昭和・平成の教育と会社 令和のこれから
表題の件について、筆者の体験談を書きます。
筆者はいま42歳ですが、明らかに昭和・平成の日本社会は「周りと同じ」「普通」を理想とする教育でした。
保育園の頃からASDの筆者は多分KY全開だったのか、ある保育士から目の敵にされていました。その保育士は突然筆者の手首を掴んで廊下へ引きずり出し顔に平手打ち、痛みで泣き叫ぶ筆者に
「あなたにはね!状況判断が無いの!!」
と絶叫。理由の説明も一切なく、筆者は何が何だかわからないまま泣くだけでした。しかも1度や2度ではなく何度も。筆者が「周りと合っていない」、それだけが理由だったのでしょう。
また筆者は3年間いた保育園で最初の2年間、全く人と話せませんでした。歌うこともできず、みんなで歌う時も口パク。その保育士は毎回筆者のそばに寄ってきて耳を筆者の顔に近づけ、声が出ていないとまた平手打ち(ちなみに学校で初めて知らない人に自分から話しかけられるようになったのは大学1年の18歳(!)の時でした)。
小学校の頃は毎週月曜に朝会があり、当然「校長先生のお話」も。校長先生が登壇して一歩前に出たら一礼、お話が終わるまで直立不動。朝会が終わったら校庭で謎の行進練習。それが何かの役に立ったことは一度もないのですが、ただ規律と協調性・同質性を叩き込むのが目的だったのでしょう。
中学は部活別に、そして部内でも「スクールカースト」と「謎ルール」だらけ。親に強要された部活では、ガリガリで非力+運動神経が底辺+しゃべれない=いじめへのプラチナチケットでした。そして本「ガチムチのつくり方」にも若干書きましたが、運動部のキャプテンで「ブラック部活」の洗脳ドップリだった2歳上の長男(兄とすら思っていない)は筆者が家で部活が嫌だと言うと怒り狂い、散々筆者をいびり、暴言を浴びせました。
筆者の現職も同じです。田舎に生産ラインと多くの社員を抱える古いメーカーですが、体質はまさに「The・昭和」。ダイバーシティや健康経営を謳っても完全に「建前と本音」。同じ時間に同じ場所で同じ制服でラジオ体操をし、月初めには全員集まって社長や工場長の講話を聴く朝礼。まさに人を統一規格のロボットのように扱う大量生産時代の名残です。そんな古い体質+職人気質も相まってか、年配社員(50代以上)は暴言・怒号をまき散らすこともしばしば。そんな環境でパワハラに遭い続け、休職に追いやられたのが2年前の11月です。
ただ最近は繰り返し書いているように、周りと違ったら叩かれる「みんな同じで当たり前」が破綻しつつあるのを感じます。そもそも周りと違っていて叩くなら新しいものも出てこないし、イノベーションも起きるはずありませんし。
だんだん「みんな違って当たり前」が受け入れられつつあること、そして筆者が性的マイノリティ当事者であることも含め、今は嬉しく思います。人と違う視点や価値観を持てること、「マジョリティ=当たり前」と決めつけないこと、そして筆者自身も案にに「これはこういうもの、それが当たり前」と決めつけないことをこれからも大事にしていきたいです。