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“ありがとう“の道
全方位拒絶の日々
から一転
全方位感謝の日常
を送り行く中で、
いわゆる
不幸な人達とお話しをすると
不足ばかりにフォーカスがいっていることに氣が付きました。
失敗の前例を丹念に並べて・・・
『だから自分は(幸せになることを)やらない』
とか。
至らぬ自分の不足(欠点)を見つめ・・・
『だから自分は使えないので自己嫌悪』
とか。
そのような時は誰しも在るのだと思うのです。
しかしながら
自身の不幸な状態を嘆く人達とは
何年も何十年も
その不幸な状態を保持し続けているのですね。
彼らというのは
別に悪人ではありませんから、
割合、周りの人達も彼らを氣に掛けるのです。
しかし
彼ら本人は不足に目がいっておりますから、
彼らへの応援には目がいかないのですね。
そのために
不幸な状態を彼らは一身に請け負って
孤独に不幸を生きている。
彼らは不幸のみを見つめているので、
幸せを見過ごしているのです。
僕も一昨日までは
彼らと同じでしたので、
殊更に彼らがどの文脈にあるのかが僕には読めます。
【幸せという
在るを認め難いものを
認める學び】を
➖在學道(ありがとう)➖
というのです。
➖“ありがとう“とは學び➖です。
➖在學道➖という道のこと。
そして
そのような在學道の學びを通して
幸せを見過ごしていることを
➖勿体無い➖
といういうのですね☺️
勿体とは
・本來の在るべき姿
・本質的なもの
という意味です。
ここでの
【勿】は“物“とい字の略字となります。
つまり
ものの本來在るべき姿(本質)が無い
という強い否定になるのです。
在る幸せに強い拒絶をしていることで
“もったいない“という現象は生じます。
幸せの見過ごし
幸せの取りこぼし
ということになります。
さらには
【勿】とは無しの命令形【勿れ】です。
勿体無い
とは
(人偏に本質の“本“を書いて)【体】という
【人の本質】を無いと言うこと勿れ
という意味があるのだと、僕は読み解いています。
人の本質とは愛ですから、
そこに幸せも感謝もあるわけです。
つまり
【勿体無い】
とは
➖愛を無いと思う勿れ➖
➖幸せが無いと言う勿れ➖
ということになります。
不足にばかり目がいっている時とは
勿体無い状態に在ります。
幸せを見過ごし
感謝を見過ごしている為に
在學道という道から逸れていて、
さらなる不幸せばかりを見つけ行くことになるのです。
幸せを
見過ごさず
見止める道が人の道です。
在學道という人の道。
祭統 白宇
SHIR㊉W
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