白の佳句鑑賞〜卯月〜
はじめに
先日あげた記事に、多くの鑑賞ありがとう。今回の鑑賞も大きな学びがあったなあ。
やっぱり句の鑑賞も千差万別だからこそ、皆の鑑賞を通して、多角的な見方ができて面白い。
読むだけでもどうぞ。
卯月の佳句三句
出棺の警笛長し鳥曇 うみのちえ
季語は鳥曇。何となく寂しさの残る季語だと感じている。冬の間渡ってきていた鳥たちが飛び去っていった、それを見送った目に残る曇り空。何とも寂しい気はしまいか。
そんな曇り空に響き渡る警笛。出棺を知らせる合図である。その長く響き渡る音に思わず哀惜の念を誘われる、そんな場面を切り取った句だ。
警笛に意識の向いている、その心的距離に着目して死別した相手と作者との関係性を感じ取った鑑賞があったが慧眼に感服した。確かに突然奪われた命だったとしたら警笛になど意識は向かないかもしれない。おそらくはある程度死を悟っていた祖父母のような間柄であっただろうか。
曇り空の下に鳴り響いた警笛の残響が余韻となっていつまでも消えない、そんな句だった。お見事。
抱卵季飲み屋帰りの手のスマホ 夜音友
季語は抱卵季。多くの鳥が卵を抱く、そんな時季をいう、鳥の卵という季語の子季語である。
うちの木にくるキジバトは、夏の今頃卵を抱いているからちょっと遅いのかもしれない。
その鳩を見ていると、卵を産むまではしょっちゅう動いて、物音にもすぐ飛び立っていたのだが、卵を産んだとなると、これはもうじっと動かない。少しずつは体勢も変えているようだが、大きく動くのは交代するときだけである。きっと、日頃目にすることの少ない他の鳥たちも似たり寄ったりだろう。
それだけに抱卵季とは、そんな親鳥の献身的なイメージも、やがて生まれくるであろう雛という未来をも感じさせる季語といえそうだ。
この句は取り合わせという手法で詠まれている。
飲み屋帰りの手のスマホという中七下五のフレーズ、アルコールを引っかけたあとの帰り道、その人物の手にもたれたスマホへと映像が絞られていく。
ポケットではなく手に持っていることから、メッセージのやり取りでもしているのだろうか。ほろ酔いの中何度もその手のスマホを見たり触ったりしているそんな景が浮かぶ。
抱卵季という季語との取り合わせによって、スマホを慈しむように持つ手、そしてスマホの向こう側にある温かき何かまでもが目に浮かんでくるのではないだろうか。
水筒のコーンポタージュ春の山 亀山こうき
オザケンというと、俺は『ラブリー』『今夜はブギーバック』かな🤔
水筒のコーンポタージュって、パワーワードよね。俺、入れたことないもんな。コーンポタージュ入れるような場面ってどんな場面なんだろう。
季語、春の山をもし登るとするならば、俺はそれほど峻厳な感じではなく、なだらかなハイキングコースのようなそんなイメージを持ってしまう。
少し開けた小高い丘で、ちょっとひと休憩するかといった風情である。
朝早くから登り、昼過ぎには下山するようなそんな感じだろうか。お弁当を持っていくには重すぎるし、かといって飲み物だけではお腹が空きそうな、そんな時に小腹を満たすとともに、ほっと一息つけちゃうようなコーンポタージュは似合いそうだ。
コーンポタージュの色合いと春の山の色合い。コーンポタージュの温かさと春の陽気。そんなものが渾然一体となって読者に寄ってくる、そんな一句でした。
終わりに
今回もたくさんの句の中からわずか三句をピックアップした。何と卯月だけで700を超える記事がマガジンに収められていて、とても紹介できないのだ。当然いくつもの佳句が眠っている。
句作と鑑賞は、俳句上達の両輪という。
みなさんも、ぜひ一つの句を深く鑑賞してみてほしい。
では、皐月の佳句までごきげんよう〜😏