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地に足着けば

適度な運動・適度な汗は快感に
その後 シャワーを浴びれば爽快に

その繰り返しに快樂を覺えます

そして この繰り返しに
安心感を覺えるのです


適度な美食は快感に
その後
まったりくつろぎ歯を磨いたなら爽快に

その繰り返しに快樂を覺えます

そして この繰り返しに
安心感を覺えるのです


これらのような繰り返しが
日常に無い時に
僕は不安感を覺えます


僕に備わる五感とは
幸せの為にあると思います

不幸せを敏感に察知して回避するのは
つまりは 幸せの為

心配も不安も哀しみも怒りも
それは不幸せを知らせるサインに過ぎず
そこに本懐はありません

あくまで
安心感という幸せの為にそれらはあります


安心感を得るのには刹那的ではいけません

たとえば
豪華なディズニー旅行に対して

『こんな素敵な旅行は人生に一度きりだ』

と思うならば
その旅行に対して身構えます

『一度叶えてしまえば それっきり』
と思い込んでいればこそ
それを叶えることに足踏みします

また 叶えた後にも
儚さや虚しさを感じて

『樂しみを取っておけば良かった』

なんて後悔することもあります


ですから
幸せというものに対して
僕は恒久性を思うのです

そして
その恒久的な幸せに安心感を覺えるのです


運動にせよ 美食にせよ
そこに伴う
爽快さ・快感・快樂とは五感によって得られるものです

人間的活動の維持にとって基礎的な幸せです


社会的成功や経済的成功のような
物質的成功とは
この基礎的な幸せの上に成り立ちます

ですから先ずは
五感を用いて自身を満たすことの必要性を思います

物質的成功もまた恒久的なものでなければ
そこに安心感という幸せを感じません


五感による幸せという基礎があり
物質的成功という土台があれば
瞑想などによる精神的成功を求めるようになります

五感的安心感も
物質的安心感も
そこに幸せはありますが
恒久的であるが故 飽きるのです

この時
ようやくインナーアース(内的世界)へと向かうのです

瞑想もまた運動や美食と同じで
そこに恒久的な幸せを感じればこそ
続けますし望む強度も増して行くものです



運動という快樂
美食という快樂
物質的成功という快樂
安心感という快樂
良好な人間関係という快樂

僕は幸せとは快樂のことであると思います


僕が営業で全国トップであった時 思いました

お客樣は
僕と接して快樂を覺える時に
僕から商品を買うのだな
そしてその時
お客樣は僕にお金を払うんだ と


快樂に躊躇いのない世の中は
お金が回るものです

それは景気の良い時の世の中を見れば分かります


快樂へのブロック
これが僕のブロックでしたし
日本人全体のブロックでもあります

このブロックがある時
たとえ
身の回りに快樂という幸せがあっても
見て見ぬ振りや拒絶をします

日本人は安心に包まれて
物質的成功にも囲まれて
明らかに幸せな環境にあるのですが
五感的快樂に蓋をしている為に
その基礎的幸せ以上の幸せを内面的なところで拒絶しているのです

その五感的快樂という基礎がなければ
瞑想やマインドフルネスという
インナーアース的幸せで満たされることはありません



快樂という言葉に対して
僕は敏感に反応します

そこに性的なものを想起する僕がいます

恒久的に美味しいものを食べ続けて
満たし続けることに幸せを感じるように
インナーチャイルドを癒やし続けて
心を満たし続けることに幸せを感じるように
性愛も満たし続けゆくもの


五感的快感を用い
體の健康という物質的成功を使い
精神的快感を得る幸せが性愛にはあるのです

快樂(エクスタシー)とは
感じ続けるもの


先ずは五感から
と思います

笑顔というのも五感です

自分の
そして他者の五感を快樂にする
一番早いエクスタシー(幸せ)です



祭統 白宇
SHIR㊉W

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