白の佳句鑑賞〜弥生〜
佳句鑑賞のお礼
弥生の佳句に対して、たくさんの素敵な鑑賞ありがとね。俺も勉強になった。
みんなの鑑賞と、それに対する俺のコメントは、こちらを見てね😏
さて、改めて俺も弥生の佳句について鑑賞しておきたいと思う。自分の読みと比べるのも一興よ😏
弥生の佳句 三句
今回の佳句は、「遅日」という季語で詠まれた三句を取り上げた。三句とも、非常に優れた季語の理解をもとに詠まれた素敵な句だったので、それぞれの句を比較する楽しみもあるかなと思って、選句した。
ちなみに遅日とは以下のように説明されている。
コーヒーのお代わり頼む遅日かな
この句は、ラベちゃんの一句。
暮れが遅くなっていくことに注目した「遅日」という季語と、コーヒーのお代わりを頼むという、ゆったりとした時間を表現した措辞とが、とてもよく響き合っており、素直な詠みぶりだが、それぞれの読み手に大きく想像する余地を残した秀逸な句である。
気兼ねなくコーヒーのお代わりを頼めるのは、一人で本でも読んでいるのだろうか。それとも、友人と時を忘れるほど楽しく過ごしているのだろうか。
私自身は、遅日という季語に静かさやゆったりとした時を感じるので、一人であろうと踏んでいる。長く時を過ごそうとも気兼ねのない、馴染みの喫茶店で一人豊かな時を過ごしている姿が目に浮かぶ。
ゆるやかな時間を閉じ込めた一句。お見事。
遅き日や廊下へ伸びるプラレール
この句は、ちえちゃんの一句。
遅日の傍題、「遅き日」で詠んだ一句。
ノスタルジックな雰囲気を纏った佳句で、この句から、幼い頃に日が暮れるまで遊んだあの頃のことを思い出す人もいれば、子育てでほっと一息をついたあの日のことを思い出す人もいるだろう。
「へ」という方向を示す助詞が効いていて、この助詞によって自分の立ち位置から、廊下に向かって伸びるプラレールを想像させることで、奥行きを感じさせることに成功している。
プラレールという具体的な物を描くことで、句には述べられていないプラレールを伸ばした人物の存在(子どもを想像する人が多いかもね)あるいは、その景色を見ている人物、そしてそれぞれの心情までが浮かび上がってくるよね。お見事。
手を休めまた取りかかる遅日かな
この句はあぷりこっとちゃんの一句。
季語「遅日」に「かな」という切れ字を添えることで、暮れの遅くなった時間そのものへの、ささやかな感動が伝わってくる。
上五中七には手を休める、取りかかる、という二つの動詞が一句に収まっている。
通常、一句に動詞を二つも入れると感動の瞬間がぶれてしまうので使わないものなのだが、この句はそれとは少し違う。
描きたいのは、手を休めて、「また」取りかかる、この一瞬なのだ。動詞と動詞の間を掬い取るために、あえて前後に動作を置き、「また」でつなぐことで、それを成功させている。
集中して取り組んでいた何かの手を止めて、ふと現実に意識が引き戻されたとき、まだ日が暮れていないなあと遅日に思いを遣り、改めてその何かを再開する。切り取りの難しい一瞬をこのように切り取るとはやるなあ。お見事。
卯月の佳句も楽しみである
三月に詠まれたたくさんの句から、同じ季語で詠まれた佳句を紹介、鑑賞してきた。俳句幼稚園では毎日どこかで名句が生まれている。
瑞々しいこれらの作品をときに振り返るのも素敵なことだ。
さあ、この四月もたくさんの句が詠まれている。卯月はどんな句を鑑賞してみようかな。
見逃している句もたくさんあると思うので、俳句幼稚園で思い当たる卯月の佳句があったら教えてね😏
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