長年働いていると「こなし感覚」になってしまう
みなさんこんにちは。
臨床心理士/公認心理師として仕事をしながら漫画家としても活動させていただいております、白目みさえと申します。
※活動はこちらからご覧くださいませ
今回のご相談
・対人援助職である
・人の気持ちに寄り添いたいのに経験年数が増えると「こなし感覚」になっているような気がする
・どうにかしたいが自分の気持ちが追いつかない
お答え:「こなし感覚」を活かす
「フレッシュ」=「手動運転」
新人の頃は、何もかもが初めてなので「フレッシュ」な気持ちで熱心に関わっていたかもしれません。
書類の書き方も、電話の仕方も、話の聞き方も、全てが新鮮で初めてなので、それは当たり前ですね。
言ってみれば全てが「手動運転」な感覚です。
例えば初めて料理をしたとき。
包丁の持ち方ひとつにも緊張し、正しく持てているか常に確認。
「猫の手猫の手」と呟きながら全神経を目の前のまな板と包丁と素材に集中。
トン…トン…トン…
ふー…人参完了…!
次はー…卵?卵どこだ…?
えっと…どこに割る?ボール?お茶碗?
あ、フライパンはどこ?
みたいな。
ひとつひとつの動作全てに全神経を集中させ、次はあれ、これが終わったらあれ、なんてことは考える余裕もなく、「今」を全力で生きている感覚。
何かするたびにいちいちスイッチを入れて、ぜーんぶ自分で意識して動かしていく。
でもこれってめちゃくちゃしんどいですよね?
だから脳は素晴らしい機能を持ってくれているんです。
「慣れ」
一生そんなんしてたら神経すり減ってしんどいのでね。
何回かやってる内に、段々と「意識」して動く時間が減ってきます。
例えば「包丁の持ち方」はいちいち意識せずともバチッと決まります。
卵も「どこだー」なんて考えることなく「無」の状態で冷蔵庫を開けて自然な流れで器を出して割ります。
あれ?私いつの間にフライパン出したっけ?
くらいの感じになります。
いわゆる「こなれ感」が出てきた状態ですね。
「こなれ感」=「自動運転」
という風に何度もやっていると、脳はある程度のことは「自動運転」に切り替えてくれます。
「あーやってこーやってこうなんでしょう?」と、いちいちスイッチを入れなくても「次はこれ」と自動的に無意識に人を動かしてくれます。
いつもリモコンがそこにあると手が勝手に伸びているように。
お茶を飲みたいと思ったら冷蔵庫を開けるように。
これは自然なことです。
自分の意識づけがどうこう言う話ではないのです。
脳が勝手にやってるので。
そしてこの自動運転の感覚が、相談者様の言う「こなし感覚」なんだと思います。
「こなし感覚」は仕事で必要な感覚
私はこなし感覚を全肯定している訳ではありません。
でも全否定するのも違うと思います。
だって自然だもん。脳がやってるんだもん。逆らえないもん。
そんなもん否定してても話が進みません。
ではどんなところで必要なのでしょうか?
手動運転だと仕事が…
もう10年も勤務してるのに
「この書類どう書くんですか」(何百枚も書いてる)
「この件は誰に電話したらいいんですか」(何回もかけてる)
「この人の悩みはどう解決したらいいんですか」(先週よく似たケースやったよね?)
とか言われてたら仕事になりません。
ええ加減慣れてくれってなります。
A社に聞いたらすぐ解決するものを
B社に尋ね、C社に断られ、D社に相談し…
とやっていては話は進みません
ファーストチョイスは基本的な流れ
よくある流れにまずは沿っていく
そういう対応がなければ結果的に援助の速度が落ちていきます
「こなし感覚」でした方が良い場面もあるのです。
そしてこの感覚は「手動運転」な時にはありません。
慣れてきた今だから持てる感覚です。
手動運転時には見えなかったもの
「こなし感覚」に沿って「あーこのパターンはこれだな」と「自動運転」できるものが増えてくるとどうなるでしょうか。
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