自由の国アメリカ』とは大きく異なる生活環境です。
もちろんアメリカは広く、大学数も多いので、この大学生活が全てとはいえません。
しかしながら、アメリカの大学生活も送ったことのない人間
もしくは
短期留学で一部の有名大学に1、2年留学したことのある人間の情報をもとに
アメリカの教育事情を語るとなると
そこには、実際と大きくかけ離れた『虚構』が形成されるに違いありません。
社会における成功をみても、資本主義的な成功が必ずしも正解とは断言できません。
周りと軋轢をうんででも、多額の年収をあげていれば、成功と考えてよいものでしょうか。
現在日本の制度でいえば、労働に対してかかる税金は
超過累進課税によって、1800万円をこえた所得に対しておよそ50%程度の税金がかかります。
一方、投資によって儲かる収益に対しては一律20%程度です。
この制度であれば、労働によって収益をあげるより、
投資によって収益を上げる方がより効果的といえます。
そして実際、そのような状況によって世界的な経済格差が生まれていると結論づけたのが『21世紀の資本』です。
では、優れた投資家を養成するような学校が真に素晴らしい学校といえるでしょうか。
もちろん、そのような学校に価値はないともいえませんが、
経営者、労働者があってはじめて、投資家が存在価値をもちます。
社会体制がどう変化するか分からない状況で、
純粋な投資家だけを育てる教育は一般化されるべきとは思えません。
エネルギー問題や環境問題、感染対策にがん治療などなど。
資本主義的な成功のみならず、社会貢献における価値も当然視野にいれられるべきでしょう。
教育制度上の問題は、試験制度にもみられます。
共通試験や、入試は、入学する上で基礎的な土台を確認するものです。
本来の目的は、必要な知識や経験は学校で学ぶべきであり、
共通試験によって、資質を選別するというのは本来の教育の目的からしてもおかしなものです。
教育によって授けるべき特性を、入学試験で評価しようというのは本末転倒です。
教育者が目標・目的を共有し、子ども達に教育を行うことで
そういった『求めている資質』を養うべきです。
教育現場が混乱し、どのようなカリキュラムで、どのような教育が求められているかも判断できないまま、
試験を通して、子ども達の教育をコントロールするのは明らかに間違っています。
『自分達にはよくわからないけど、塾かどこかで事前に学んできてくれ』
と言っているのと同じです。
政府が行うことにはきちんとした思案があるものだと考えていましたが、
今回の感染対策をみていて
具体性や客観性、先見性が皆無であることが明らかになりました。
自分達にないものを、教育を通して子ども達に身に付けてもらおうと思っても
それは無理な話です。
子ども達の前に、あるいは急務なのであれば、子ども達と同時に
教育者の教育・啓蒙を行わなければなりません。
それはつまり、私達自身が、学びを続けるという態度が必要だということです。
やれ感染対策、テレワーク、ビジネス庁だ
といっておきながら
『会食は政治家の仕事だ』
というセリフがもれきこえてきてしまうような政府は
教育の在り方、リーダーのあり方において
本当に大切なことを逆説的に示してくれています。
さて、批判中心になったので、最後に私が掲げる教育理念をいくつかご紹介します。
➀知識を得ることの楽しさ
➁モラルの形成
③日本語(読解力)の重視
④フィールドワークの大切さ、楽しさ
⑤協調性
⑥古典の素晴らしさ
です。
私はもともと理科・社会が嫌いでしたが
今は本を読むようになり、色々なことに興味を持ち始めると
どんどん本が読みたくて仕方ありません。
分厚い本を読んでいる時の苦痛は
なかなか進まず読み終わらないこと自体の苦痛というよりも
そのことで、次の本に取り掛かれない機会損失による苦痛です。
『どんどん本が読みたいのに、まだこの本が終わらない!』といった感じです。
以前と今で、私の中で大きく変わったこととは一体何でしょうか。
一つは『知識と自分との関わり』
です。
諸外国の知識も、『行くこともなければ、その国の人にあうこともない』
と考えると、ただの暗記物になってしまい、ただただ量に圧倒されてしまいます。
ところが『この国の人に会うかもしれない、もしくは会ったことがある』
『この国に行くかもしれない、もしくは行ったことがある』
となれば、親近感も興味も全く違ったものになります。
また、知識は完全に独立した状態では存在しません。
気候と地形はその土地の政治や経済に影響を与えます。
かつてちらっと読んだ本が影響で、治水に携わることになるかもしれませんし
農業を始めることになって、あの時の知識が思わぬところで役立った
というようなことが起こるかもしれません。
一件役にたたなそうな情報が、後々になって非常に役に立ったり
仮に役にたたなくても、役に立つかもと考えるだけで、勉強へのモチベーションは大きく異なります。
『頭のよさ』に関する考え方も大きく変わりました。
以前は『学年トップの〇〇や、東大に受かった△△』とはそもそも出来が違うんだ
と考えていましたが、
その○○や△△も、才能があるのはもちろんですが
それ以上に勉強していたなと気づかされました。
先日、松丸亮吾さんが、小学生の問題を解くテレビ番組に出演されていましたが
事前に、過去に放送された問題はすべて勉強してきたと
お話されていました。
特別な努力をしないで成功する天才も存在しますが、
多くの成功者の方々は、やはりそれなりの努力をされていることが多いことに気付かされました。
私などは学生の頃、英語を勉強する時には
『自分はそこまで優秀じゃないので、外国語なんか話せるようになるわけがない』
と頭から決めてかかっていましたが
では
『自分はそこまで優秀じゃないので、日本語なんか話せるようになるわけがない』
と考えたことがあるかというと
そういったことは一度もありません。
IQには遺伝的要因が大きく働くとはよくいわれますが、
それ以上に、環境要因、特に、興味をもてるかどうかは、大きな影響を与えると私は考えます。
さらに、最近、教育の上で重要と考えるのが『協調性およびリーダーシップの重要性』です。
協調性とリーダーシップは一見背反するものですが、
このバランスは非常に大切だと考えるようになりました。
そこに大きな影響を与えたのが
今月の日本のCOVID-19感染状況と、アメリカの連邦議会議事堂占拠
です。
日本の感染状況をみて
医師の中でも
『感染は危機的状況で、医療は逼迫しているので、自粛が必要』と考える立場と
『インフルエンザもそれなりの死亡率を誇るので、コロナなど過剰に恐れる必要がないとする立場
に分かれています。
後者はどちらかというと、救急医療や内科として現場に対応していない専門外の医師に多くみられる印象です。
アメリカの連邦議会議事堂占拠も
『アメリカの大統領選挙において、不正があった』と考える人が存在しなければ起こりえなかったのではないでしょうか。
それぞれの個人が、自分の価値観および思考過程を有する時
二つの決して相容れない価値観や考え方が衝突することが時として起こりえます。
お互いが、それぞれの立場で
『自分の考え方が正しい。相手の考え方は間違っていて、是正すべきだ』
と考えているかもしれません。
民主主義の限界といってもいいでしょう。
そんな時、解決の手がかりとなるのが
多数決制あるいは、リーダーによる決断ですが
方針が決まれば、自分達の意見が通らなかったグループは方針に従う必要がでてきます。
かといって、数の優位性を利用して、一方が他方に明らかな不利となる方針を打ち出すようであれば、
その状況に対する反抗は正当化されてしかるべきです。
そういった混乱を避ける上で、リーダーとなる立場の人間は
公平性と客観性を遵守しなければなりません。
可能な限りwin-winの方向性が模索されてしかるべきです。
価値観が多様化する社会の中で、
それぞれの人間が自分だけの利益や価値観に固執してしまうと
お互いの衝突は避けられません。
お互いが、お互いを尊重し、それぞれの自由をある程度自ら制限することで、
各個人の結果としての自由を最大化することが可能となります。
そのための法律や憲法などのルールなのです。
中国やアメリカと各国の軋轢が広がる中、
自由貿易協定の流れを見ても、
国際社会における日本の存在感は大きくなっていることがわかります。
その根底にあるには、日本のもつ『モラルや協調性の高さ』にあるのではないでしょうか。
無計画な改革で日本固有の美徳を失わないためにも
評価されるべき点、維持されるべき点をしっかりと認識することが大切だと考えます。
話がつきないので、今回はこのあたりで終わりにしておきますが、
とにかく『学校および図書館はつくってみせる!』
と
決意を新たにしながら、諸活動に一層力をいれていこうと思います。
場所については、終の棲家と考えている鎌倉です。
海にも山にもアクセスがすぐれ
神社、寺社をはじめ数多くの歴史的建造物がみられ
地域に根付いた企業や、個人事業主も数多く存在します。
カマコン、Hatsu鎌倉、まちの大学など、横のつながりも数多く存在しているようです。
コロナもあって、活発な活動はできていませんが、
感染がおちついたら、もう少し広く活動できたらと考えています。
マリンスポーツや、武道、マインドフルネスなど、鎌倉には優れたコンテンツがやまもりです。
学校や図書館は、プラットフォームとしてはこの上ないシステムだと考えます。
それぞれのコンテンツに気軽にトライできるようなシステムの構築が理論的には可能だと考えております。
将来、世界に誇れるインフラとなれるような学校・図書館の建設を夢見ています。
ここまで読んでくださった方には、厚く御礼申し上げます。
せっかくですので、『スキ』まで押していただけると、
お礼の言葉も見つかりません。
何卒よろしくお願い申し上げます。